トップページへ戻る
墓 所 名 佐々介三郎宗淳の墓
お墓の様子
所 在 地 茨城県常陸太田市
増井町1514(正宗寺)

〜コ メ ン ト〜

水戸黄門漫遊記でおなじみの「助さん」は本名を

佐々介三郎宗淳といい字を子朴、通称を介三郎、十竹と

称した。本名は良峰氏であったが、その祖が佐々成政の

妹を妻とした縁で佐々氏を名乗った。宗淳は15歳で京都の

妙心寺の僧となり、祖淳と号した。僧として約20年

つとめたが、感ずるところあって還俗、江戸に出て1674

(延宝2)年徳川光圀に仕え、進物番兼史官勤務となり、

大日本史の編纂に力を尽くした。彼の業績は史料の採訪

収集で、その足跡は畿内は勿論、北陸・中国・九州など

までにも及び貴重な文書記録を集めたことである。また、

光圀の命で下野の那須国造碑の修復、同所の上下

侍塚の発掘調査とその復元、湊川神社の楠公碑

(嗚呼忠臣楠子之墓)の建立等に当たったことは

特筆される。1696(元禄9)年、彰考館総裁をやめ、

小姓頭として西山荘の光圀に仕えたが、1698

(元禄11)年6月3日に59歳で没し、この地に葬られた。

墓碑は養子の藤蔵宗立が建て、撰文は

格さん」こと安積覚澹泊である。

日本全国歴史的人物の墓を巡る旅のトップページへ戻る