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墓 所 名 赤松貞範の墓
お墓の様子
所 在 地 兵庫県丹波市市島町
白毫寺709(白毫寺

〜コ メ ン ト〜

赤松貞範の墓。貞範は
円心(則村)の次男で、建武2

(1335)年に足利尊氏が中先代の乱の鎮圧のために

鎌倉に下った際には、円心(則村)から精鋭300騎を

与えられて尊氏に従った。翌建武3(1336)年に足利

尊氏と新田義貞が激突した箱根竹下の戦いでは

新田軍を打ち破る大手柄を立て、のちに美作国

守護に任じられた。観応2(1351)年に赤松家惣領

である兄・範資が亡くなった際には弟である則祐が

赤松家惣領職と播磨守護職を安堵されたが、その

理由は貞範が中央政界から疎まれていたためと

される。以後、貞範の系統は赤松春日部家と

呼ばれ、室町幕府の御共衆に加えられる有力な

庶流となり、後年、足利将軍家の近習に選ばれた

赤松持貞・赤松貞村を輩出した。尚、この宝篋印塔

には台石に貞治4(1365)年建立の銘があるため、

造立時期が明確で、南北朝時代の技法を知る上

でも貴重であるという。また、姫路城の始まりは、

貞範による築城とする説が有力であるという。

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