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月の丸扇 豊臣政権下では天下の六大名(大将)月の丸扇
 
 
 天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐後、佐竹義宣は秀吉から二十一万

 六千七百五十八貫文の本領安堵の朱印状を与えられ、はじめて秀吉政権下の

 大名として正式に公認された。これは当時、徳川家康、毛利輝元、上杉景勝、前田

 利家、島津義久とともに天下の六大名(大将)の一人に数えられるほどの大身で

 あった。また太閤検地の結果に基づいて文禄4年(1595)には、改めて五十四万

 五千八百石の朱印状が与えられた。これも「慶長三年大名録」によると、徳川家康

 (二百五十五万石)、毛利輝元(百二十万石)、上杉景勝(百二十万石)、前田利家

 (八十三万石)、島津義久(七十万石)、伊達政宗(五十八万石)、宇喜多秀家

 (五十七万石)、に次ぐ、全国第8位の大大名である。しかしながら、これとても

 島津家を除けば、徳川家も毛利家も上杉家も前田家も、みな戦国成金大名である。
 
 また、豊臣政権下における他の諸大名もほとんど似たようなものである。なお、

 島津家も先祖は源頼朝の御家人であり、清和源氏の名門である佐竹氏には遠く

 及ばない。このように佐竹氏は戦国末期にはすでに名流中の名流とうたわれて

 いたのである。さらに佐竹氏は与力大名の岩城氏(十二万石)、相馬氏(六万石)、

 多賀谷氏(六万石)、芦名氏(四万五千石)を加えると、実に八十万石という大勢力

 となっており、豊臣政権が続くかぎり、佐竹氏は安泰であるかのように見えた。