もくじ
@ 参考資料について
A 小出屋峠の位置
B 峠の表記と地名伝説
C 根利道の呼称
D 小出屋峠を通過した物、人
E 史料にみる輸送物資の事例
F 根利山の炭焼きと炭荷物輸送
G 根利道の道筋
H 高山彦九郎『北上旅中日記』にみる根利道
@ 参考資料について
小出屋峠と根利道について少し調べてみた。参考にした資料は以下の通り。
1 『群馬の峠』(須田茂 みやま文庫)P93〜96「小麦峠」「小出屋峠」の項
2 「小麦峠と小出屋峠」(須田茂 『上州路 2004年11月号 No366』あさを社)
3 「会津街道」(武井新平 『上州の諸街道』みやま文庫)
4 『群馬県歴史の道調査報告書第14集 日光への脇往還』(群馬県教育委員会)P9、10「日光への脇往還の概観 根利道(大間々道)」、P18〜P21「道の確定 根利道」、P26〜P29根利道の地図、P60〜P71「日光への脇往還の現状と文化財 根利道」
5 『黒保根村誌T 総論・自然・原始古代・中世・近世編』(黒保根村誌刊行委員会)P488〜P495「根利道(日光裏街道)」
6 『群馬県史 通史編5 近世2』(群馬県)P661〜P667「利根郡の脇往還」「東上州の脇往還」、P751〜754「会津街道と牛馬輸送」(岡田昭二)
7 『群馬県史 資料編12 近世4』(群馬県)P718〜P732から会津道に関する史料、P984〜985「解説 会津道」(五十嵐富夫・田中康雄)
8 『群馬県史 資料編15 近世7』(群馬県)P767〜P773から根利山炭荷物輸送に関する史料
9 「北上旅中日記」(高山彦九郎 『高山彦九郎全集 第2巻(日記編)』西北出版)
10 「北上旅中日記 高山彦九郎日記による歴史散歩(七)」(正田喜久 『群馬歴史散歩 第197号』群馬歴史散歩の会)
11 「高山彦九郎と旅 『北上旅中日記』」(萩原進 『王政復古の先駆者 高山彦九郎』群馬出版センター P90〜92)
12 「桐生市新里町・黒保根町の小字一覧」(島田一郎 『桐生史苑 第49号』桐生文化史談会)
小出屋峠の概観については、1、2を参考にした。
根利道および会津街道の成立や宿場整備の歴史過程、近世における街道利用の実態、輸送荷物の詳細などについては、3、6、7、8等によって知ることができる。
根利道の道筋については、4と5に詳しい。また、4には街道沿いに現存する文化財、とくに古道の存在を示す道しるべ、道祖神などの石造物が数多く紹介されている。
根利道について書かれた文献のほとんどに、高山彦九郎の「北上旅中日記」が取り上げられている。同日記は、彦九郎39歳の天明5(1785)年7月に利根郡大原村に住む金子氏を訪ねた際の旅日記である。彦九郎は大原村へ行くために根利道を通行しており、その時のことを事細かに記述している。これにより根利道や小出屋峠の当時の様子が分かる。日記原本を読み下したものが9である。10には日記の解説と内容の要約がある。11は日記の概要や時代背景を解説したものである。
12は、旧勢多郡新里村および黒保根村の小字を一覧表にしたものである。根利道の道筋や「北上旅中日記」中に書かれた地名を地図と対照し確認する際に参考にした。
A 小出屋峠の位置
小出屋峠は、桐生市黒保根町下田沢より沼田市利根町根利へ抜ける峠である。峠は、現在は桐生市と沼田市の市境界部分にあたるが、市町村合併がなされる以前は勢多郡と利根郡の郡界に位置していた。
赤城山と袈裟丸山を結ぶ長大な尾根がある。この尾根の稜線は、合併以前には勢多郡と利根郡の郡界となっており、郡界尾根と呼ばれていた。小出屋峠は、赤城山から東に延びる旧郡界尾根がたわんで低くなっている部分にある。
峠付近には、主要地方道62号沼田大間々線が通じている。現在の沼田大間々線が市境界を越える部分は、旧来の小出屋峠とは別の場所である。現県道の市境界部分も、下田沢から登ってきた道が尾根の鞍部を越えて根利へ向けて下りに転じる場所であり、その意味で峠的な場所だが、一般にそこを小出屋峠と呼ぶことはないように思う。本来的な小出屋峠は、古来からの街道である根利道に関わる峠であり、現県道の峠よりもやや赤城山寄り(西寄り)にあったようである。
『群馬県歴史の道調査報告書第14集 日光への脇往還』によれば、県道市境界からやや西の旧郡界尾根付近に、根利村の人たちが祀った十二山神の石祠(寛政九年)があるという。峠の正確な位置は不明だが、同報告集では、この石祠付近を街道が通っていたものと推測しており、小出屋峠もこの近くにあったものと考えられる。
B 峠の表記と地名伝説
小出屋峠の名称表記は、資料や文献によって異なる。須田氏は「小出屋峠」としており、本ページにおいてもこれにならった。
「北上旅中日記」では「小出屋峠」である。往路に峠を越えた際、「小出屋といへる峠也、下る事一里にして根利村」と書いている。帰路では「根利より赤城の東を越ゆ、小出屋を過ぎ右の山上平かなる所を花宮が原と号す」と記している。
『上野国郡村誌3 勢多郡(3)』の根利村、道路の項に「山田郡大間々往還 北方小麦峠利根郡穴原村界ヨリ南方小出屋峠本郡楡沢村界ニ至ル 長サ三里十五町」とある。
『群馬県歴史の道調査報告書第14集 日光への脇往還』には「コデヤ峠」とある。「地元ではコジャと呼び小蛇という字をあてている」ともある。島田氏の小字一覧にも「小蛇」があり、「コジャ」の読みが振ってある。
『黒保根村誌』は「小蛇峠」と表記している。また「コデアイ」ということもあるらしく、これに関して次のような地名伝説を紹介している。
小蛇峠は、風の強い場所である。冬は、とりわけ風が強い。ある冬の日、根利村から子連れの旅人が登ってきた。峠にさしかかったとき、子供を吹き飛ばされてしまう。旅人は子供を探すが、見つからない。峠を下ると、雪に埋もれた子供がいた。旅人は子供を抱き上げて「わが子ジャ」と叫んで喜んだ。そのため、峠を「コジャ」と言い、子供を見つけた場所を「コデアイ」とも言う。
『日光への脇往還』にも同様の伝説が紹介されているが、細部は異なる。
大風のためにコモギ峠で、子供を吹き飛ばされた。峠を下る途中に捨子がいたので、この子を拾って山を下った。後に雪を払うと、その捨子は、わが子だった。それで、「わが子じゃなあ」と言ったので、「コジャ」という地名になった。子供と出会った場所を「こであい」という。
『黒保根村誌』では、最初に子供を吹き飛ばされた峠の名前が書かれていないが、『日光への脇往還』では「コモギ峠」となっている。「コモギ峠」は、小出屋峠の北方にある峠で、根利から穴原へ抜ける峠である。一般に「コムギ峠」と呼ばれ、地図には「小麦峠」と表記されている。小吹峠、小蓬峠などと書かれることもあるようだ。子を背負って峠越えをすると、あまりの大風に子がもがれてしまう。それほどの強風が吹く場所なので、「コモギ峠」と呼ぶ。このような話が『日光への脇往還』に書かれている。
地名伝説は、地名が先にあって、その後から作られたものが多いようなので、「わが子ジャ」→「コジャ峠」、「子と出会う」→「コデアイ」、「子をもぐ」→「コモギ峠」などは、語呂合わせに近い言い伝えで、本来的には順序が逆かと思うが、なかなか面白い話である。