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名 称  かずら橋 別館のブログへ
写 真

所在地 善徳のかずら橋→徳島県三好市西祖谷山村善徳162−2
 
奥祖谷二重かずら橋→徳島県三好市東祖谷山村菅生620

〜コ メ ン ト〜

急峻な四国山地に抱かれた祖谷地方は屋島の合戦に敗れ逃れた

平国盛と安徳天皇の一行が平家再興を願い隠れ住んだと伝わる

落人集落である。近代まで外部との交通が隔絶され、外部の人が

ほとんど足を踏み入れなかったために日本三大秘境の一つとされ、

日本有数の圧倒的な質と量の平家落人伝説が語り継がれていた

地方でもある。この祖谷地方を流れる祖谷川に架けられているのが

日本三奇橋の一つとされる「かずら橋」である。この「かずら橋」は

『源氏の追討軍が攻め寄せてきた場合に直ちに切り落として、その

侵入を防げるように野生のシラクチカズラという植物の蔓を編んで

架けた』と伝えられているもので、江戸時代の記録によると「祖谷に

一三のかつら橋有、善徳を第一とす・・・」と13のかずら橋があった

といい、明治時代にも同様に13のかずら橋があったとされるが、

大正時代に入って急速に減少し、善徳のかずら橋一つを残すのみ

になったという。しかしながら、この善徳のかずら橋も大正12年に

針金を使った吊り橋となり、かずら橋は祖谷地方から消滅して

しまったとのことである。尚、善徳のかずら橋が復元されたのは

昭和3年3月のことで、当時の池田町長の発起で「祖谷渓

保勝会」が組織され、善徳青年団をはじめ善徳校区の青年団の

協力のもとにかずら橋が復元されたという。また、東祖谷の奥祖谷

かずら橋の復元は女橋が昭和45年3月で、男橋が昭和59年3月

であり、これは東祖谷山村の事業としてなされたとのことである。

尚、現在のかずら橋は残念ながら危険防止のためワイヤーで補強

されてしまっている(昔はかずらだけで作られていたので、揺れが

激しく慣れない人は渡ることができなかったという)が、それでも

橋床の隙間からは谷底が丸見えで、そうは(補強されている)

いってもかなり揺れて歩を進める都度にギシギシと音がする

ので、それなりに?スリルと恐怖を感じることができるだろう。

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