●コラム10 藪塚石切り場跡の巻き●

藪塚で巨石の迷宮を探索


藪塚の石切り場跡へ。石切り場跡は藪塚石の採掘場の跡地です。

藪塚温泉の北側にあり、明治の中ごろから1955(昭和30)年ごろまで石の切り出しが行われていました。現在は八王子丘陵の雑木林のなかに閉山当時のまま放置されています。

切り立った石の垂壁が不規則に入り組んで立ち並ぶ様は、古代の遺跡かSF映画の廃墟のよう。現実離れした雰囲気の不思議な空間です。

茶臼山へ登った帰りに立ち寄り、巨石の迷宮をおそるおそる探索してみました。

巨石が壁にはり付いているように見える。まさか落ちてこないよな


●1 石切り場とは?―まずは解説板を読む●

迷宮への入口。一番かっこよかった場所 石切り場の入口に藪塚石や石切り場についての説明板がある。まずはそれを読み、石切り場についてお勉強。藪塚石は火山灰が凝結してできた軽石凝灰岩。それが地殻変動によって隆起し、露出したものらしい。採掘が始まったのは明治の中ごろ。本格的な採掘は、1903(明治36)年に藪塚石材株式会社ができてから、という。

石切り場の西隣には藪塚で最大級の古墳のひとつ、北山古墳がある。北山古墳は7世紀後半ごろに造られたとされている。この古墳の石室にも藪塚石が使われている。

やわらかく、加工しやすいのが特徴で、建物の土台や塀などに使われた。また、熱に強いため、カマドにも用いられた。東毛少年自然の家の炊事場に藪塚石のカマドが再現されている。見たところ、これといった特徴のない普通の石。このカマドのように手頃な石材としてごく一般的に使用されたのであろう。

1913(大正2)年に東武鉄道がしかれてから広く販売されるようになり、関東各地から、長野あたりにまで送られたという。最盛期には350人の職人さんが働いていたとか。

ただし、小石がふくまれる、割れ目が多い、水に弱いなどの欠点があり、これら品質面で大谷石に劣り、しだいにすたれた。さらには、コンクリートの普及が追い打ちをかけ、1955(昭和30)年ごろに閉山となった。


●2 さて、迷宮の奥は?―実際に足を踏み入れてみる●

説明板のある入口から雑木林のなかに小道が続いている。その小道を歩くこと約2分、木立の向こうに白っぽいコンクリートの壁のようなものが見えてくる。山の中で出会う巨大な建造物といえば、送電線の鉄塔や砂防ダムの堰堤が思い浮かぶ。もし、それと知らずに遠目に見たら、ダムの堰堤か何かに見えるかもしれない。

小道から石切り場までは木の板で組まれた足場が渡してある。足場の上には落ち葉が積もっている。朝方の雨に濡れ、ぬるぬるとよく滑る。それにところどころ腐っていて、踏み抜く可能性もある。靴の底で板の感触を確かめながら、そろりそろりと歩く。

石切り場に着くと小道から見えていたのはほんの一部で、巨大な石の壁は横や奥にも広がっているのがわかった。増築を繰り返して迷路のようになった温泉旅館の廊下のごとく、石の部屋が複雑に入り組んでいる。

足場を歩き奥へ進む。しだいにその全貌が明らかに

石に壁の前に立つ。写真では上まで入らない こんな空間に山の中で突然出くわしたとしたら、かなりのインパクトである。どれくらいかといえば、薄暗い木立の中で、こんなにも巨大かつ複雑な形容の石の壁を目の当たりにしたら、思わず「なんじゃ、こりゃー」と叫んでしまうに違いない。ちょっとおおげさだが、それくらいのインパクトである。

さて、あらためて観察してみると、壁の高さは3,4階の建物くらい。色は白っぽい灰色、少し緑がかっているようにも見える。石の目はあらく、表面はざらついている。説明板にあったように確かにやわらかそう。鋭利な道具で引っかけば、石の粉がボロボロと落ちそうである。奥のほうには石の粉が積もり、砂山のようになっている場所もあった。 

石の切り出しは下から上へと進められたようで、天井や壁の上部に直方体の石塊をはりつけたような箇所(タイトル下写真)もある。その下に立ち、上を見上げると、石の塊がずり落ちてきそうでこわい。また、中途半端な場所に長方形の空洞や丸い穴が開いていたりする。


天井には意味不明の文字や記号が刻まれている。なかのひとつは漢字の「菊」という字にも読めた。職人さんが作業をする上で、何かの目印にしたものだろうか? 書かれた意味や目的も謎だが、あんな高い場所にどうやって刻んだのか、そちらのほうがもっと謎である。相当高いやぐらを組むなどしなければ、手の届かない場所だ。あるいは職人さんのなかにスパイダーマンがいたのかもしれない。

次に、何か出たらいやだな、と思いながら奥の石室への侵入を試みた。床に水がたまっていて、足を滑らすと危なそうな部屋、たき火の跡が残っている部屋、壁の中央に四角い空洞のある部屋などがあった。その空洞をのぞきこむと、トンネルのように向こう側が見えた。水たまりに懐中電灯やロープなども落ちていた。誰かが壁をよじ登り、壁面上部の空洞探索でもしたのだろうか。

切り立った壁のすき間に入ると、さらにその奥にも別の空間があり、いくつかの石室があった。上の写真はそのすき間から出てきたところ。写真ではわかりづらいが、写真中央に壁のすき間があった。まさに石の迷宮である。

近代遺構として保存する価値は十分にあるように思うが、町にはそんな予算も関心もないらしい。入口には説明板が設置されているが、石切り場の内部はそのまま、ただ放置されているだけ。せめて、○○参上などと缶スプレーで落書きなどされない程度の手は打つべきだ。 (訪問日 2004/12/05)


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