トップページへ戻る
墓 所 名 雪舟の墓(重玄寺跡)別館のブログへ
お 墓 の
様 子
所 在 地 岡山県井原市芳井町天神山

〜コ メ ン ト〜

室町時代の画僧で日本水墨画の大成者として画聖と称えられて

いる雪舟の墓。禅僧としての正式な名前は雪舟等楊で雪舟が

号、諱が等楊である。雪舟は備中国赤浜の生まれと伝えられ、

幼少時の宝福寺での修行時代に涙で鼠を描いた逸話は

あまりにも有名である。幼くして京に上り、相国寺で禅の修行を

しながら画を学んだ。その後、大内氏の庇護のもと周防に移り、

応仁元(1467)年に遣明船に便乗して中国に渡り、約2年間

本場の水墨画を学んだ。文明元(1469)年に帰国後は豊後、

周防、石見、丹後、美濃など諸国を旅して各地に画跡を残し、

数々の水墨画の傑作を描いた。雪舟は日本独自の水墨画風を

確立した大成者とされ、現存する作品のうち6点が国宝に、

20点が重要文化財に指定されるなど、日本の絵画史において

別格の高い評価を受けているが、その生涯には謎も多く、雪舟の

亡くなった年には文亀2(1502)年83歳、永正3年(1506)年

87歳との2説があり、終焉の地についても、備中の大月山

重玄寺、石見益田の大喜庵、周防山口の雲谷庵など諸説が

ある。「東福寺誌」や「吉備物語」などの文献によれば、雪舟は

芳井町の重玄寺で亡くなったとされていて重玄寺には雪舟作と

伝えられる「緋衣達磨像」など画幅が数点残されており、平成

8年には雪舟と重玄寺を開いた千畝和尚とを結びつける

資料「也足外集」が発見され注目されているという。また、

雪舟は各地で作庭も行ったと伝えられていて、医光寺、

萬福寺、常栄寺、旧亀石坊の庭園は俗に雪舟四大庭園と

呼ばれている。

日本全国歴史的人物の墓を巡る旅のトップページへ戻る