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墓 所 名 竹崎季長の墓
お墓の様子
所 在 地 熊本県宇城市小川町
北海東2601−1

〜コ メ ン ト〜

竹崎季長の墓。季長は鎌倉時代後期の武士で肥後国の

住人。菊池氏の一族とする説が有力であるが、本領の

益城郡竹崎を失っていた季長は、文永11(1274)年の

元寇の際に、少弐景資の指揮のもと、一族とともに

一番駆けをして沿岸の防塁で蒙古軍との激戦を戦い、

この戦いで「戦功第一」と記録されながら、いつまで

待っても恩賞の知らせが来なかったため、翌年鎌倉に

赴き、御恩奉行の安達泰盛に直訴して益城郡海東郷の

地頭職を得た。弘安4(1281)年に蒙古軍が再び高麗軍

とともに襲来したときには、大友貞親・少弐資能・菊池

武房らとともに敵船に乗り込み、大いに戦い、敵の首級を

あげるなどの活躍をし、その上陸を防いだ。戦功によって

得た海東郷の経営に季長は一生懸命に取り組み、神仏に

対する崇敬の念も深く、菩提寺となる塔福寺を建立して

出家し、また、自分の経験した2度の蒙古襲来や幕府への

直訴などを後世に伝えるため、『蒙古襲来絵詞』を作らせた。

この絵巻は文永・弘安の役(元寇)の様子が絵と詞書に

克明に記録されていて鎌倉時代の様子を示す貴重な

史料となっている。

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