@ これまでの経過と今回の内容
高山彦九郎の日記『忍山湯旅の記』の跡を、自転車で走るという試みの4回めである。
『忍山湯旅の記』は、彦九郎が29歳の時の1775(安永4)年7月29日から8月14日にかけて、桐生の忍山温泉を訪れた際に書き残した日記である。これまで、3回に分けて日記の記述を読み解きながら彦九郎が歩いた跡を追ってきた。その経過を以下にまとめてみる。
1回め 「高山彦九郎『忍山湯旅の記』の跡をたどる 雷神岳登頂編」(コラム15 鳴神山登頂記の巻き 2005年4月23日調査 5月1日アップ。)
彦九郎らは忍山滞在中の8月10日に地元に住む八五郎という人物の案内で雷神岳(いまの鳴神山)に登っている。その雷神岳登山を追ってみた。
2回め 「高山彦九郎『忍山湯旅の記』の跡をたどる 往路編その1 細谷村〜松原の渡し」 (コラム16 彦九郎の旅『忍山湯旅の記』の巻き 2005年5月5日調査 5月21日アップ。)
彦九郎の自宅があった細谷村(現太田市細谷)から二渡(ふたわたり)村忍山(おしやま―現桐生市梅田4丁目字忍山)までの区間のうち前半部分にあたる細谷〜松原の渡し間をたどってみた。松原の渡しは、近世の頃に、渡良瀬川に設置されていた渡し場で、いまの松原橋からやや上流(西側)の場所にあったとされている。
3回め 「高山彦九郎『忍山湯旅の記』の跡をたどる 往路編その2 松原の渡し〜忍山温泉」(コラム18 彦九郎の旅『忍山湯旅の記』の巻き 2005年9月11日調査 9月20日アップ。)
2回めの続きとして、渡良瀬川を渡ってから境野村、新宿村を経て桐生新町に入り、さらにおんだし村、町屋村、湯澤、浅部(あさべ)、高澤(こうざわ)などの村々を過ぎて二渡村忍山へ到着するまでの区間を走ってみた。
今回は帰路編その1として、彦九郎が忍山温泉を発ってから細谷村へ帰るまでの足取りを探ってみる。彦九郎は、帰路(8月14日)では往路(7月29日)とは別の道を歩いている。ただし、忍山〜桐生新町間は一本道なので、同じ道である。
桐生新町を通過した後は、本宿(もとじゅく)村から赤岩の渡しで渡良瀬川を越え、下新田(しもしんでん)村に抜けている。その先、如來堂(にょらいどう)村、阿佐美村を過ぎて藪塚村、山の神村、小金井村、脇谷(屋)村などを通り、細谷村に帰っている。
帰路の全行程では長いので、忍山から赤岩の渡しまでの区間を、今回、取り上げてみた。
A 『忍山湯旅の記』の旅程
ここで『忍山湯旅の記』の概要を旅行日程表ふうに整理しておく。
| 日付 | 旅程と日記の記述内容 |
|---|---|
| 7月29日 | 午前10時ごろ、叔父の萬郷(高山彦九郎記念館HP「高山彦九郎親族一覧表」の萬郷に関する箇所はこちら)と使用人の源七とともに細谷を出発。 由良村〜新野村〜鳥山村〜強戸(ごうど)村〜吉澤村〜唐澤村(以上現太田市、以下現桐生市)一本木村〜下広沢村。加茂大明神(賀茂神社)に立ち寄る。 松原の渡しで渡良瀬川を渡る。 境野村〜新宿村。水車を動力として織物をする家々の様子を見る。 桐生新町に入る。織物の生産や絹市でにぎわう繁華な町を見聞。天神の社(天満宮)を参拝する。 おんだし村〜町屋村〜大浜村(鳳仙寺、西方寺あり)〜高間々〜湯澤〜浅部〜二渡村へ入る。 忍山道に入って、夜9時ごろ、忍山温泉湯本に到着する。 |
| 30日 | 晴れ。宿の部屋を移る。(以下の部分、日記なし) |
| 8月1日 | 晴れ。せり石(猿石―せれし)の猿田彦大明神(いまの二渡神社)へ行く。
湯本の薬師堂、湯泉大明神(忍山の温泉神社)を参拝。 午前10時ごろ、源七帰る。 |
| 2日 | 晴れ。酒店に行く。 |
| 3日 | 晴れ。午後4時ごろ、蓮沼政徳(彦九郎のいとこ。彦九郎の父彦八正教の弟蓮沼正穏の子。高山彦九郎記念館HP「高山彦九郎親族一覧表」の蓮沼政徳に関する箇所はこちら)来る。
夜に雨。 |
| 4日 | くもり。忍山周辺散策。蕪丁(蕪町―かぶっちょ)、唐松などの集落に行く。
薬師堂、酒店に立ち寄る。 |
| 5日 | くもり、夜に雨。(どこかへ行ったという記述はなし) |
| 6日 | 体調不良につき湯に入らず。(一日中宿にいたか?) |
| 7日 | 晴れ。叔父萬郷と政徳は、忍山川上流の赤粉(あかこな)という場所に行く。
(彦九郎は体調不良で宿にいた) |
| 8日 | (記述なし) |
| 9日 | 晴れ。政徳と川中の岩上の弁天様を拝す。
『桐生忍山温泉縁起』という書物を借りて読む。 |
| 10日 | 夕方に雷雨。八五郎を案内人として政徳らと雷神岳(鳴神山)へ登る。
忍山〜高澤〜大瀧口〜山頂〜高澤〜浅部〜二渡村。深夜12時に八五郎宅着。午前1時、宿着。 |
| 11日 | 晴れ、夕方雨。湯に入る。 |
| 12日 | くもり。ひとりで大門(大茂)と赤粉へ行く。
忍山川の滝、淵を見る。 この淵に「ききんの時に子供を沈めた者がいる」「20年ほど前に13、4歳の娘が主人にしかられて身を投げた」「5、6年前、忍山の人に仕えていた使用人が盗難を疑われて入水した」などのうわさ話を聞く。 赤粉の民家で茶を飲み、夜8時ごろに温泉前に着く。 |
| 13日 | 晴れ。政徳と猿石神社へ参拝。宿代の清算をする。 |
| 14日 | 雨。薬師堂を参拝、午前8時すぎに出発。佐野道の追分を右に。
牛頭天王の社(上の原八坂神社)、てうせん寺(長泉寺)あり。 右に高澤、雷神岳道を見て浅部村〜高まま村〜湯澤村。右乾(西北)に城山、左に葎山(もぐらやま、茂倉山か?)と阿戸山が見える。 居立テ(居館)村へ。右に城山あり。西南の方向、町屋村に天神の森あり、川向こうに観音山。川向こうは野州下ひし(下野国下菱)である。 大門に入る。右に西方寺あり。次に鳳仙寺に立ち寄り、境内を見る。三宝荒荒神を参拝、別当寺の神恵寺に寄る。 おんだし村に入り、右に吾妻権現の山(吾妻山か?)が高く見える。 桐生新町に入り、天神(天満宮)を過ぎて、町に至る。五色糸を買う。町中左に祇園の社あり。富む家が多い。 新町の出口に聖眼寺あり。右に原、遊女町あり。原を西へ。 赤岩の渡しで渡良瀬川を渡る。 如來堂村から阿佐美の沼(阿左美沼)の東を通り、阿佐美村で昼食をとる。阿佐美の生品森(生品神社)あり。 藪塚村〜山の神村。酒店で休憩。小金井村〜脇谷(脇屋)村へ。造り酒屋で休む。脇谷村観音(正法寺か?)あり。 由良村で飯玉大明神(飯玉神社)に寄る。大道(日光例弊使街道?)に出る。夕方に細谷村の自宅に到着。 |
@ 忍山の地名
出発日前日の13日の日記には、忍山の地名や人家の数、特産物など忍山の地理に関する詳細な記述がある。『高山彦九郎日記』の「忍山湯旅の記」の注釈に「桐生ノ奥ニアル忍山温泉ニ入湯シテ帰宅スルマデノ記事ニシテ、地誌或ハ郷土資料トシテハ詳細ヲ極メタリ。」とあるように、『忍山湯旅の記』は当時の忍山周辺の地誌としての読み方もできる。以下、地誌書としての『忍山湯旅の記』という観点から13日の記述内容を見ていくことにする。
まず、忍山の地名が書かれ、その位置と戸数が記されている。「忍山は二渡の中にて蕪丁、唐松、大門、赤こなを合せて忍山の中六十三軒人家有りといふ」とあり、1775(安永4)年当時、忍山には合計63軒の人家があったことがわかる。以下、日記に書かれた忍山地内のおもな地名と位置、戸数をまとめておく。
| 地名 | 位置 | 戸数 |
|---|---|---|
| 蕪丁(蕪町) | 湯本より南3丁(約327メートル)の欄干橋より
東へ6丁(約654メートル)ほど登る |
7(うち織屋3軒) |
| 唐松 | 湯本より6丁 | 7 |
| 大門(大茂) | 湯本より半里(約2キロ)ほど北 | 7 |
| 赤粉 | 大門より北へ半里(約2キロ)、
枝川に沿って西北へ |
2(うち1軒は空家) |
| 湯本 | 温泉の辺 | 9(うち4軒は湯屋) |
| あま竹 | 湯本より川を渡って南 | |
| わんば(荷場―にんば?) | あま竹より川を隔て西 | |
| かなぢ | わんばの南 | |
| したで | かなぢの南 | |
| 五場の小路(碁場小路―ごばのこうじ) | したでの西 | (湯屋8軒、うち1軒は休業中) |
| なか井(中居) | 桐生新町道のあたり | |
| せり石 | なか井より東北6、7丁
(約654〜763メートル) |
|
| 宮かいと | せり石明神より東北3丁
(約327メートル)左手 |
|
| さるかやと | 宮かいとの川向こう(下野国) |
| 地名(彦九郎日記) | 地名(島田氏による解説) |
|---|---|
| 蕪丁 | (蕪町) 蕪はカブ(被)るの換字でおおいかぶさった状態をいう。
チョウ(町)は集落。急傾斜の山腹の下にある小集落。 |
| 唐松 | 唐はカレ(枯)の転。松はマタ(又)の換字。
雨が降っても地中に染み込む地質のため沢のない入口が狭く奥が広がっている20町歩程の耕地のあるくぼ。 |
| 大門 | (大茂) 大門の換字で参道の意。
赤粉山の腰にある子持ち滝上に大日堂があり、その参道付近を言う。 今はお堂はなくなり本尊は足利市バンナ寺にあずけたという。 |
| 赤粉 | 赤はアカ(散)つの換字で崩壊。粉は質の細かい耕地。
忍山で一番高地にある山腹の崩壊で出来た40町歩程の土質の細かいゆるい傾斜地にある耕地。 |
| 湯本 | 忍山鉱泉の湯宿のあった区域。
湯は井の転で泉。もとは鉱泉が湧き出ていたのでついた地名。 |
| あま竹 | (天竹) やまの上部が崩壊して急傾斜している山腹。
※梅田町四丁目(旧二渡村忍山)天―高い所、天高山の略。山の上部が岩壁になっていることからついた山名。 |
| わんば | (人場) 荷場の換字で忍山道のはたに山の産物の集荷場のある区域。 |
| かなぢ | (かなじ) かなはカノ(刈野)の転で焼畑、じは地。
山腹の崩壊で山麓に傾斜地の出来たくぼに焼畑のある区域。 |
| したで | (下てかいと) ごはノ小路の集落から下の位置にある現在の集落地へ分家して出来た集落。 かいとは谷戸で集落。 |
| 五場の小路 | (ごはノ小路) ごははコバ(木場)のかな書きで山中の道端に木材などを積んで置く所。小路はコウジ(越路)の換字で峠道。
こば(木場)のある高沢村へ行く峠道のある区域。 ※梅田町四丁目(旧二渡村忍山)ゴバ―コエバ(越場)の転で峠。 梅田町三丁目(旧高沢村胡麻小路)へ越える峠へ通じる峠道の付近。 |
| なか井 | (中井) 村で一番大きな集落のある区域。
中居は明治9年地租改正の時、正しい漢字に換えた区域。 |
| せり石 | 地名のついた時は、猿石社(現二渡神社)といった。猿石社を祀ってある区域。
神体の猿田彦命を丸い石の上に安置したことよりついた社名。
猿石はせれ石を二つに分割し、猿石社の境内区域を言う。 |
| 宮かいと | (宮谷戸―みやがいと)せれ石を二つに分割し、集落のある区域を言う。 |
| さるかやと |