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●コラム57 唐沢山の巻き●

久しぶりに行ってみた唐澤峠、と唐沢山

 久しぶりに唐澤峠と唐沢山に行ってみました。

 太田市により八王子丘陵の遊歩道整備が進められています。
5 月に藪塚、石尊宮から籾山峠、菅塩峠を経て唐沢山まで歩いたので、
今回は、唐沢山から東側の区間を探索してみました。

 吉沢から唐澤峠へ登り、稜線伝いに唐沢山まで歩きました。

@ 八王子丘陵の遊歩道整備
 5月の3日に、八王子丘陵の尾根の一部を歩いた。藪塚温泉の北側に勝負沼と称される溜め池がある。この池の手前から丘陵の主稜線に至る道が付けられている。この道は沢に沿っており、沢の名は青木沢というらしい。稜線に出る手前の場所に、十一面観音の石像と石尊の石祠が祀られている。この青木沢沿いの道を詰めて尾根に乗り、東に向かった。
 籾山峠を過ぎてしばらくの間は従来と変わらない雑木のなかの小道が続いていたが、菅塩峠に近づく辺りから尾根道の様子が一変した。道沿いの雑木は伐採され、下草が刈られていた。稜線伝いに付けられていた小道は、一定の道幅で整地され、拡幅されている。勾配の急な場所には、木製の階段が造られていた。太田市が進める里山整備事業により遊歩道工事が進行していたのだった。
 菅塩峠から唐沢山へ向かった。以前は、歩くのにやや難渋するやぶ尾根であったが、道は整備されており、難なく唐沢山の山頂に着いた。あっけないほどの近さに感じた。もともとの距離はそれほど離れてはいなかったわけである。
 唐沢山よりさらに南東側の場所でも遊歩道工事は進展しているらしかったが、この日は、唐沢山で引き返し、菅塩峠から里に下った。唐沢山から南東側の尾根道がどうなっているか気になったので、今回、唐澤峠から唐沢山までの尾根を歩いてみた。

A 唐澤峠と唐沢山
 周回のルートをとることができるので、次のような経路で歩いた。
 吉沢から新堀沢に沿った林道をさかのぼって八王子丘陵の主稜線に乗る。稜線に出た辺りから南東の方向にNTTの旧北金井無線中継所がある。この無線中継所の鉄塔が建つ辺りを唐澤峠と称したらしい。新堀沢に沿う道は吉沢と北金井を結ぶ峠道として使われていたようである。
 唐澤峠付近から主稜線を北西に歩いて唐沢山に向かう。山頂からは北東に下って東沢寺に降りる道もあるが、この道ではなく、「とりでんさま」と呼ばれる石祠の横を通過して南東に下り、新堀沢沿いの林道へ戻る。

 唐沢山は『山田郡誌』に以下のようにある。

「毛里田村大字吉澤の西北隅字唐澤にあり。高さ二六一・一米、南方丸山村に属し西北は本郡廣澤村に属す。西方脈を新田郡強戸村大字北金井に通じ、又廣澤山に連る。登路字唐澤よりす。(中略)遺形の見るべきものなきも園田氏の居城唐澤城址はここか」

 「園田氏の居城唐澤城址はここか」とあるように、唐沢山は、中世には山城が築かれていたようである。
 山崎一著『群馬県古城塁址の研究 上巻』(1971年)の「桐生及び山田郡の城址 111唐沢山城」に、桐生市広沢の石尊山(現在唐沢山と称されるピークは、石尊が祀ってあるために石尊山と呼ばれる)が「唐沢山城の中核と思われ」とある。
 石尊山の周辺に山城の遺構も残っているらしいのだが、山崎氏の記述は「…らしいものがある」というのが多く、明瞭な遺構は確認できないようである。
 山頂から東のやや離れた場所に小規模な岩壁があって、岩の上部に石祠がある。この祠を「とりでんさま」というのだそうだ。山崎氏によれば「とりでんさま」の岩場やその下の場所も唐沢城の郭であったという。
 山頂の北側に腰曲輪と虎口受けが残るというが、実際に山頂周辺を探してみても、素人目には山城の遺構だか単なる浸食による土地のくぼみだか全く判断は付き兼ねるのである。

B 吉沢から林道へ
中の峯裏林道完成記念碑。 6月19日、自宅で昼食を摂り、午後の1時を過ぎてから出かける。登山には常識外れの時間帯ではあるが、登山ともいえないような場所であり、2時間もあれば十分に回って来られるだろうという心づもりであった。
 陽は射してはいたが、青空が広がっているというのではない。薄い雲が垂れこめ、上空は白かった。梅雨時にありがちな蒸し暑く不快な午後である。
 それでも、集落を抜けて雑木の林に入ると、ひやりとした空気に包まれた。昨晩に降った雨のせいか、丘陵の森は湿りある涼気を湛え、道はぬかるんでいた。
 新栃木線126号鉄塔への道を左に分ける。2万5千分の1地形図には、この付近から南西の方向に延びて鳳凰ゴルフ場に達する実線の道が表記されているのだが、この道と新堀沢沿いの林道は別の道である。
 今回歩いた林道は、地形図には表記されていない。林道の入り口に「中の峯裏林道完成記念碑」という碑があるので、中の峯裏林道という名称なのだろう。林道は、現在利用されている様子はなく、やや荒廃気味である。
 道の両側から夏草がせり出している。この時期の里山は、ひと雨ごとに緑の勢いが加速しつつあるようだ。群れ立つ緑のすき間というすき間に、こんもりとした濃緑の真綿をぎゅうぎゅうと押し込めているかの如くである。
 クモの巣に行く手を阻まれるので、それを払い除けながら歩く。

C 不動明王から稜線まで
不動明王。  林道入口から5分ほどで、右手(北側)に不動明王の石像を見る。 小さなお堂のなかに置かれている。細かな線は、風化してすり減り薄くなっている。
 この明王像は昔の峠道に関わりのあるものと思っていたが、石尊山の信仰によるもの、という話を聞いた。確かに、位置からすると、石尊山のふもとに置かれ、登山道の入り口を示すものという位置付けがふさわしいのかもしれない。

 不動明王の石像から10分で稜線に出た。林道の終点からは、沢沿いを適当に歩く。小さな枝沢がいくつかある。地図も磁石も持ってこなかったので、分岐に迷うが、どこを詰めてもすぐに稜線に出る。
 人が歩かない場所なので土は柔らかく、雨後でもあり、足場が緩く、ずるずると滑って難儀した。
 旧来の唐澤峠道を正しく辿っていれば、ごつごつとした岩が露出している場所で主稜線に乗れるはずだが、違う枝沢を登ってしまったようで、稜線に出たものの目印の露岩が見当たらなかった。
 もう一つの目印であるNTT旧北金井無線中継所の鉄塔も、こんもりとした木々の緑に遮られてその姿を確認することができない。

D 集塊岩と電波塔
 稜線に乗ったところから左に少し歩くと、送電線鉄塔の下に出た。おそらくは新栃木線の125号鉄塔で、目論みよりも東の位置で稜線に出てしまったようだ。
集塊岩。 そこで、来た道(送電線の巡視路かと思う)を戻ってしばらく行くと、最近整地されたばかりのように見える道に変わり、右手に目印の露岩があった。露岩の周囲は、木々が伐採されており、心なしか広々としていた。
 鳳凰ゴルフ場の方向に遊歩道らしき小道が造られていた。この遊歩道はどこに通じているのか。それも気にかかる。
 この露岩は、『山田郡誌』いうところの「集塊岩」で、郡誌中の唐澤峠の説明に
「この峠の西北約百米の分水嶺上に集塊岩の露出を見る」とある。

旧北金井無線中継所の電波塔。  このホームページを始めた頃に、唐澤峠を探して歩いたことがある。この露岩を見るのは、その時以来である。以前はもう少し黒っぽかった印象があるが、いまは苔むして緑がかって見えた。
 ついででもあるので、北金井無線中継所まで行ってみた。何年かぶりで真下から電波塔を見上げる。意外に大きく圧倒される。
 現在は使われていないというが、これがなかなか巨大な構造物なのである。


E 唐沢山まで
新栃木線の鉄塔。尾根道の様子。  主稜線の小道は、下刈りがなされ、拡幅されていた。ただ、整地はされていたが、道の両側に木材を敷くような遊歩道工事は施されていなかった。単に道の経路を明確にしただけというような感じである。この稜線上の道を北に向かう。
 左手からやや道幅の広い送電線巡視路が合流してくると、すぐに送電線鉄塔が現れる。新栃木線124号鉄塔だろう。道は、この鉄塔の下をくぐり、さらに北に向かっている。鉄塔から双方向に送電線の束が延び、大きく撓みながら丘陵の谷を跨いでいる。
 送電線鉄塔から、いくつかの緩やかなアップダウンをやり過ごすと、唐沢山の山頂に着く。鉄塔から山頂までは、これといった特徴のない単調な道で、少し距離を長く感じた。それでも鉄塔から15分程度であったろう。

F 石尊の祠と「とりでんさま」
石尊の祠。唐沢山山頂の東屋。  唐沢山の山頂には、立派な東屋が完成していた。東屋の周囲は広く伐採・整地され、以前に訪れたときの唐沢山とは、だいぶ景観が変わっている。
 石尊の祠はそのまま残されていた。苔むした石祠と真新しい白木の東屋の対照はいかにも不釣り合いであったし、それにもまして、周囲の鬱蒼たる樹木が刈り払われて広々とした場所にぽつりとある石尊の祠は、心なしか縮こまっているようでもあり、いくぶん所在無さげでもあった。
 東屋の長椅子に腰をかけ、水を飲みながらスナック菓子を食す。あたりを見回すが、相変わらず展望はない。北側に樹木の間から桐生の市街地が申し訳ばかりにのぞかれる程度である。

「とりでんさま」の祠。奉納された梵天。 帰り道は、旧来の唐沢山への細道を辿った。「とりでんさま」の祠を見る。
 明治四十一年三月の年号と施主の名前が彫られていた。祠の後ろには梵天(?)が納めてあった。和紙の幣束が雨に濡れ、地面に散らばって落ちていた。

 「とりでんさま」から南に下るのは初めてである。想像していたよりもしっかりとした小道があった。急な斜面を下ると沢沿いの道になる。急斜面は滑って歩きにくかったが、それを除けば難なく吉沢からの林道に合流できた。
 時計を見ると、午後の4時を回っており、雑木に覆われた林道は薄暗い。足早に林道を下り、丘陵の林を抜けたが、里に出ると、あたりは、まだ十分に明るかった。 (訪問日 11/06/19)

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