| ●第28回 小倉峠の巻き● |
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□以前、桐生の市街地図を見ていた時に「峠」という名前のバス停を見つけました。どう見ても峠があるような場所ではないのになぜに「峠」?と不思議に思いました。
□いろいろ調べてみると、昔、このバス停の上の位置に小倉峠という峠があったことがわかりました。 □小倉峠はその昔、桐生、仁田山(現、川内町)間の交通の要所でしたが、新道の開通や住宅団地の造成により消滅したようです。 □そこで、今回は小倉峠の跡を探して、峠のあったあたりを探索してみました。 |
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| ●コース詳細● |
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□今日は赤岩橋で渡良瀬川を越えた。橋を渡り、信号を左折する。ゆるやかな坂を登ると小倉峠である。現在、小倉峠といえば、この場所を指すようである。桐生の市街地から川内方面へ抜ける、渡良瀬川沿いの道で、切通しになっている。
□吾妻丘陵の南端が渡良瀬川に向かって切れ落ちている場所がある。このがけを切り崩して造られた道路は、丘陵先端の断崖をゆるやかに回り込むようにして、大間々方面へと続いている。左手(南側)は渡良瀬川の河原である。山を越えたりしないので、峠という感じはしない。 □では、なぜこの場所を小倉峠と呼ぶのか? それは、昔、この道路のがけの上に旧い峠道があり、そこが小倉峠と呼ばれていたからである。がけ下の道路は1884(明治17)年に開通したらしいが、それ以前は桐生と仁田山(現、川内町)間の往来には丘陵を越える峠道が使われていたという。この峠が本来の小倉峠(桐生峠とも呼ばれた)である。 |
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1958(昭和33)年発行の『桐生市史』には小倉峠について「桐生峠ともいい、本(吾妻)丘陵の南端に近いところにある。標高180メートル。むかしは桐生・仁田山八郷間の主要交通路で人馬の往来もしげく、多くのローマンスをのこしたが、明治17年、渡良瀬川の断崖を切り開いて新道を作った後は廃道となり」と書かれている。小倉峠については興味深い話がいろいろと伝わっている。峠をめぐるあれこれ(「小倉峠に伝わる…な話」)は別ページに書いた。
□がけ下の道路をぐるりと回り込んで丘陵の西側へ出る。聖徳皇太子と大きく刻まれた石碑(なぜここにこんなものがある?)と並んで現小倉峠の開発記念碑があった。建てられたのは1884(明治17)年12月。碑文の最後には山田郡長松井強哉氏の名前がある。漢文なので詳細まではわからない。刻まれている文字から推測するに、どうやら道路開発のいきさつなどが記されているようである。内容は「桐生〜仁田山、大間々間の行き来が大変なので、がけを切り開き、新道を造った」といったところか(おおざっぱ)。 □記念碑のすぐ先にはくだんの「峠」のバス停(上の写真)。向かいはコンビニで、クリスマスの飾りとやたらと本数の多い店内の蛍光灯のせいで、店の周辺の空間だけが妙に明るい。車が切れ間なく通る。どうみても「峠」のバス停から連想されるのんびりとしたイメージ(私の勝手なイメージだけど…)からは程遠い場所である。 □小倉峠の入口はバス停の少し先にあった。道の端に石塔が四つ。墓石に似ているが少し感じが違う。この時は気にとめなかったのだが、帰り道で再び目にした時、これらの石塔は昔、峠にあったものを移設したものではという気がした。こう感じたのは『群馬の峠』の小倉峠のページに次のような記述があったのを思い出したからである。 □小倉峠を訪れようとしたした著者は、峠が見つからないので地元の人に道を尋ねる。そこで 地元の人:「ああ、あれが旧道です。この先から登って、向こうの教会のあたりへ下りてたんですがネ、向こう側は崩してるんで、もうなくなりましたよ。」 著者:「峠もですか」 地元の人:「いやァ、峠は残ってますよ。丁度そこまで崩したようですが。峠には、いくつか石塔や石が立ってたんですがねえ、業者が邪魔にして、どうにかなってるんぢゃないですか」という会話を交わす。ここで話題になった石塔が峠の入口に移されたのではと思ったのだ。丘陵の上のほうでは石塔などは全く見当たらなかったので。 |
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□旧い峠道を登り始める。細いアスファルト舗装の道だ。細いといっても実際の道幅が狭いわけではなく、崩れた土砂や落ち葉や枯れ枝などで道の半分以上が埋まっている。シングルトラック程度の道幅しかない。
□峠の入口に車両通行止めの標識があったが、この状態ではわざわざ通る人もいないだろう。などと思っていると、法面をコンクリートでおおわれた切通しの道になり、住宅団地の裏側に出た。あっという間にピークである。距離にしてわずか500メートル弱。これまで走った峠道のなかで間違いなく最短の記録だ。 □『桐生市史』には「(小倉峠は)ただ峠上の十山亭址や宝筐印塔の残片にむかしをしのぶのみである」とある。これら峠のこん跡を探してみたが、今では全くわからなかった。団地の高台のやぶに登ったりして、周辺をうろついてみるが、標高203メートルを示す三角点が落ち葉に埋もれていただけである。 |
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| □ 峠のあった場所は青葉台団地を造成する際に、けずられてしまったのだろう。『群馬の峠』の著者が小倉峠を訪ねたのが1971(昭和46)年。この時、ちょうど団地の造成工事中で、丘陵の東側斜面を切り崩していたと書かれている。小倉峠とその峠道は丘の西側のわずかな部分に、今は舗装された旧道跡が残るのみであった。 |
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□団地の一番上の道路に立って桐生の街を見下ろす。『群馬の峠』に「居を構えるには申分ない眺望の地」とあるように眺めのよい場所である。山と川に囲まれた桐生の地形の特徴が手に取るようにわかる。
□街並みや道路の様子は変わっても、山の形や川の位置はそう変わるものではない。小倉峠からの眺めもこれに近いものだったと想像できた。 □帰りは再び川内側へ下って、白滝神社(小倉峠の名前の由来となったされる白滝姫の伝説が残る)や大間々の要害山(小倉峠に建てられたという「十山亭碑」―江戸時代の詩人、佐羽淡斎の詩碑がある)などをめぐり、帰路に着いた。総走行距離53.37キロ。 |
| ●DATA&MAP● |
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| 距離 | 0.51km |
| 時間 | 0:03:57 |
| 標高差 | 50m |
| 平均斜度 | 10.30° |
| 実走斜度 | 5.63° |
| 緩急変化 | ほぼ一定。 |
| 景観 | 雑木林から団地の高台へ。展望良。 |
| ●激坂評価● |
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激坂度はDです。うーん。坂道の傾斜がどうとか評価できるような距離ではありませんでした。 今回は、ヒルクライムよりも昔の峠探索のほうに重点をおきました。 |