ご尊名 |
真 如 海 上 人 | ||||||||
寺院名 | 大日坊 (真言宗豊山派) |
系統 | 大日坊系 (湯殿山系) |
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所在地 | 山形県東田川郡朝日村大網 | ||||||||
ミイラor 即身仏 |
即身仏 | 没年又は 入定年 |
天明3年(1783年) 8月14日 (96歳) |
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入定伝説 | 土中入定 | 通算 訪問回数 |
3 回 | ||||||
お寺の様子 |
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ご尊顔 | |||||||||
お寺の パンフレット より |
代受苦菩薩真如海上人は朝日村越中山に生まれ、 純真な性格の持主として育ち、幼少の頃より仏教の 教えに心をひかれ、青年時代より仏門に帰依出家し、 一生を捧げて弱肉強食の不平等社会を仏国楽土 たらしめ、衆生を救うことを誓願され、湯殿山大権現 を信仰し、本寺大日坊を拠点として各方面の教化に つとめた。寺を建て慈悲を施して社会福祉につとめ られたため、徳望一世に高く、生き仏として多くの 人々より尊ばれた。20代より即身仏を志し、木食 の行に入り、天明3年96才で生身のまま土中に 入定するまで70余年の長い間この難業苦業を 積み重ね即身仏となられた。今日まで約200年 以上もなるが、生きながら入定そのままの尊い姿 である。即身仏とは、湯殿山行者の行う難業苦業の 最たる木食の行を積み重ね、生きながらにして 土中に入定し3年3ヶ月後に弟子や信者の手により 掘り出し、これを清め乾かして即身仏となる。 |
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俺の感想 コメント |
真如海上人は私が初めて対面した即身仏 である。今でも大日坊の仁王門の前に立った 時の言い知れぬ興奮は昨日のことのように 思い出せる程だ。といってもこの日は この後、立て続けに注連寺、本明寺と 訪問して一日で3体もの即身仏と対面する ことになったのだが…。(これは余談ですが、 山形県には8体の即身仏があり、その内の 6体は庄内地方にあり、更にその中の3体は 朝日村に存在しています)さてこの大日坊と いうお寺は「大変立派な」お寺らしく、国道を 走っていると大きな案内看板が目に付くので 素人でも簡単に辿り着けるものと思われます。 なお、参拝をする際にはまず最初に本堂で お坊様の「ありがたいお話し」を聞いた後で、 神社でやるような御祓いをしてから拝観を するのが手順となっています。またこの大日坊 には徳川三代将軍家光の乳母で有名な 春日局も信仰を寄せていたらしく、所縁の品 なども多数展示されています。境内は大変 賑っており、2度の訪問共に私達以外にも 大勢の観光客の方がお見えになって いました。ちなみに大日坊は明治8年に 火災に遭遇してしまい、残念ながら2体の 即身仏が焼失したといわれています。 |