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墓所名 道鏡塚(弓削道鏡の墓)別館のブログへ
お墓の
様子

所在地 栃木県下野市薬師寺
1416(龍興寺)

〜コ メ ン ト〜

龍興寺の境内にある道鏡塚は、奈良時代の僧・道鏡の墓と

伝えられている古墳である。道鏡は河内国若江郡弓削郷に

生まれ、若くから仏教の修行を行い僧となったとされる。

孝謙上皇の病気を治したことで寵愛を受け、政界に進出。

藤原仲麻呂の乱後、上皇が称徳天皇として再び即位

すると信任を得て僧侶としては初めて大政大臣禅師に、

さらには法王という位にまでのぼりつめて権勢をふるった。

神護景雲3(769)年には皇位を狙い、太宰主神の習宣

阿曾麻呂に「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰で

ある」とする神託が宇佐八幡大神よりおろされたという

奏上をさせた。しかしながら、その真偽を確かめるために

遣わされた和気清麻呂により「我が国は開闢以来、

君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざる

なり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく

早く掃除すべし。」との報告がもたらされ即位計画が

破綻すると、和気清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたな

まろ)と改名させ、脚の腱を切って大隅国へと流した。

しかし、称徳天皇の崩御後に失脚し、宝亀元(770)年

8月に下野薬師寺別当として配流され、2年後にこの地で

生涯を閉じたとされている。道鏡の死は下野国司により

都に報告されたが、その際には「死」と表記されており

(律令では、貴族が亡くなると「薨」や「卒」と表記される。)

また、その葬送については「死するときは庶人を以て

これを葬る」と明記されていることから、一般庶民と

同じ扱いとされたということがわかるという。

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