電撃! 激坂調査隊が行く

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●第44回 菱町の坂の巻き●

菱町の坂を自転車で巡る

 菱町南部には、小さな坂道が数多くあります。

 これらの坂道には、それぞれに名前があり、坂道にまつわる伝承も各々に伝わるようです。

 そうした伝承やいわれを垣間見ながら、菱町の坂道を自転車で巡ってみました。
 ●コース詳細●

@ 横山坂
横山坂。横山坂の庚申塔。 まずは横山坂から。横山坂は、米沢と曲松の間にある坂で県道227号線小俣桐生線(以前は坂西桐生線)が通じている。鳶山の南麓を巡る坂道である。昔、この峠道の下に、桐生氏の家老であった横山氏が住んでおり、坂名は、この横山氏にちなむ。(『菱の郷土史』による。以下、坂名の由来や坂に関する伝承は、全て同書による。)
 上濁沼橋で桐生川を渡る。県道小俣桐生線 に合流し、少し進むと、右手(東側)に宇都宮神社がある。坂道の勾配の始まりは、この神社の横辺り。ここをスタート地点とする。始めは北に向かう。途中で西にカーブする。このカーブの感じがいい。カーブを過ぎた辺りから勾配がややきつくなるが、すぐに坂の頂点へ。全体になだらか。たいした坂ではない。距離は神社から470m。標高差は20mほど。
 坂の頂点から20mほど西へ下った場所(道路の南側)に、自然石の庚申塔がある。「寛政十二庚申春 三月初八日」と記されている。この年号は明瞭。石の裏側に 、いくつかの地名が見える。「広見」と「曲松」は読めたが、残りは不明瞭。あとは「米沢」「細田」等だろうか。周辺の村々の名が刻まれているようだ。

A 不動坂
不動坂。 桐生川にかかる小沼橋から金毘羅山の南東麓を巡って菱町一丁目の信号に至る道がある。途中で小友川を渡る。この橋を不動橋といい、不動橋のたもとから信号までがやや急坂になっている。この急坂を不動坂というらしい。
 寛文年間に、坂の途中に庵堂があった。堂に祀られていた不動明王の石像が、現在も坂の途中に残っており、このため、不動坂と称する。
 横山坂を西に下る。不動坂を登るためには、坂の麓の不動橋辺り まで降りなければならない。そこで、いったん不動坂も下る。振り返ると、坂の向こうに鳶山が見えている。
 不動橋から登り返す。それなりに傾斜はあるが、とにかく短い。距離は約100m。地形図上では判読不能だが、標高差は5m程度だろうか。坂の途中、道の北側に不動明王の石像と安永年間の回国供養塔がある。

B 梨ノ木坂
浅間山麓の庚申塔。梨ノ木坂から吾妻山方面。 再び不動坂を下って小沼橋で桐生川の右岸に出る。土手の上の砂利道を西に向かい、宿ノ島橋を渡り桐生川の左岸へ戻る。
 宿ノ島から城ノ岡団地の西側を通過し、山ノ越へ下る峠を山の腰峠といい、その峠道を梨ノ木坂とも呼ぶ。浅間山東麓の鞍部を越える。浅間山の山頂には、桐生氏時代の砦跡がある。
 道幅の広い自動車道で、勾配はごくごく緩やかだが、適度にくねっているところはよい。「宿ノ島橋北」のバス停をスタート地点とした。そこから350mほどの場所で道の西側に、庚申塔が二つ並んでいる。大きな丸石のものは寛政年間、小さな三角形のものは元治年間に建立されたようだ。同じ場所に菱町かるたの案内板もあり、「見渡せる浅間山は砦跡」とあった。
 坂の頂点は、「城ノ岡団地入口」のバス停で、「宿ノ島橋北」バス停から590mであった。標高差は20〜30mほどであろう。
 道の雰囲気は、山ノ越への下りのほうが優れているように思う。下り始めには、正面に吾妻山の稜線が見渡せ、そこからやや左にカーブしつつ下ると、今度は遠くに赤城山の稜線が見えてくる。赤城山の手前には、桐生の市街地が広がる。サッカーボールを模したガスタンクが目立っていた。

C 明神坂から駒転ばし峠
桐陽台団地へ向かう細い坂道。 宇都宮神社裏の坂道。 宇都宮神社裏手の急坂を明神坂と称したようである。昔は、森の中の細く薄暗い山坂で、途中に灸点稲荷があって淋しい坂道であったという。この坂は 、駒転ばし峠へ通じていた。
 山ノ越から桐生川沿いの道を北に走って上平まで 来た。民家の庭先で庭木の枝を刈る人がいた。『菱の郷土史』に、「広見坂」という坂があって、この坂を通って上平から広見方面に出たと書かれている。この「広見坂」がよく分からなかったので、その人に尋ねたが、「聞いたことがないなあ」と言われてしまった。「昔、広見の高台に料亭があったが、あそこに登る坂のことかな?」とも言う。それで、広見坂はあきらめて明神坂から駒転ばし峠へ向かった。
 宇都宮神社の裏手に出ると、前を行く婦人が腰をかがめながら急坂を登っていた。自転車に乗りながら横を抜けると、「この坂は大変だよ」とおっしゃる。坂の名を尋ねてみたが、「坂道の名前なんてないんじゃないの」との答えが返ってきた。そのあと、灸点稲荷の話になった。「昔は、ずいぶんと賑やかだったと聞いている。でも、私が来た頃はそうでもなかった。いまも3月の初午の日に、近くの家の人たちがお祭りをやっている」といった話を聞く。

駒転ばし峠の地蔵。 明神坂(?)を過ぎると、道幅が狭まり、竹やぶの中の細道になる。寂しい雰囲気が感じられるのは、このわずかな区間だけである。すぐにコンクリートの階段の下に出る。この階段を登ると、そこは桐陽台団地の敷地内で、住宅が整然と立ち並んでいる。団地内の道を南端付近まで行くと、小さな公園がある。その奥は造成地で、現在は荒地になっている。公園奥のフェンスの外側に地蔵の石像が二体と小さな丸石がある。この辺りが、往昔の駒転ばし峠なのだろう。
 地蔵には赤い前掛けが付けられていた。かすかに線香の香が立った。いまでも、信心深い人が花を供え、この地蔵の前で手を合わせているのであろう。冬枯れの荒地とは対照的な、あまりにも鮮やか過ぎる赤い前掛けによって、そのようなことが思い起こされた。
 宇都宮神社の北西辺りから団地の南端まで860m。標高差は40mくらいか。神社の裏手の勾配がやや急であるが、その他はなだらかな道である。

D 三年坂
三年坂(?)。 『菱の郷土史』によると「六句駐在所横を入った坂」を「三年坂」というらしく、それらしい道を通ってみたのだが、どうも坂道らしくない。ほとんど勾配がないのである。「往昔は全くの山道で、而も急坂であった」とあるが、「うーん」と悩んでしまった。
 伝わる話は以下の通り。昔、この坂の上に、アヅキ婆さんという老婆が住んでいた。坂道で転んだのが原因で、アヅキ婆さんは死んだ。アヅキ婆さんの祟りかどうかは分からないが、以後、この坂で転んだ人は、三年以内に死んだという。このため三年坂という名が付いた。不思議で、少し怖い話だが、そんな雰囲気は、この場所からは全く感じられない。ごく普通の、住宅地内の道である。
 坂の始まりもピークもよく分からないので、距離や標高差は不明である。

E 八王子坂
群大グランドから八王子坂。 菱町の公民館付近から群大グランド辺りまでの坂道を八王子坂と呼ぶ。峠の山中に八王子社が祀られていたため、この坂の名が付いた。現在は、県道小俣桐生線で、交通量は多い。
 何度も通過したことのある場所だが、一応、距離を測ってみた。黒川にかかる間々下橋から坂の頂上まで440mであった。標高差は15〜20mほど。勾配はなだらか。
 坂名の由来である八王子社を確かめようと、峠南側の雑木林内を探したが、よく分からなかった。『桐生市史』には石祠があると書かれるが、林の中に、木製の小社が一つあった。

F 山神坂
山神坂。 山神坂というのは、住吉峠(赤坂)の峠道を、小友側から呼ぶ場合の坂名らしい。よって、小友側から住吉峠へ登れば、山神坂を登ったということになるのだろうか。この坂の入口は、土の斜面が道脇に露出していたり、うっそうとした木立に覆われていたりで、なかなか風情がある。
 距離は短く、すぐに坂の頂上に着いてしまう。入口から頂点まで110mであった。坂の頂上南側に小社がある。社の西側の民家で聞くと、その社のことを「オトリサマ」と呼ぶという。祠の横に、寛保二年建立の石燈籠がある。 

G 住吉峠(赤坂)
住吉峠。 『菱の郷土史』には、「住吉峠」は、「住吉神社の祀られてある山道の峠」とあり、「又の名を赤坂とも云う」ともある。「赤坂」は、「住吉の下の坂道を赤坂と云い、峠にて合流する」とある。峠で合流とあることから、峠部分は一か所で、峠に至る坂道(つまりは峠道)は二筋あるとも読める。「大鷲神社」の説明には「(神社は)住吉峠の頂点に在り」とある。
 住吉神社と大鷲神社とは、異なる神社であるから、大鷲神社(「オトリサマ」)がある住吉峠と「住吉神社」がある住吉峠とは別の峠のようにも解釈できる。実のことろ、赤坂と住吉峠道がどの道を指しているのかよく分からないのだが、とりあえず、菱町公民館の北側から大鷲神社(「オトリサマ」)がある場所まで行く道を住吉峠道とし、その坂道を登ってみた。
 始めは、なだらかだが、峠の手前付近がけっこう急勾配である。この部分だけは、激坂といってもよいのではないか。公民館の向かい側から坂の頂点までの距離は400mであった。標高差は、20〜30m程度であろう。

H 住吉への坂
住吉神社?住吉の高台から桐生市街。 最後の坂は、間々下橋の東側から住吉の高台まで登る道である。どこに出るのか分からぬままに適当に登ってみたら、これがなかなか良い坂道であった。
 坂の頂上は「住吉パークヒルズ」という分譲地で、山際に建つ新しい住宅に行き当たって道は終わった。その分譲地の手前、山林が造成される以前はそこが頂上だったと思われる辺りに、石祠(住吉神社だろうか?)が二つあった。坂の中腹からこの祠までの勾配がすこぶる急である。間々下橋のたもとから道の突き当りまで390m、標高差は、他の坂と同様に30mほどである。
 坂の上から望む景色がよい。坂道が途中でカーブしているため、下って行く坂道が、空中でぱたりと途切れているように見える。その途切れた道の下に、桐生の市街地が広がる。夕刻である。落ちる日が、市街地の向こうの空を淡い橙色に染め始めていた。
(総走行距離/太田〜桐生菱〜太田 48.05キロ)
  
   ●DATA●
坂名/データ距離時間標高差 勾配
@横山坂(米沢側)470m 0:02:2420m4.3%
A不動坂100m 0:00:416m6.0%
B梨ノ木坂(宿ノ島側)590m 0:03:0620m3.4%
C明神坂〜駒転ばし峠860m 0:05:3940m4.7%
D三年坂
E八王子坂(赤坂側)440m 0:02:1920m4.6%
F山神坂110m 0:00:555m4.6%
G住吉峠400m 0:02:2125m6.3%
H住吉への坂390m 0:02:4330m7.7%

 調査日 2009/12/20
 ※いつものように勾配を計算してみました。標高差が小さすぎて、正確に読み取れませんでした。よって、勾配は、おおよその数値です。 

 ●激坂評価●
 どの坂も、すぐに登れてしまうごくごく小さな坂道です。激坂かどうかなんて評価するまでもないのですが、今回の坂の中では、住吉峠の峠手前(西側)と住吉への坂の頂上付近が急勾配でした。大した距離でもないのに、9か所の坂道を巡るのに4時間ほどかかりました。
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