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●第46回 小出屋峠の巻き●

小出屋峠と根利道(ねりみち)

 根利道で小出屋峠へ。

 根利道(ねりみち)は、黒保根、大間々から旧利根郡の根利に通じていた街道です。この街道が旧勢多・利根郡界(現在は桐生・沼田市境界)を越える場所を小出屋峠と呼んでいたようです。
 根利道に沿って作られた道路が、主要地方道62号沼田大間々線です。

 今回は、黒保根の下田沢から沼田大間々線を走り、峠(桐生・沼田市境界)まで行ってみました。

 旧来の根利道と現在の沼田大間々線には離合があります。よって、道は、本来的な根利道 とは言えず、峠も、本来の小出屋峠ではないのですが、今回は、小出屋峠と根利道をめぐる自転車旅の序章として沼田大間々線の舗装路を走ります。
 ●コース詳細●

@ 小出屋峠と沼田大間々線
 タイトルを「小出屋峠」としたが、本来の小出屋峠には行ってはいない。小出屋峠は、根利道(ねりみち)に関わる峠である。根利道は、黒保根・大間々方面から利根郡の根利に抜ける街道であった。その根利道が勢多郡と利根郡の郡界を越える部分を小出屋峠と呼んだ。根利道の道筋を車が通行できるように改修した道路が、現在の主要地方道62号沼田大間々線である。根利道と沼田大間々線は、一部区間を除いて、その道筋は異なっている。峠の位置も違う。本来の小出屋峠は、現在の峠(沼田大間々線の最高地点で、桐生と沼田の市境界)よりも西に位置していたようである。このあたりのことについては、「第46回 補足」のページに書いた。
 今回は、主要地方道62号沼田大間々線の舗装路を、黒保根下田沢から沼田市の境界まで走っただけである。よって、タイトルは「沼田大間々線」とすべきなのだが、沼田大間々線の峠部分が小出屋峠に近く、その道筋も、小出屋峠に通じていた古街道である根利道にほぼ沿っていることから、「小出屋峠」とした。

A 水沼から打切まで
赤城山を望む。  出発点は、水沼駅である。
 国道122号線を大間々方面に少し戻る。下田沢の信号から国道を離れて沼田大間々線に入る。
 登り始めから前田原の集落あたりまでは、勾配がすこぶる急である。渡良瀬川の河岸段丘の、その段丘差を下から上に登ることになるからである。
 段丘面に乗ると、地形は平坦になり、周囲は開ける。行く手に赤城山が見える。黒檜山からの稜線が高度をなだらかに下げながら東に走る。その稜線がたわんで低くなった場所に、この道の峠がある。ずいぶんと遠くに感じる。
 道幅は広く、整備の行き届いた立派な道路だが、交通量は少ない。車にはほとんど行き合わず、自転車で走るのには好都合である。道沿いに片品村のスキー場や奥日光のホテルなどの看板があり、この道が、片品川流域や日光方面へ通じる街道であることを示している。  

双体道祖神。安永5(1776)年のもの。  下田沢の信号から2キロほどで、打切という場所に着く。細い舗装路が交差している。ここを左(西)に少し入ると、赤城神社がある。この部分が、根利道の古道の道筋にあたり、神社の下に古道の状態を良くとどめている場所があるというので、立ち寄ってみた。神社の前には双体道祖神をはじめとして幾つかの石仏があった。
 神社のわきを南に下って行く落葉に覆われた小道は、雰囲気も良く、古街道らしい姿を確かに保持していた。いかにもここを先に進んでみたいという気にさせるが、今回は目的が違うので次回の楽しみにとっておくことにして、神社まで戻る。
 右の写真は、神社の手前にあった双体道祖神である。もとは、赤城神社わきの細道が沼田大間々線と交差する角に置かれていたが、神社の手前に移されたらしい。往時には、街道が向きを変える場所に立って道案内の役を果たしていたのだろう。

B 柏山
柏山の通り。 赤城神社の入口から1キロ弱で柏山の集落に入る。柏山の手前は、なかなかの急坂であった。9%、10%の勾配標識がある。時おり、ダンプトラックが通過して行く。積み付けてある荷が重いのか、エンジン音を甲高くうならせ、黒いガスを吐きながら、這うようにしてのっそりと登って行く。
 柏山は、街道の往来が盛んであった頃に、炭問屋や旅籠屋が軒を並べていたという集落である。いまも旧家然とした作りの家が、街道に面してぽつりぽつりとあり、柏山宿と呼ばれていた当時のたたずまいを残している。
 集落の中ほど、寺院かあるいは何かの文化施設かと見紛うほどに立派な作りの旧家の裏に、小さなお堂がある。虚空蔵菩薩を祀るものという。そのお堂の前には、端正で落ち着いた表情の双体道祖神があった。この道祖神は、美しく、ぜひに立ち寄って見るべき価値のあるものと思った。

C 一の鳥居から鹿角
一の鳥居。 柏山から地蔵堂の横を通り、ゆるやかな坂を500メートルほど登ると、一の鳥居に着く。
 この場所を一の鳥居と呼ぶのは、まぎれもなく、かつて赤城山の一の鳥居が立っていたからで、いまもその石鳥居の残骸が道わきの草むらに打ち捨ててある。一本の石柱だけが所在なさげに立ち、大きな石材の塊が無造作に放置されている様を見ると、何やら少し悲しい気がしたが、これも時の流れで仕方がないことなのだろうか。
 この交差点を左折(西へ)すると、利平茶屋森林公園である。赤城山の南面に自動車道が通じる以前は、利平茶屋を経由するこの道が赤城山への登山道になっていた。このために下田沢の信号のところには「赤城登山口」という名のバス停がある。
 交差点の南西の角に、三体の馬頭観音が並んでいた。北側に豆腐屋さんがあり、その豆腐屋さんから道を挟んだ東側に芭蕉句碑というのがあった。黒保根村教育委員会の案内板によれば、碑面には「山路きて何やら床しすみれ草」と刻まれているらしい。文久二年に建てられたものという。解説などは何もないので、なぜにこの句の碑がこの場所に置かれたのか分からないが、思うに、ここが街道筋の、ちょうど山坂の頂点にあたり、「山路きて」という句の情景に合っていたからという気もする。

鹿角への下り坂。 一の鳥居から鹿角までは、ぐーんと大きく下る。この坂は、そこそこの勾配と高度差を持ち、見通しも良好で、下る場合は、かなりのスピードが出るが、登るのは一苦労であった。帰り道にこの坂を登るとき、ついつい途中で足を着いてしまった。
 鹿角には古い作りの民家が何軒かあり、いまはトタンや瓦葺きに改修されているが、その屋根に茅葺きであった頃の形状を残している。

鹿角集落内の旧道。 沼田大間々線は、鹿角集落を直線的に抜けている。地図を見ると、沼田大間々線の西側に、湾曲した細道が、半円形の軌跡を描きながらこぶのようにくっついている部分が見える。この曲がった細道の部分が、根利道の旧道らしい。沼田大間々線から外れ、旧道に入ってみたが、ほんのわずかな距離で、すぐに沼田大間々線に合流してしまう。
 旧道沿いに、白壁の土蔵があり、その奥に現代風の家屋が建築中である。ここは、旧新井家の敷地で、東京のインターナショナルスクールの季節分校として利用されているという。(詳しくはこちらで)
 新井家土蔵の先、旧道の突き当りには、数多くの石仏が並んでいた。 

D 鹿角橋、高楢大橋から楡高トンネル
鹿角橋。 鹿角から先は、根利道の古道から大きく離れてしまう。古道は、沼田大間々線より西側の山中を通っていたようだ。
 鹿角集落を過ぎると、道は、山間に入り、鹿角橋、直路橋、高楢大橋など幾つかの橋梁を越える。
 高楢集落から麦久保のあたりは、以前は、小黒川沿いに細く曲がりくねった道が続いていたが、10数年ほど前くらいからだろうか、大規模なバイパス道路付け替え工事が進められ、近代的な山間道路に変わった。
 赤城山の東面から小黒川にそそぐ深く切れ込んだ沢筋を、高い橋脚によって飛び越えるように跨いでしまう。そのため、道は、かなり高い場所に通じており、周辺の見晴らしは良い。橋から見下ろす沢筋の高度感も相当であった。

高楢大橋の手前。 高楢大橋のたもとに着いた。橋の手前に、気温を表示する電光板があり、その数字は8度を示していた。坂を登っているためか、それほどの寒さは感じないが、路面には凍結の跡が見られるようになった。
 アメリカンスタイルのモーターバイクが一台、横をすり抜ける。あの手の大型バイクには、オーディオ装置が装備されているのだろう。ゆったりとしたテンポのスタンダードナンバーが聞こえ、それが私を追い抜いて行く。バイクのエンジン音とともに、その女性ヴォーカルが、しだいに遠く小さくなった。

楡高トンネル内。  高楢大橋から柴平橋を越えると、楡高トンネルの入り口が見えてくる。下田沢の信号から7.6キロで、このあたりが、道筋のほぼ中間点である。
 このトンネルは、この道路の場所や交通量を思うと、立派過ぎる気がするが、どうなのだろう。車線から完全に分離された歩道があり、自転車や歩行者も安全に通過できるが、この道を歩く人など、そうはおるまい。
 トンネル内部の延長は1280メートルである。自転車で走るには、やや長すぎる感もある。トンネルが長いためか、湾曲した内壁に、車の走行音が反響して、轟音ともいうべきレベルの音に拡幅される。その轟音が後ろから迫り来ることに、少しの恐怖を感じる。なかなか出口が見えない。トンネル内は、底冷えがした。

E 萱野、花見ヶ原入口から峠
花見ヶ原入口。  トンネルを抜けてしばらく行くと、萱野の集落に着く。ここに数軒の民家があるが、これより先は、山林ばかりとなる。道は、小黒川に沿い、くねくねと登って行く。谷間で日陰になっている部分は、かなり寒い。道沿いの斜面には、ところどころに残雪が見られる。
 花見ヶ原の入り口に着く頃には、寒いのと疲れていたこと、それに太陽が尾根の向こう側に移動して辺りはすっかり陰ってしまったことが重なって、気分も沈みがちであった。
 あと1キロ弱で、峠部分に達するはずであるが、自転車から降りて、しばらく休んだ。屋根にスノーボードをくくり付けた乗用車がカーブをやり過ごし、道を下って行く。

峠。桐生、沼田市境界。  花見ヶ原入り口からカーブを幾つか曲がると、開けた感じになり、周辺の山並みが見渡せるようになる。旧郡界尾根の稜線に近付いていることが分かる。
 この付近は送電線の鉄塔が多い。ここまでずいぶん高くまで登ってきた感じがするが、それよりもはるか上の空中を高圧線が走っている。
 残雪の量も多くなり、路肩部分に雪が厚く寄せられている。路面は、凍結までは至らないが、全体に濡れており、シャーベット状になった箇所もあって走りづらかった。
 沼田市の標識が見えた。峠である。メーターを見ると、下田沢の信号から15.56キロであった。沼田と桐生の市境界である。よって、ここが峠という認識でいいのかもしれないが、これより先も登っているような感じもあって、何となく道の頂点という気がしない。そこで、もう少し走ってみることにした。

F 最高地点、そして下る
東電の変電所と黒檜山。  市境界から少し進むと、道路の左(西)に東電変電所のゲートがある。送電線の鉄塔が連なっている。その向こうに、黒く陰になって見える山は、黒檜山だろう。この場所から、道は下り始めているように感じる。私の感覚としては、ここが沼田大間々線の最高地点である。 ここで引き返すことにする。  
 登りは、1時間20分ほどかかったが、帰り道は、水沼まで40分ほどで下れてしまった。ペダルを漕がずとも40キロくらいのスピードが出てしまう。しかし、とにかく寒かった。耳がちぎれるかと感じるほどであった。
(総走行距離/水沼駅〜沼田大間々線最高地点 往復 35.2キロ)
 
   ●DATA&MAP●
距離15.56km
時間1:22:03
標高差740m
平均斜度4.18°(勾配7.3%)
実走斜度2.73°(勾配4.8%)
緩急変化ほぼ一定。
景観時おり集落を抜ける。道幅の広い山間道路。

国道122号線下田沢信号から峠(桐生・沼田市境界)まで。
調査日 2010/12/11  

 ●激坂評価●
激坂評価  激坂度はBです。計算上の平均勾配は4.8%です。
 整備された山間道路で、道幅は広く、交通量は少なめです。とても走りやすい道です。
 以前は、鹿角集落より先に、渓谷沿いを走る細く屈曲した 区間がありましたが、バイパス工事が行われ、近年に完成した近代的な橋梁や高速道路並み(?)のトンネルは、交通量に比して立派すぎるほどです。
 とくに勾配のきつい場所はありません。柏山集落入り口から一の鳥居までの間、萱野集落から花見ヶ原 入り口を経て市境界に着くまでの間に、やや勾配のきつい場所(9〜10%程度か?)がありました。
 全体に道路沿いの景色は良いと思います。新緑、紅葉時などは気持ちよく走れるかと。真冬は、峠付近に積雪、凍結があり、冬季の走行はお勧めしません。
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