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名 称  生の松原元寇防塁 別館のブログへ
写 真


所在地  福岡県福岡市西区生の松原

〜コ メ ン ト〜

生の松原地区の元寇防塁は肥後国が担当して築造し、警備をした。生の松原地区の防塁は長垂海岸から

小戸海岸に至る約2、5キロに渡って築かれている。防塁は海側に石を積み上げ、陸側は版築と呼ばれる

工法で土と砂を突き固めて構築されている。高さは2、5mで陸側は一段下がって階段状になっている。昭和

43年に発掘調査が行われ、海への傾斜面に幅1〜1、5m、残高1、8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で

補強していることが判明した。また積み上げられた石の種類が、西側は長垂海岸に見られるペグマタイト

(花崗岩)、東側は小戸岬一帯の砂岩ときれいに分かれていたといい、史料によればこの付近の防塁

構築は、姪浜が肥前国、生の松原が肥後国とあり、この石材の違いは両国の分担地区を示す可能性が

あるという。『蒙古襲来絵詞』に描かれた菊池武房主従が陣取る防塁の前を竹崎季長一行が馬上で進む

あの有名な場面はこの生の松原の情景である。防塁の一部は築造時の高さに復元され、見学できる

ようになっている。


〜蒙古襲来絵詞に描かれた元寇防塁〜

築造当時の石築地(元寇防塁)と弘安の役の警備状況を示すのが「蒙古襲来絵詞(竹長季長絵詞とも

呼ばれている)」である。二度の元寇に際し、筑前に駆けつけ、陸でまた海で蒙古軍と戦った肥後国の

御家人・竹崎季長の活躍を描いたこの絵巻物(上下二巻)は十三世紀末から十四世紀初めの成立と

いわれている。上巻には主に文永の役、下巻は弘安の役の場面が描かれている。下巻のはじめに

菊池武房主従が陣取る生の松原地区の元寇防塁の前を従者を従え、馬で東に進む竹崎季長

姿が描かれている。防塁の上では菊地武房をはじめとした肥後の武将たちが臨戦態勢で海の方を

見つめている情景である。

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