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 昔より 主(あるじ)内海(討つ身)の 
 
 野間なれば むくいを待てや 羽柴筑前



  作者 : 織田信孝
  

  解説 :
   織田信孝の辞世の句。信孝は織田信長の三男で、
   本能寺の変で信長が討たれた後、秀吉とともに
   山崎の戦いに総大将として参戦し、仇である
   明智光秀を倒し、見事に父の無念を晴らしましたが、
   清洲会議では秀吉に主導権を握られてしまい、信長の
   弔い合戦の総大将であったにも関わらず、織田家の
   後継者は甥の三法師に決まりました。その後、信長が
   本能寺の変で倒れたことをよいことにそれまで信長に
   受けた恩を忘れ、天下取りを目指した日本史上
   最大級の大逆臣豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)に
   憤慨し、織田家宿老格の柴田勝家・滝川一益らと
   結び、三法師を擁し秀吉に対して挙兵するも、秀吉
   迅速な行動により、降伏せざるを得なくなり、この時
   秀吉信孝の母と娘(秀吉にとってはついこの間までの
   主君信長の妻と孫)を人質に取るという前代未聞の
   不埒な行動を行いました。そして、賤ヶ岳の戦いが起き、
   再度信孝が反秀吉の兵を挙げた時に秀吉は人質の
   信孝の母と娘、つまり旧主信長の妻と孫を何の迷いも
   なく無残にも磔にして処刑するという大蛮行をやって
   のけます。 結局、信孝も頼みの柴田勝家が北の庄城で
   秀吉に滅ぼされると、信孝一人では抗し難く再び
   降伏をしますが、今回は許されず尾張国知多郡野間
   内海荘の大御堂寺(野間大坊、平安時代末に
源頼朝
   の父、源義朝が家臣に裏切られて暗殺された場所)に
   送られ、自害をして果てました。

   その時に信孝が残した辞世の句が先程の

   〜昔より 主(あるじ)内海(討つ身)の 
      野間なれば むくいを待てや 羽柴筑前

   です。「内海」は「討つ身」とかけています。


   「現代語訳をするとこんな感じ・・・」

   この内海の野間の地は、平治の昔、主人源義朝
   家来の長田忠致の卑劣な裏切り行為によって殺された
   場所だが、長田忠致が結局非業の最期を遂げた
   ようにお前にも必ず天罰が下り「主人殺し」の報いを
   受ける日がくるだろう。古来よりそうして主君を討った
   逆臣は永くは続かん、報いを待つが良い、羽柴筑前よ。

   〜すざましいまでの信孝の怒りと無念の気持ちが
   伝わってきます〜美しくないかもしれませんが、心を
   「強く」そして「激しく」打つものがあります。


   「余談」

   その後も、秀吉は謀略の限りを尽くし、信雄(信長次男)
   三法師(信長嫡孫)を排除し、旧織田家の天下を簒奪
   するという悪行の末に関白となりました。秀吉は現在では
   太閤記などで良いイメージを抱きがちですが、秀吉
   行ったことは紛れもなく下克上の最もたるもので、冷静に
   考えれば、乱世の梟雄として悪名を轟かせている松永
   久秀、斉藤道三らとは比べ物にならない大悪人で徳川
   家康のそれ(豊臣家を滅ぼす)ともまったく違うものです。