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墓 所 名 桃井直常(夫妻)の墓
お墓の様子
所 在 地 群馬県吉岡町南下田中

〜コ メ ン ト〜

桃井直常(夫妻)の墓。直常は足利氏の支族で延元3=

暦応元(1338)年に後醍醐天皇方の北畠顕家が攻め

上った際に足利尊氏の次男義詮に従ってこれを追撃し、

翌年奈良に破る勲功をあげ越中守護に封じられた。

観応の擾乱では一貫して直義党の中核を担い、直義党の

軍事力の支柱をなすほどの存在で観応2=正平6(1351)年

には越中から大軍を率いて越中から入京し、尊氏・義詮

父子を追い出し、引付頭人に起用されている。しかし

同年8月直義が越前に逃れると、この時の尊氏との和睦

交渉に最後まで反対し、直義が殺された後も、山名氏ら

直冬党(直義の養子)、南朝勢力と結んで越中に勢力を

保ち、文和4=正平10(1355)年には再び入京して尊氏を

近江に追った。その後も反尊氏・義詮の立場を貫き、

越中を本拠として勢力を保ったが、最終的には幕府方の

斯波義将に圧迫され勢力は衰えた。尚、直常の終焉に

ついては判然としないが晩年は桃井荘に隠棲し、ここに

没しこの地に葬られたとも伝えられる。この五輪塔は

桃井直常の墓と言われ、地輪の上部と水輪の下部に

穴があり、ここに納骨した墓塔と考えられる。また左の

五輪塔は直常夫人の供養塔と言われている。

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