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墓 所 名 狩野貞長の墓
お墓の様子
所 在 地 静岡県静岡市葵区内牧

〜コ メ ン ト〜

狩野貞長は後醍醐天皇による建武の親政のとき、楠木

正成らとともに武者所に名を連ねた。その後、足利尊氏が

反旗をひるがえすと、安倍城を本城として南朝側に属し、

入江・蒲原などの駿河の武士とともに南朝側豪族の中心

人物として活躍した人物である。貞長はこの安倍城に

興良親王・宗良親王を迎えるなど南朝側に忠節を尽くし、

北朝側に属した
今川氏と駿河各地で抗争を繰り広げるが、

日本各地で南朝軍が劣勢に陥ると駿河国内における

狩野氏の旗色も次第に悪くなり、永享5(1433)年には

安部城も攻め落とされてしまったという。

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