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 古(いにし)へも 今もかはらぬ 
 
 世の中に 心のたねを 残す言の葉



  作者 : 細川藤孝(幽斎)
  

  意訳 :
   変わらない悠久の時の流れの中に、和歌は
   言葉によって心の種を残していくものである。
   (そのように私の歌と心も残るのならば有り難いことだ。)


  解説 :
   細川藤孝(幽斎)・忠興父子は1600年(慶長5年)の
   関ヶ原の戦いでは東軍に属した。忠興が主力を率いて
   家康に従って出陣すると、藤孝は宮津・久美浜・峰山の
   諸城を焼き、手勢500人とともに田辺城に籠城し、
   留守を守った。しかし、7月20日西軍に応じた近隣の
   諸城主小野木・谷・別所・藤懸氏らの兵1万5000余が
   田辺城を包囲し、落城は時間の問題となった。有名な
   歌人、三条西実枝から「古今集」に関する故実の
   秘事を伝授された(いわゆる「古今伝授※」)藤孝は、
   その断絶を恐れて高弟智仁親王(桂宮)に古今相伝の
   書を贈ることを申し出た。親王は御陽成天皇に願い、
   天皇は、2回にわたり開城を勧める使者を派遣したが、
   決死の覚悟を決めていた藤孝はこれを謝絶、古今相伝
   の箱に証明を付し「古(いにし)へも今もかはらぬ世の中に
   心のたねを残す言の葉」の一首を添えて、「源氏物語抄」
   などとともに親王に贈った。その後、古今伝授の廃絶を
   憂慮した後陽成天皇は田辺城を囲む西軍の陣に「幽斎は
   古今集の秘奥(ひおう)を伝える帝王の師範で、神道・
   歌道の国師である、速やかに囲みを解くべし」との勅使を
   送った。天皇の意向を知った西軍の諸将は大いに驚き、
   直ちに包囲が解かれたのは有名な話である。

  解説その二 : 古今伝授※
   鎌倉時代中期の歌人・藤原為家には為氏、為教、
   為相の三人の子供がいました。いずれも和歌の才能に
   秀で、それぞれが二条家、京極家、冷泉家と独立して
   和歌の家として生計をたてるようになります。この三家は
   古今和歌集を拠り所とし、家独自の歌学を形成し、
   伝承していきました。室町時代になると、二条派の歌人
   にして武将でもある東常縁が連歌師・飯尾宗祇に対し
   古今伝授を行います。古今伝授とはその名の示す通り、
   「古今和歌集」の解説など秘説を伝える歌学伝授の
   一形式のことです。古今和歌集はその成立の背景も
   あってか、早い時代から研究が盛んでした。そのため
   多くの人の関心を引き、その伝授は当時の歌壇に
   おいては最も重要視されていました。東常縁から飯尾
   宗祇への伝授の過程で、その形式が整えられた二条派
   の古今伝授は、その後宗祇が近衛尚道、三条西実隆、
   牡丹花肖柏らに伝授し、それぞれが交わることなく
   後世に伝えられていきます。そのうち三条西実隆に
   伝えられた古今伝授は、その子孫に伝えられていき
   ますが、三条西実枝から伝授された細川藤孝(幽斎)
   が八条宮智仁親王に伝授。さらに智仁親王から
   後水尾天皇に伝授されたことで古今伝授は御所に
   入り、代々の天皇に伝えられるようになりました。


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