電撃! 激坂調査隊が行く

トップページ>コラムもくじ>コラム37>コラム37補足2


補足2 小友で聞いた昔の話

 小友の民家で、峠道の往来について、昔の話を聞くことができました。

@ 小友で一番奥の民家
小友へ下る。 鹿生峠の馬頭観音を見に行った。現2万5千分の1地形図には小平から峠を越えて鹿生に下る道が点線で書かれている。林道小平座間線の途中から分岐し沢筋を北に辿るように表記されているのだが、この経路が歩ける道かどうかわからなかったので、とりあえず尾根伝いに峠まで行くことにした。
 小平、小友地区から旧山田勢多郡界の尾根である渡良瀬川左岸の尾根に出て、尾根上を東に歩いて鹿生峠を目指した。
 小友から旧郡界尾根に向かう坂道の途中にある民家で、その家に嫁いで60年になるというおばあさんに、道の往来に関する往時の話を聞くことができた。おばあさんと呼ぶのは失礼な気もするが、辞書には「年とった女の敬称、親しんでいう語」とあるので、あえて使わせていただく。
 その民家は、小平、小友地区で一番奥の民家にあたるようだ。この家の上にも一軒の屋敷があるが、人が住まなくなって久しいらしく、廃屋になっていた。
 県道小平塩原線の終点近く、林道小平座間線の起点手前に落合橋がある。その橋を渡ってすぐを左折し北に向かう道が、大間々の小平と、旧勢多郡東村の小夜戸や花輪(大畑を経由して)を結んでいた峠道である。この峠に向かう急坂の途中に一軒の民家があって、その庭先におばあさんがいた。

A 小友から花輪への道
 その人に、昔の峠道の様子を尋ねた。『山田郡誌』には「小夜戸(小友)峠」とあって、小平の小友と小夜戸を結んでいたとあるのだが、そのおばあさんは小夜戸への道は歩いたことがないという。小夜戸の人が小平に来る時に、『郡誌』にいう「小夜戸峠」の道を使ったようだが、小平の人は、小夜戸に行くよりも、尾根を越えて大畑地区に抜け、そこから花輪に行くことの方が多かったようだ。「小夜戸峠」の道は、小平側に山を持つ小夜戸の人がそこへ通うためにおもに利用していたらしい。
 小平でも奥の集落の人は皆、買い物や用足しの際には、峠を越えて尾根向こうの花輪に出かけたという。大間々の町へ行くことは、めったになかったそうだ。自家用車や舗装路がない頃は大間々へ行くには時間がかかり、徒歩では花輪へ行く方がずっと早かったのだという。小友からは1時間くらいで花輪まで行けたそうだ。ただし、花輪からの帰りは、登り基調になるので、1時間半ほどかかったという。

B ショイコで運ぶ
 そのおばあさんは、台所の品々や生活必需品を買うためによく花輪に行ったそうだ。その他には、男の人がショイコで麦を背負って花輪に行ったという。この集落では米が作れず、大麦や小麦を作った。それを花輪まで搗きに行ったのだという。
 「この通りはにぎやかだったんだよ」と、家の前の坂道を杖代わりの棒切れで指しながらおばあさんが言う。小友から花輪に行くにはその道しかなく、集落の人がよく通ったからだそうだ。
 現在、その坂道は舗装されているが、当時は、馬が木材を運ぶためにそり道になっており、徒歩ではやや歩きにくかったという。「舗装されたんなんか最近だよ。でも、はあ10年くれえ経つかな」と言う。さすがに舗装されてから10年というとはないだろうが、おばあさんの時間の尺度からすると、舗装されてからほんのわずかな時間しか経過していないという意味なのだろう。

C スギの植林
 山にスギを植えるようになり、それが成長して杉林になると、尾根から大畑に下る道はわからなくなったらしい。それでも、おおよその経路はわかっていたので、自分で適当に足場を決めながら大畑まで下り花輪へ行ったこともあったそうだ。「沢に沿って行けばいいんだから、道がなくても行けたよ」とのことだ。いまは、尾根の向こうは完全な杉林に変わっているという。
 10分程度の立ち話であったが、興味深く貴重な話を聞くことができた。通りすがりの見ず知らずの者に丁寧に対応してくれたおばあさんに感謝したい。(訪問日 09/11/08) 

D 峠の写真と地図
紅葉する渡良瀬川左岸の尾根。峠。大畑側から小友方面。 左は、渡良瀬川左岸の尾根。右は、小友から大畑への峠。大畑側から小友側を撮る。尾根を乗り越える峠道の跡がわずかに残る。
 帰宅してから古い5万図「足尾」を見た。小友から小夜戸への道は表記があるが、おばあさんが話していた大畑へ下る道は地図には書かれていない。赤い点で記した谷筋に道があったものと思う。
小平、小友から大畑、小夜戸への道。  また、地図中の緑点(地図北東部分)は鹿生峠。鹿生に下る道は書かれているが、小平側に下る道は書かれていない。
 青点(地図南西部分)は茂木峠。茂木から大畑山の東の鞍部を越えて大畑へ下っている。
 このように、渡良瀬川左岸の旧郡界尾根には小平から小夜戸や大畑、花輪方面に行く峠道が幾筋かあったことが分かる。

コラム37 にもどる>

<はじめに にもどる
<コラムもくじ にもどる