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墓 所 名 高屋山上陵(国見権現)
(彦火火出見尊(ヒコホホ
 デミノミコト=山幸彦)
の陵墓
お墓の様子
所 在 地 鹿児島県肝付町国見山

〜コ メ ン ト〜

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の子である彦火火出見尊(ヒコ

ホホデミノミコト)の陵墓。彦火火出見尊とは瓊瓊杵尊

(ニニギノミコト)
に一夜の交わりで妊娠したのを疑われた

木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が疑いを晴らすために

産屋に火を放ってその中で生まれた三柱の御子の末弟で

海幸彦・山幸彦の神話の「山幸彦」のことである。兄の

海幸彦は海で魚をとり、弟の山幸彦は野や山で狩りをして

暮らしていたが、ある日兄弟は道具を交換し海幸彦は

山に、山幸彦は海に出かけた。ところが、弟の山幸彦は

兄の海幸彦が大切にしていた釣り針を失くしてしまった。

山幸彦は釣り針はたくさん作って返すと謝ったが、海幸彦は

もとの釣り針でなければ嫌だといって受け取らず、困り果てた

山幸彦が海辺で泣いていると塩土老翁が現れ、山幸彦に

海神の宮に行くように教えた。そこで豊玉姫と結婚し、

3年間暮らしたが、釣り針のことを思い出すと憂鬱に

なった。すると海神はすべての魚を集めて鯛の喉から

釣り針を見付け出し「オボチ、ススチ、マジチ、ウルチと

唱えながら、手を後ろにまわして兄に返しなさい」といい、

そして塩満珠と塩乾珠という2つの玉を授けて鰐の背に

乗せて地上に送り返した。いわれた通りに呪文を唱えて

返すと兄の海幸彦は貧しくなってしまった。弟を憎んだ

海幸彦が攻めてきた時には塩満珠で兄を溺れさせ、兄が

許しを請うと塩乾珠を使って助けて海幸彦を降伏させた。

海幸彦・山幸彦の神話では兄の海幸彦は隼人の祖先と

されており、大和朝廷側の山幸彦が隼人族を支配する

ことの起源神話になっている。現在、標高886mの国見山

山頂にある国見権現には彦火火出見尊を祀る祠があり、

文化14年(1818年)9吉日の銘がある石灯籠をはじめ

古跡塔がある。明治5年6月に明治天皇が西郷隆盛など

公武官を従えて鹿児島に巡幸された際には、鶴丸城から

皇祖の眠る薩摩川内市の可愛山陵、内之浦の高屋山陵

(国見権現)、鹿屋市の吾平山陵の三山陵を遙拝

されたといわれており、江戸時代まではこの国見山が

高屋山陵の一番有力な候補地だったともいう。

また、高屋山上陵とされるものは鹿児島県の霧島市

宮崎県の西都市(都於郡城)
宮崎県の宮崎市

(高屋神社)
など他にも複数の伝承地がある。


※神代三山陵の考察についてはこちらをご覧下さい。

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