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墓 所 名 武田義信の墓
お墓の様子
所 在 地 山梨県甲府市東光寺
3−7−37(東光寺)

〜コ メ ン ト〜

武田義信の墓。義信は晴信(信玄)の嫡男で、母は正室の

三条夫人である。いわゆる甲駿相三国同盟により、天文21

(1552)年に今川義元の娘を妻に迎えた。また、この婚儀の

翌々年7月には相模の北条氏康の娘が義元の嫡子・

氏真に嫁し、同年12月には信玄の長女が氏康の嫡子・

氏政に嫁している。義信は武田太郎を称し、天文22

(1553)年には将軍・足利義輝の偏諱を受けて義信と

名乗り、弘治3(1557)年には20歳で准三管領に任じ

られている。しかし、信玄が駿河への侵攻を図るように

なると、氏真の妹を妻としていた義信はこれに反発し、

父子の間は不和になっていった。永禄8(1565)年8月

には義信の謀反事件が発覚し、9月には甲府の

東光寺に幽閉され、永禄10(1567)年10月19日に

自害させられた。


※甲斐武田氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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