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墓 所 名 斯波兼頼の墓
お墓の様子
所 在 地 山形県山形市七日町
5-2-12(光明寺)

〜コ メ ン ト〜

最上氏の祖、斯波兼頼の墓。斯波氏は足利氏の一門で、

嫡流(高経の系統)は室町幕府に仕えて管領家となり、

高経の弟の家兼は奥州探題に補されて陸奥に下向した。

1356(延文元)年6月、家兼が死去すると、長子直持は

奥州探題職を継いで大崎氏となり陸奥国を管し、二男

兼頼は出羽国を管するため同年8月6日羽州探題として

山形に入部した。当時の出羽は北畠氏や大江(寒河江)氏

などの南朝方勢力が強大であったが、1368(応永元)年の

漆川の合戦で大江(寒河江)氏を撃破(この戦いで大江方は

総大将以下、主な武将60余命が自刃し、壊滅的な状態と

なった)した兼頼は、山形における斯波氏の覇権を確立し、

最上氏の礎を築いた。 


※最上氏の系図についてはこちらをご参照下さい。


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