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●コラム60 長石林道と老越路峠の巻き●

石仏探訪ライド 足利、松田から老越路峠

 足利、松田から長石林道や老越路峠、皆沢あたりを自転車で巡ってきました。

 代わり映えのないコースで、撮ってきた写真を見ても石仏の写真ばかり。なんだか地味ですが、石仏探訪ライドというタイトルにしました。

 正月休み最終日の1月4日、足利松田から桐生梅田を走った。ルートは以下。
 太田市の自宅から葉鹿橋で渡良瀬川を渡る。松田川に沿って走る県道219号松田葉鹿線を北上。松田川ダムの手前から長石林道に入り、達磨杉の峠を越えて佐野方面(旧田沼町)へ下る。
 長石林道を下りきると、すぐ正面が老越路峠となる。老越路峠に残る往昔の石仏群を観察し、いったん飛駒へ下った。ここで折り返して老越路峠を登り返す。
 あとは皆沢を経由して梅田湖へ。梅田湖から桐生田沼線を南下し、桐生市街を通過して桐生大橋より渡良瀬川の右岸に戻る、というルート。
 総走行距離は約70キロ。久しぶりに走ったなあ、と感じた。

@ 松田川沿いの道
 松田葉鹿線の付け替えがなされ、道路が新しくなって、だいぶ走りやすくなった。葉鹿橋を渡った後、そのまま道なりに走ると松田葉鹿線である。
 以前は、自転車でストレスなく快走できる場所に出るまでの市街地部分に、いくぶんごちゃごちゃとした感じがあって、走りづらかったが、いまは、すんなりと抜けられる。
 馬打峠への分岐を過ぎる頃から道は山懐を行くようになる。わきを流れる松田川の川幅もしだいにか細くなって、渓相も上流部のそれに変わる。辺りの景観は、途端に山里らしさを増した。
 自転車を走らせながら見上げる周辺の山肌は、濃い緑の植林部分とすっかり葉が落ちて灰色がかった薄茶に見える雑木の部分とがまだら模様をなしている。そうした植生の入り組み具合が、この地域の真冬時期に典型的な里山風景を作りだしている。
青面金剛。中手橋近く。 中手橋の手前の路傍に、数基の石仏が祀られている場所があった。正月らしく、注連縄が張られ幣束が垂れていた。その中央に、立派な青面金剛像があったので、写真を撮る。
 銘には「天明八戊申年 十一月吉日 講中」とある。邪鬼を踏む。踏まれる邪鬼には、どういった意味があるのか分からないが、紅く塗られた跡があった。台座に彫られた三猿は大きく、両側の猿が横向きであるのも面白かった。
 他に、元禄十四年の青面金剛像、寛政十二年の庚申文字塔、同じく寛政年間の念佛供養塔(「観世音」と刻まれる)などが並んでいた。


A 根本山の道標
根本山神社の道標。 現在は廃校となっている松田小学校の、県道を挟んだ向かい側の小高い場所に、如意輪観音のお堂がある。お堂の横には、庚申の文字塔や青面金剛像が並んでおり、そのなかに根本山神社の道標(写真の道標のうち右側の古いもの)がある。
 この道標は、大変興味深いものである。以前にも見たことがあって、本ページでも取り上げたことがあるのだが、再度立ち寄ってみた。
 足利市指定文化財(考古資料)であり、解説板が掲げられている。それほど長い文章ではないので、そのまま引用してしまおう。
「この道標は、松田街道と猪子峠を経由して小俣へ抜ける山道の分岐点に建つ。
 高さ六十四cm、幅十八cmで頭部をわずかに方錘形にした安山岩の角柱で、三面に次のような陰刻銘がある。
正面(東側)根本山神 五里廿丁
右側面(北側)天保六未年 晩春吉日
左側面(南側)おまた道 田嶋佐吉 下山浅七 樋口善エ門 遠藤左治良
 北へ直進すると皆沢経由で根本山山頂の根本山神社まで二十・二km、西へ折れると小俣へ抜ける道であること、天保六年(一八三五)に建てられたこと、田嶋佐吉以下の人たちが建立したことが知られる」

 この道が往時は根本山神社への参詣道であったことも、もちろん興味を引かれるのだが、この道標が建つ場所が猪子峠への分岐点であったということも興味深い点である。現在、猪子峠を越える車道(実際には峠の下にトンネルがうがたれている)は、もっと北の位置に造られているが、猪子峠の旧道は、この辺りから西に延びていたことが知れるからである。
 写真の左に写る新しい道標は、大正7年に松田の青年会によって建立されたもので、「右 名草飛駒方面 左 小俣ヲ経テ桐生方面」の文字が刻まれている。なお、この場所には、他に延宝8年の青面金剛像(「上松田村」の銘や願主8名の名前も刻まれている)や如意輪観音像などもあり、古くはこの地の人たちにとって交通の要所であり、信仰の面でも重要な場所であったことが分かる。

B 長石林道
長石林道最高点。長石林道。 長石林道を登る。この登りはこたえた。正直、疲れた。ただ、この日の峠からの眺めは素晴らしかった。
 けっこう汗をかいたので、ウエアを着替え、水筒のお茶を口にする。峠の手前に防火水槽がある。この貯水槽のコンクリートは荷物を置いたり、座って休憩をするのにちょうどいい。見晴らしも抜群なので、休憩を兼ねて、足利方面の遠景を眺めながらしばらくぼんやりとしていた。
 この峠付近に、昔、達磨杉(だるますぎ)という特徴的な形状を持つスギの木が生えていて、峠の目印になっていたらしい。ここは、半日のサイクリング程度で太田から登れる場所としては、屈指の好展望が得られる場所かと思う。自転車向きの好展望道路で他に思いつくのは、桐生梅田から登る林道三境線と大間々小平からみどり市の座間へ抜ける小平座間線くらいであろう。

C 老越路峠の石仏
老越路峠の馬頭観音像。老越路峠。 長石林道を下りきると、老越路峠はすぐ目の前である。わずかな登りですぐに峠の最高点に着くが、ここは道路工事によって切り下げられた車道の峠であって、旧来の老越路峠はもっと高い位置にあったのだろう。
 法面のコンクリート壁の上部(車道西側)に峠の石仏群が残っている。もっとも、いま石仏が置かれている場所が旧来の峠であったのか、それとも道路工事のために、その場所に移されたのかは定かではない。
 車道法面の最上部付近、山に分け入る境界辺りに石積みがあり、その上下に数基の石仏が並んで祀られていた。とくに目を引くのは、天明年間の馬頭観音像(「天明二壬寅十月吉日」「下野國安蘇郡佐野飛駒邑中」の銘がある)である。笠付きで、三面六臂の馬頭観音像の浮彫りもなかなか見事なものだが、残念ながら私が訪れた時には笠の部分が落下していた。持ち上げようと試みたが、一人では無理であった。腰を痛めるのも嫌だし、あきらめてそのままにしておいた。
 「峠山神」と刻まれた石塔、「根本山神」の石柱、自然石の庚申塔などもある。石積みの奥には、山神の石祠も祀られている。この祠には、明治6年の銘があり、比較的新しいもののようであった。

D 皆沢の庚申塔
皆沢の馬頭観音。皆沢の庚申塔群。 帰路は皆沢を経由して梅田湖に出る道を選択した。全体に下り基調で楽だからである。再び長石林道を登り返す気力は残っていなかった。
 皆沢集落の入口、皆沢林道との分岐点に多くの庚申塔が立ち並んでいる場所がある。数えてみると、欠けたり倒れているものも含めて15基ほどあった。全て文字塔で、青面金剛像が一つもないのは残念であった。ただ、かなり巨大な塔もあり、これだけ並ぶと壮観である。巨大な百庚申塔には天明7年の銘があり、他に元文5年のものなどがあった。
 スギの古木の根元に、巨大な庚申塔に囲まれて小さな馬頭観音像(「安永四乙未」「入彦間皆沢」)が一つだけあり、静かに手を合わせるその姿にはしんみりとした味わいがあった。

(総走行距離 69.9キロ 走行日 12/01/04) 

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