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墓 所 名 吉良氏墓所
お 墓 の
様 子
所 在 地 神奈川県横浜市南区
蒔田町932(勝国寺)

〜コ メ ン ト〜

吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、三河国吉良荘より

起こった。吉良氏はその庶流で、室町・戦国期を通じて、

吉良氏は足利氏御一家として家格の高さを誇っていた。

応永年間(1394〜1427)に武蔵世田谷に本拠を置き、

吉良政忠、あるいは成高の時に蒔田を領有するように

なったとされる。十六世紀、頼康・氏朝の代には後北条氏

とも婚姻関係にあり、中世後期の室町時代には、この

蒔田の地で「蒔田御所」と称せられた館を構え、将軍家の

一家として諸侯から一目置かれる存在だった。勝国寺は

館が存在した丘陵の下に位置し、文明11(1479)年に

吉良左京太夫政忠が父・頼高の供養のために建立

したとされる。開基以前は霊応寺とされていたが、政忠の

開基により勝国寺と改め寺格が昇格した。その寺名は

吉良政忠の法号「勝国寺殿昭岳道旭大居士」と一致

するため、その子成高が父の追善のために創立した

節もあると考えられている。この勝国寺裏山の墓地には、

吉良家の供養塔である四基の五輪塔が所存していて、

五輪塔の最も大きなものは、高さ102cmを測り、さらに

その一基(右から2番目)には、正面に「祖師西来」、

台石に「政忠塔」、裏面に「照岳道旭大居士」「文亀

二年六月十七日」と刻されていることから、本五輪塔は

政忠の供養塔と考えられている。


※吉良氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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