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墓 所 名 神原神社古墳 別館のブログへ
古 墳 の
様 子


動 画
所 在 地 島根県雲南市加茂町神原1436
 
~コ メ ン ト~

神原神社古墳は卑弥呼の鏡といわれる「景初三年」銘の「三角縁神獣鏡」が

出土したことで一躍全国的な注目を集めた古墳である。この神原神社が

ある神原郷は「出雲国風土記」によれば「所造天下大神の御財積み置き

給ひしところ(神宝を積んだ場所)」とされていたところで、以前から貴重な

ものが出土する可能性を秘めた場所であった。古墳の存在は古くから

わかっていたが、墳丘の上部に神原神社の本殿が建っていたので調査の

手は加えられなかった。しかしながら昭和47年に川の改修工事に伴い

神社を移転することになり、本殿の真下にあった古墳の発掘調査が

行われたのである。その結果、前述の通り、竪穴式石室から「景初三年」

銘の「三角縁神獣鏡」が出土したのである。鏡は径23cmで鏡背には

「景初三年 陳是作鏡自有経述 本是京師 杜地□出 吏人詺之

位至三公 母人詺之 保子宜孫 壽如金石兮(□は不明)」との

銘文が刻まれていた。景初三年は西暦239年で卑弥呼が中国の「魏」に

使者を朝貢した年で、翌年の帰国時に銅鏡100面を贈られたというのは

「魏史倭人伝」にも記載されているあまりにも有名な話である。「景初

三年銘」の銅鏡は国内では大阪府の和泉黄金塚古墳とこの神原神社

古墳から出土されたわずか2面しかなく、ここから出土した「三角縁

神獣鏡」は卑弥呼が魏から下賜された銅鏡の中の1枚ではないかと

一躍全国的な注目を集めることとなった。(仮にこの神原神社古墳から

発掘された三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡であるとして、さらに想像を

たくましくすれば『この神原神社古墳に埋葬されていたのは卑弥呼で

邪馬台国はこの地にあった』との仮定もできなくはない。事実、

邪馬台国出雲説というものもある)尚、ここから出土した「三角縁

神獣鏡」には「景初三年」という魏の年号が刻まれていることから、

紛れもなく卑弥呼に下賜された銅鏡の中の1枚であるという説も

あれば、これを否定する説もあり、今のところ結論が出ておらず諸説

がある。いずれにしても、古代史ファン必見のロマンを掻き立てる

古墳である。ちなみに竪穴式石室は神社の社殿東側に復元されて

いて自由に見学することができる。

発掘調査
の様子

竪穴式石室から出土した「景初三年」銘の「三角縁神獣鏡