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墓 所 名 一色範光の墓
お墓の様子
所 在 地 愛知県知多市岡田太郎坊
108−1(慈雲寺)

〜コ メ ン ト〜

一色範光の墓。範光は九州探題として九州経略にあたっていた

父・範氏、兄・直氏を助け、九州各地を転戦して南朝方および

直冬党と戦ったが、結局何ら成果をあげることなく、逆に懐良

親王の率いる征西府に九州の拠点である大宰府を制圧されて

帰京するという有様だった。九州探題として在任約20年にも

関わらず、何ら成果をあげることなく太宰府陥落という大失態を

おかした一色範氏・直氏父子はこれを恥じて隠退したのか、

以後、どのような資料にも名は見られなくなり、一色氏は逼塞

することを余儀なくされた。しかしながら、貞治5(1366)年8月に

斯波高経が失脚して若狭守護を解かれると、その後任として

範光が若狭守護に任じられた。若狭は伝統的に国人の

独立性が強く、一色氏の支配に頑強に抵抗してきたが、

範光は総力を挙げて遂にこれを鎮圧、支配を貫徹することに

成功し、若狭に初めて本格的な守護支配体制を確立し、

のちには三河守護にも任じられるなど四職の一角として

一色氏の繁栄の基礎を築いた。尚、墓石は風化が進んで

おり、表層面はボロボロで今にも剥がれそうになっていた。


※一色氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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