馬坂城(佐竹城、天神林城)
所在地 : 茨城県常陸太田市天神林町
居城とした時期 : 初代昌義〜三代隆義
天承〜保延年間(1131〜1135)頃〜久安年間(1145〜1150)頃
 
 
平安時代末期、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫昌義は久慈郡佐竹郷
 
 の馬坂(常陸太田市天神林町)に定住し、はじめて佐竹を名乗ったという。
 

 
そのためここは佐竹氏発祥の地とされ、またの名を佐竹城とか字名をもとに
 
 天神林城ともいわれた。城は、久慈川の低湿地に突き出した
台地の先端部を
  
 三つの空堀で分断して、馬坂、御城、押葉平の三つの曲輪を設けた平山城で、
 
 北は鶴が池、南西は山田川により隔てられており、三方ともに高さ約30m
 
 の急な崖となっており、久慈平野を一望できる天然の要害である。大手
 
 (入口)は東側で、現在の佐竹寺側にあった。居館は御城の地にあり、その
 
 台地の南側には湧水地がある。なお、台地先端御城の西側の郭は西城と
 
 呼ばれ、源氏塚と呼ばれる古墳を利用した物見塚が存在する。また、西城の
 
 西側には郭状の張り出しがあり、三方に空壕がめぐらされている
 
 惣領家は三代隆義が大田の地に居館を構えて移ったので、この城には初代
 
 昌義、二代忠義しか居住しなかった。その後、馬坂城には四代秀義の子、
 
 義清が稲木氏を名乗って居住したが、稲木氏は山入一揆に与したので
 
 応永24年(1417)に惣領家によって滅ぼされ、続いて十四代義俊の子
 
 義成が天神林氏を名乗り居住したしたが、慶長7年(1602)佐竹氏の秋田
 
 移封にともない廃城となった。


佐竹氏の居城(その1)
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