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墓 所 名 島津久経の墓
お墓の様子
所 在 地 鹿児島県出水市野田町下名
5735(感応寺五廟社)

〜コ メ ン ト〜

島津家第三代当主・久経の墓。父は忠時、母は伊達

判官入道念性の娘。文永2(1265)年に父から家督を

譲られ鎌倉に赴き、有力御家人の一人として昼番衆

などに選ばれた。蒙古襲来(文永の役)後の建治元

(1275)年から鎌倉幕府の命により九州に下向。筑前

筥崎で元軍の再襲来にそなえる。弘安4(1281)年の

蒙古襲来に際しては薩摩の御家人を率いて壱岐に

渡り奮戦するなど大いに活躍して武功を挙げた。その

模様は竹崎季長の「蒙古襲来絵詞」に描かれている。

(蒙古襲来絵詞にみえる久親が久経とみられている。)

その後、弘安7(1284)年閏4月21日筥崎で没し、

跡を子の忠宗が継いだ。尚、久経の墓とされる

ものは鹿児島市の本立寺跡にもある。

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