トップページへ戻る
墓 所 名 山川家歴代霊廟
お墓の様子
所 在 地 茨城県結城市大字
今宿字門前(長徳院)

〜コ メ ン ト〜

鎌倉時代のはじめ、山川氏の初代重光は、結城氏の

初代朝光の第4子として生まれ、のちに結城家より分家を

して山河氏(はじめは山河氏と名乗ったが、室町時代

から山川と称するようになった)を興し、鎌倉幕府のもとに

御家人として仕えた。中世の結城郡は、北を結城郡

上方といい結城氏が治め、南を結城郡下方といって

山川氏が治めていた。山川氏は、上山川の東持寺の

敷地に館を構えていたと伝えられ、戦国時代には山川

新宿の綾戸城を居城としていた。その後、豊臣秀吉

から領地を引続き治めることを認められたが、独立した

大名としての地位は得ることはできず、やがて本家の結城

秀康の家臣となり、1601(慶長6)年、秀康の越前転封に

従い、山川氏も越前に移った。雲龍山長徳院は、長徳

年間(995年〜999年)に建立したことからその名が

つけられた。現在の寺院は1499(明応8)年、山川朝貞が

重光以来の祖先と、祖父景貞の供養のために総寧寺

5世・在中宗有の嗣弟・日州幸永を開山として招いて、

曹洞宗の寺院として再興したもので、以後、山川氏の

菩提寺となった。

日本全国歴史的人物の墓を巡る旅のトップページへ戻る