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後南朝とは端的にいえば「その後の南朝」という

意味である。具体的にいえば明徳3(1392)年の

南北朝合一以降に起こった、南朝の系譜をひく

皇胤とそれを擁した旧南朝勢力による断続的に

再三繰り返された皇位奪還運動の歴史のことで

ある。これは南北朝合一の際の条件をことごとく

踏みにじられ、特に最重要条件であった「皇位の

継承は、旧南北双方より相代(あいがわり)で行う」

という皇位の両統迭立が履行されなかったことに

対する旧南朝勢力による皇位奪還を目指した

反幕活動であったが、室町幕府および北朝は

合体の際の条件を履行する気など最初からなく、

後南朝の蜂起は天皇家に対する謀反として容赦

なく鎮圧された。度重なる蜂起も応仁の乱を最期

として政治問題としての後南朝は南北朝合一後、

約90年で収束した。尚、後南朝という言葉は当時の

史料には登場しない言葉で、後世の歴史家が作った

歴史用語である。江戸時代後期の伊勢の漢学者・

斎藤拙堂が草した「後南朝遺蹟碑記」の中で

「南朝の事、あに言を忍ばんや。前南朝なほ然り。

いわんや後南朝の式微をや。後南朝とは何。

後亀山帝の後を謂ふなり」とあり、後南朝という

言葉が初めて使われたとされている。
『 後 南 朝 と は 』