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横須賀百科事典
(横須賀市民の気持ち・価値観・本音編)


「海は狭いな、
小さいな」

これは東京湾側の海沿いに
住んでいる人『限定』の気持ちかも
知れませんが「対岸には房総半島
(千葉)が、海上には見渡す限りに、
これでもかっ!っていうくらいに
船舶が浮かんでいる海(東京湾)」を
見慣れている私達からしてみれば、
海は「狭く、小さなもの」です。
幼い頃にみんなで
「海は狭いなぁ♪小さなぁ♪」
「海にお船を浮かばせて♪
行ってみたいな♪千葉県に♪」
などと童謡の変え歌を歌っては、
親や先生に叱られたものでした。

※ちなみに、今では川崎まで行くと、
東京湾アクアラインなるものがあり、
海にお船を浮かばせなくても千葉県
(木更津)まで行けるようになった
そうじゃ。便利な世の中になった
ものよのう。


「この辺、
外人さんが
多いよね」

横須賀以外の街で、外人さん達を
見掛ける、擦れ違うということは、
大変珍しいことらしく、そんな時には
決まって「この辺、外人さんが多い
よね」とかって言われるのだが、
米軍基地がある横須賀の人間から
してみれば「はぁ〜?どこが?
全然そんなことないよ」という応対に
なってしまい、話がまったく
噛み合わないことが多々あります。
世間の一般常識、社会通念上から
いえば、横須賀の人間の感覚の方が
おかしいのだろうと思うのですが、
横須賀の人間の100人のうち
99人位は「世の中は横須賀が中心で
動いている」と半ば本気で思っていて
「横須賀の価値観が絶対だ!」と
信じて疑わないので、本件に限らず
度々そういうこと(他の地域の人と
話が合わない、合わせない)が
起こり得るということが、近年
科学的にも証明されています。


「花火は海で
打ち上がる
もの!」

三方を海に囲まれている三浦半島の
中央部に位置する横須賀市。
夏の風物詩の花火は決まって海で
打ち上がるものであり、もちろん
花火見物も海辺でするものだと、
信じて疑ってなかったのですが、
ある時、山間部でも花火大会が
普通に行われるという事実を知り
「花火は海に落ちるから危なく
ないんだ」と幼心にそう思っていた
私は、大変なカルチャーショック
を受け、2、3日寝込んで学校を
休んでしまった記憶があります。


「横須賀

自分」

横須賀のことを褒められるとナゼか
自分のことのようにうれしい。
そんなことないよ〜と、一応否定は
するものの、それとは裏腹に心の中
ではかなり浮かれていたりします。
(注:筆者の場合は体重が20`位
落ちたような錯覚に陥る程だ…。)
また、そーいう場面に遭遇した際の
横須賀市民の顔は、決まって
『若い女の子に鼻の下を
伸ばしているエロ親父』のように
しまらない顔をしていることが多い!
これはどんな美男・美女、また、
老若男女にでもそういう傾向が
みられ、それはある意味、横須賀
市民の品格を貶めている行為でも
あるため、私と致しましては、自戒の
念も含めまして、横須賀市民の
皆様に、強く注意喚起を申し
上げたいところでございます。

〜逆に…〜

横須賀のことを「けなされる」と、
自分のことを「けなされている」かの
ような怒りが込み上げてきます。
人によっては自分のことはいくら
悪く言われても我慢できるという
人もいますが、横須賀のことを
けなされると、親兄弟の悪口を
言われるのと同じ、いや、
それ以上の屈辱と受け取る
方も多く、横須賀市民にとって、
それは最も許しがたい行為
以外の何物でもありません。
ちなみに私はこの項目の表題を
「横須賀=自分」と銘打ち
ましたが、近年『実際には
「横須賀>自分」である』との
有力な学説も発表されており、
最近では私もその説に
強く惹かれている次第で
ございます。