正月休み最終日の1月4日、足利松田から桐生梅田を走った。ルートは以下。
太田市の自宅から葉鹿橋で渡良瀬川を渡る。松田川に沿って走る県道219号松田葉鹿線を北上。松田川ダムの手前から長石林道に入り、達磨杉の峠を越えて佐野方面(旧田沼町)へ下る。
長石林道を下りきると、すぐ正面が老越路峠となる。老越路峠に残る往昔の石仏群を観察し、いったん飛駒へ下った。ここで折り返して老越路峠を登り返す。
あとは皆沢を経由して梅田湖へ。梅田湖から桐生田沼線を南下し、桐生市街を通過して桐生大橋より渡良瀬川の右岸に戻る、というルート。
総走行距離は約70キロ。久しぶりに走ったなあ、と感じた。
@ 松田川沿いの道
松田葉鹿線の付け替えがなされ、道路が新しくなって、だいぶ走りやすくなった。葉鹿橋を渡った後、そのまま道なりに走ると松田葉鹿線である。
以前は、自転車でストレスなく快走できる場所に出るまでの市街地部分に、いくぶんごちゃごちゃとした感じがあって、走りづらかったが、いまは、すんなりと抜けられる。
馬打峠への分岐を過ぎる頃から道は山懐を行くようになる。わきを流れる松田川の川幅もしだいにか細くなって、渓相も上流部のそれに変わる。辺りの景観は、途端に山里らしさを増した。
自転車を走らせながら見上げる周辺の山肌は、濃い緑の植林部分とすっかり葉が落ちて灰色がかった薄茶に見える雑木の部分とがまだら模様をなしている。そうした植生の入り組み具合が、この地域の真冬時期に典型的な里山風景を作りだしている。
中手橋の手前の路傍に、数基の石仏が祀られている場所があった。正月らしく、注連縄が張られ幣束が垂れていた。その中央に、立派な青面金剛像があったので、写真を撮る。
銘には「天明八戊申年 十一月吉日 講中」とある。邪鬼を踏む。踏まれる邪鬼には、どういった意味があるのか分からないが、紅く塗られた跡があった。台座に彫られた三猿は大きく、両側の猿が横向きであるのも面白かった。
他に、元禄十四年の青面金剛像、寛政十二年の庚申文字塔、同じく寛政年間の念佛供養塔(「観世音」と刻まれる)などが並んでいた。
現在は廃校となっている松田小学校の、県道を挟んだ向かい側の小高い場所に、如意輪観音のお堂がある。お堂の横には、庚申の文字塔や青面金剛像が並んでおり、そのなかに根本山神社の道標(写真の道標のうち右側の古いもの)がある。
B 長石林道

長石林道を登る。この登りはこたえた。正直、疲れた。ただ、この日の峠からの眺めは素晴らしかった。
けっこう汗をかいたので、ウエアを着替え、水筒のお茶を口にする。峠の手前に防火水槽がある。この貯水槽のコンクリートは荷物を置いたり、座って休憩をするのにちょうどいい。見晴らしも抜群なので、休憩を兼ねて、足利方面の遠景を眺めながらしばらくぼんやりとしていた。
この峠付近に、昔、達磨杉(だるますぎ)という特徴的な形状を持つスギの木が生えていて、峠の目印になっていたらしい。ここは、半日のサイクリング程度で太田から登れる場所としては、屈指の好展望が得られる場所かと思う。自転車向きの好展望道路で他に思いつくのは、桐生梅田から登る林道三境線と大間々小平からみどり市の座間へ抜ける小平座間線くらいであろう。

長石林道を下りきると、老越路峠はすぐ目の前である。わずかな登りですぐに峠の最高点に着くが、ここは道路工事によって切り下げられた車道の峠であって、旧来の老越路峠はもっと高い位置にあったのだろう。
D 皆沢の庚申塔

帰路は皆沢を経由して梅田湖に出る道を選択した。全体に下り基調で楽だからである。再び長石林道を登り返す気力は残っていなかった。
皆沢集落の入口、皆沢林道との分岐点に多くの庚申塔が立ち並んでいる場所がある。数えてみると、欠けたり倒れているものも含めて15基ほどあった。全て文字塔で、青面金剛像が一つもないのは残念であった。ただ、かなり巨大な塔もあり、これだけ並ぶと壮観である。巨大な百庚申塔には天明7年の銘があり、他に元文5年のものなどがあった。
スギの古木の根元に、巨大な庚申塔に囲まれて小さな馬頭観音像(「安永四乙未」「入彦間皆沢」)が一つだけあり、静かに手を合わせるその姿にはしんみりとした味わいがあった。
(総走行距離 69.9キロ 走行日 12/01/04)