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墓 所 名 赤松則房の墓
お墓の様子
所 在 地 徳島県板野郡藍住町
住吉字逆藤60(福成寺)

〜コ メ ン ト〜

則房は室町幕府の四職家の一つである赤松家の第十代

当主だが、則房の時代にはかろうじて家名を存続させて

いるだけの状態に過ぎなかった。信長の軍門に下った

則房は、後に阿波住吉に転封され名実ともに赤松氏の

播磨支配は終わりを告げた。則房のその後については、

大坂に移住し死去した、阿波住吉で死去した、関ヶ原の

合戦で西軍に参加して自害したなどの諸説があり、

確かなことはわからない。尚、福成寺には代々則房の

墓と言い伝えられてきた供養塔があるが、ご住職の

話しによると近年、石の専門家が調査したところ、則房の

時代より百年以上前のものだということだったらしく、境内

には則房の墓であることを示す案内などは一切ない。

(尚、赤松氏については則房の後、則英が相続し関ケ原を

迎えたとする説もある。だが、赤松則英の実在は史料的に

確認できず、室町幕府の要職である侍所の長官にも

度々就任した室町幕府の有力守護家であった赤松氏が

どのようにして滅亡したのかすら現在では確かめる

術がない。)

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