前のページへ戻る
名 称  三之公かくし平(行宮跡) 別館のブログへ
写 真

所在地  奈良県川上村三之公かくし平

〜コ メ ン ト〜

三之公かくし平は吉野川の支流・北股川よりさらに三之公川を

さかのぼった三重県境に近い深山にある。(現在でも林道終点から

かくし平までは3キロあり、車を降りてから約2時間の行きは登りっ

ぱなしの登山を強いられる場所で命の危険を感じるような場所は

なかったが、帰りは本当にこんなところを登ってきたんだろうか?と

思うほど急な下り坂でかなり怖かった。)この行宮は後亀山天皇の

孫・万寿寺宮(尊義王)が、二皇子の尊秀王(のちの自天王)・

忠義王と共に神璽を所持して御所を構え、南朝復興を画策したと

されるところで、現在は御所跡と尊義王の墓がある。「三之公」とは

この尊義王と二皇子(自天王・忠義王)の3人の皇胤(三之皇)が

一緒に隠れ住んだところから、その名が付いたと伝えられていて、

旧川上村史によると昭和初期にこの地から多くの鏃や刀剣が出たと

されている。この三之公かくし平は南北朝時代に興味を持ってから

というもの、いつかは絶対に訪ねたいと思い続けていたが、実際には


かくし平に行こうと思っても断念す
ることが何度も何度もあった。

が、思い続けて十数年。ついに
一念発起して訪ねることができた。

それにしても・・・、いくら何でも本当にこんなところに隠れ住んだの

だろうか?等、色々と思うところも少なからずあったのだが、

いずれにしても室町幕府の追討から目をくらますためにこんな

山奥で活動せざるを得なかったのだろうと思うと実に実に

感慨深いものがあった。

トップページへ戻る