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『 神代三山陵の真実 』
      〜私なりの結論〜  
神代三山陵を巡る旅もひとまず区切りを
付けることができた。(というか区切りを
付けることにした。)

そもそもウソかホントかもよくわからない、
日本神話に登場する神々(人々)のお墓を
探すなんてナンセンスでまったく意味の
ないバカげたことだ!と言われれば
まさにその通りなのかも知れない。

しかしながら、神代三山陵の伝説・伝承地を
訪ね歩くことは、世界最古の国ながら
その成立過程が曖昧模糊としている
我が国発祥の謎に迫るようで実に実に
興味深く、楽しいものであった。

が、神代三山陵とされるものを訪ね
歩くにつれ、私は下記のような感想を
抱くことが多いことに途中から薄々
気付いていた。

それは…『なぁ〜んだ、単なる山じゃん、
単なる古墳じゃん、何もないじゃん』と
いうものである。

私が感じた『単なる山』とは「古墳と
言われれば確かにそれらしく見えなくも
ない丘陵地」であったり、それっぽく整備
されていても「本当にその辺にありそうな
裏山」といった何てことのない感じの
ところ…という印象だった。

また、私が感じた『単なる古墳』とは
その名の通りどこにでもありそうな
「古墳」である。がしかし、そもそも神代
とされる神々の亡骸が本当に古墳に埋葬
されたのであろうか?また、○○古墳群の
中の「ある一つの古墳」が神代三山陵と
伝えられている場合もあるが、普通に
考えればそれら(○○古墳群)はその
土地の有力者・権力者たちを葬った
古墳群であるはずであり、その中の
一つだけが特別に神代三山陵だと
言われても何やら合点がいかない。

そうした「いかんともしがたい」悶々とした
気持ちは日々大きくなるばかりだったが、
江戸時代までは高屋山陵の一番有力な
候補地だったという国見山を訪ねた時に
私は神代三山陵について『私なりの結論』
を得た。

その時のことを回想してみよう。この国見山は
標高886mで山頂に行くためには、車を降りて
から小一時間ほど歩かなければならないので
かなり面倒で苦労をさせられるところである。

そうしてようやくたどり着いた山頂の国見権現
には彦火火出見尊を祀る祠があり、文化14年
(1818年)9吉日の銘がある石灯籠をはじめ
古跡塔があるが、これらは近年(といっても江戸
時代だろうが…)に造られたものであろう。

結局のところ、やっぱり国見山も単なる山
だったのである。しかしながら、国見山は
標高886mで今でこそ途中まで車で登って
いくことができるが、それこそ昔の人は
仰ぎ見ることはしていても、よほどの特別な
事情でもない限り『そこ(山頂)』まで登って
いくことはなかったはずである。

そういった普段人々が決して近付くことがない、
どこぞの山に神様は姿を消したと言われた方が
伝説としてはより説得力があるような気がする。

そもそも、古来より天皇が崩御をすると
「お隠れになる」といった言葉が使われる。

『神代三代とされる神様たちは人知れずに
どこぞの山にお隠れになった』

そう説明されることこそが「一番わかりやすく、
一番理屈が通り、一番説得力があるのでは
ないか」というのが『私なりの結論』だった。

思えば、大和国の一之宮で日本最古の神社の
一つとされる大神神社は三輪山そのものを
ご神体(神)としていて本殿を持っていない。

繰り返しになるが、神代とされる神様たちが
『古墳に埋葬された』というのからしてきわめて
疑わしいし胡散臭い。また、ここが神代とされる
神様たちが埋葬された古墳だと特定されたと
しても逆にロマンもへったくれもなく、興醒め
するような気がする。

結局のところ、神代三山陵の伝説・伝承地を
あらかた訪ね終えた私が最後に至った結論は
「神話は神話、伝説は伝説で、その役目を
終えた神様は『人知れずにどこぞの山に
お隠れになった』ということにしておくのが
一番良いのではないか?」という、自分が
何年も掛けて追い続け、探し求めてきた
こととは正反対の結論を得るという何とも
間抜けな結果となったのである。

〜完〜