補足説明―数ある石尊山と石尊信仰の広まり

1 石尊信仰とは?2 高山彦九郎の日記『小股行』にみる石尊山のにぎわい3 石尊山の伝説

4 関東地方には石尊山がたくさんある

1 石尊信仰とは?

@ 大山阿夫利神社を中心とした山岳信仰

 石尊信仰とは、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)を中心とする山岳信仰のこと。現在の阿夫利神社は明治の神仏分離令によって新たに建てられた神社である。古くは大山(丹沢山地の南東部の山。標高1251メートル。厚木市、伊勢原市、秦野市にまたがる)山頂の石尊大権現と山腹にあった大山寺が信仰の中心であった。

 石尊の名前の由来は山頂の岩石による。山の頂の岩に神々が降りると信じられていたため、石尊の名がついたとされる。ここでいう神々とは、大山が雨降山(あふりやま)と呼ばれていることからも分るように、農耕の神、雨乞いの神である。

A 大山講による信仰の広まり

 大山寺は関東各地に講社を持ち、相模の山岳信仰の中心的な存在であった。講社とは、地方の村々に作られた講組織の支部のようなもの。ここでいう講とは「宗教上の目的を達成するために信仰を同じくするものが集まった集団」(『日本宗教事典』 弘文堂 1985年)のことである。

 講組織による信仰の広まりは、有名寺社を中心に、その寺社から遠くはなれた各地域にも及んでいた。講社の代表者が各組織の構成員を代表して信仰の中心となる寺社に参拝する代参講というのが広く行われた。代参講は山岳系の寺社に多いのが特徴である。

B 大山詣の流行と石尊宮の勧請

 江戸時代には関東全域から大山に登拝(大山詣―おおやまもうで)する人々が集まり、かなりのにぎわいをみせた。江戸中後期になると、こうした信仰は遊興的な性格が強まる。現代の観光旅行やレジャーのような感じだろうか。「有名寺社の境内や門前町には多様な遊興の施設が存在し、こうした参詣は宗教的なものであると同時に世俗的な、観光的あるいは娯楽的性格」(『日本史小百科 神道』伊藤聡、遠藤潤他著 東京堂出版 2002年)を帯びるようになった。

 また、各地の村に石尊宮が勧請(かんじょう―仏教の言葉で仏を祀ってあるところか別のところへ迎えて祀ること)された。そのため、関東には石尊山という名前の山が数多くある。足利の石尊山もそのうちのひとつである。


2 高山彦九郎の日記『小股行』にみる石尊山のにぎわい

@ 『小股行』に書かれた足利石尊山の様子

 江戸期の石尊信仰の広まりや足利の石尊山のにぎわいについては、高山彦九郎の日記『小股行』の記述からもうかがい知ることができる。『小股行』は彦九郎が1779(安永8)年の7月7日に小俣の鶏足寺(けいそくじ)と石尊山を参拝した際に書き残した日記である。

 石尊山の山頂の様子を描写するなかで、相模の大山と比較しながら筆を進めている箇所がある。「(石尊山は)山半より岩多し、山の背少し平らなる所に半鐘をかく、参詣の人ミな是を打ツ、相州大山の來光谷に擬すとそ覚ゆ」「石尊山よく相州大山に似山も易からす」などとある。これらから彦九郎が以前に相模の大山に足を運んでいたことはもちろん、足利の石尊山が相模の大山を元にした社であることなどが分る。

 また、「たきの上に不動堂新たに建、近年参詣多き故と覚へし」や「上野田(村の名)入口に旗を立ツ石尊の神社の為なり、猶北に行、中妻村ここにはた立、参詣の人絡繹(らくえき―人馬などの往来が連なり続く)たり」と書かれていることから足利の石尊山のにぎわいの様子が読み取れる。

A 足利石尊山はいつ頃からにぎわうようになったか?

 さらに石尊山のにぎわいについて古老から説明を受ける箇所がある。彦九郎は、古老に石尊山が参拝の人であふれるようになったいきさつを問う。古老は山頂に石尊宮を祀って以来、人が多く集まるようになったと答えている。そのくだりを以下に引用すると「石尊参詣群聚の来由小股の事を老人に問、老人くはしく語り云、三十年以前かなふけの幸右衛門といふもの石尊祠を山上に勧請せしより年々人信をまし今かくなれり」となる。「かなふけ」というのは石尊山近くの小地名のようである。

 彦九郎の『小股行』に登場する古老の話が史実として正しければ、日記に30年前とあることから、石尊山に石宮が置かれたのは1749(寛延2)年頃ということになる。石尊山という名は大山の石尊祠を勧請したためにつけられた名前だろうから、石尊山の山名の歴史は意外に新しい。石尊祠が置かれる前は鶏足寺に付属する山だったらしい。


3 石尊山の伝説

@ 石尊山は鳴動山と呼ばれていた?

 足利の石尊山は「石尊山」と呼ばれる以前は「鳴動山」または「鳴山(なるやま)」と呼ばれていたようだ。以下は『足利の伝説』に収録されている伝承である。

 今からおよそ1500年ほど前のこと。それまで無名の山だった現在の石尊山の上空に5色の雲がかかり、雷鳴とともに豪雨が降り出した。山は轟音とともに揺れ動いた。この雷雨と山の鳴動は一週間ほど続いた。8日目の朝、村人たちが山を見上げると、山頂にこれまでなかった大きな岩が出現していた。

 この岩は後に釈迦岩と呼ばれるようになる。村人たちはこの岩への信仰を深め、山は「鳴動山」あるいは「鳴山」呼ばれるようになった、という話である。


4 関東地方には石尊山がたくさんある

@ 石尊山という名前の山を探してみる

 次に関東各地に石尊山という名の山が数多く存在する点についてみてみよう。三省堂の『日本山名事典』や他の山名・地名の資料を参考に各地の石尊山を拾い出してみる。まとめると表1のようになる。表1をもとにそれぞれの石尊山の位置を地図上に示したのが図1である。

表1 石尊山一覧
No所在県所在市町村標高地形図名 特徴
茨城十王町・日立市387日立 
茨城大子町・栃木県黒羽町421大子 
栃木足利市486足利北部山頂に釈迦岩、梵天祭りが行われる。(『角川日本地名大事典 栃木県』より)
栃木鹿沼市594文挾 
栃木塩谷町481壬生 
群馬安中市・榛名町571三ノ倉北陸新幹線「安中榛名駅」の真上にある。梅林で有名な秋間丘陵の秀峰。(『野山を歩く100コース』より)
群馬月夜野町752後閑山腹に八束脛(やつかはぎ)洞窟遺跡(弥生時代の人骨など出土)あり、山頂に祠。(『野山を歩く100コース』より)
群馬中之条町1049中之条祠あり。 5月5日の山開きは、どんな悪天候でも行われるという「信仰」の山。(『群馬の山歩き130選』より)
埼玉小川町・東秩父村340安戸 
10千葉君津市・大多喜町348上総中野山頂に阿夫利の石祠があり、天狗信仰の対象になった。(『角川日本地名大事典 千葉県』より)
11山梨勝沼町532石和 
12長野軽井沢町1668浅間山付近には弥陀ヶ城岩、血の池、座禅窟などかつての信仰の名残りが見られる。(『群馬の山歩き130選』より)

図1 石尊山の分布地図 石尊山の分布地図
 上の表に示した石尊山は、なにも関東甲信地方に限定したわけではない。全国にある山の中から石尊山を拾い出してまとめると、表1のようになるのである。逆にいえば、石尊山という山名の山は関東甲信地方にしかない。
(ただし、これらの山は、地形図に山名が表記されている山、あるいは登山のガイドブックなどで紹介されいる山である。地図やガイドブックに載っていない石尊山なら関東甲信地方以外にもあるかもしれない。)

 また、地形図に表記されていないが、各地域で石尊山と呼ばれている山は他にも多数あることだろう。すぐに思いつくものだけでも太田・桐生周辺でふたつある。 桐生市川内町に仁田山城という中世の山城跡がある。この城跡のある丘陵のピークを地元の人は石尊山と呼んでいる。 太田市の北部、八王子丘陵の東端にある唐沢山も石尊山と呼ばれることがあるようである。地元の山歩きグループの方が設置した道標に「唐沢山(石尊山)」と書かれている。

 『日本山岳ルーツ大事典』の石尊山の項に「(石尊山は)石神(しゃくじん)ともいい、石を神体として祀った社をもつ山」と書か

れているように、山の上に巨石やその代わりの石宮がある山を単に石尊山と呼ぶこともあるようである。これは、もともとは石尊信仰から始まったものが広く浸透するにつれ、しだいに拡大解釈されて、山頂にただ巨石や石の祠があるだけの山を石尊山と呼ぶようになったという事情もあるのだろう。このため、表1に示した全ての山が相模大山の石尊の信仰から派生した山であるとも言い切れない。

A 石尊山は北関東に多く、そのほとんどは低山である

 表1と図1を見て気づくのは以下の2点である。

@ 石尊山は関東全域に分布し、特に北関東(茨城、栃木、群馬の3県が目立つ)に多い。
A 石尊山は標高350〜700メートル前後の低山が多い。

 @から石尊信仰が関東全域に広まっていたことが分る。石尊山が関東地方の周縁部に多いのは、関東の中心部は平野で、石尊祠を祀るような適当な山がないという地理的な条件によるところが大きいように思う。そのかわりに石尊の文字を刻んだ石碑や石尊という名の神社は関東から信濃にかけて多くあるという。

 Aの標高については、一番低い埼玉県小川町の石尊山で340メートル、一番高い浅間の石尊山で1668メートルである。表1の12座のうち半分の6座が400メートルから600メートルの間に収まっている。参考までに12座の標高の平均を計算すると、636メートルになる。

B 石尊山に低山が多いのはなぜか?

 Aの理由を推測してみると以下のようになる。相模大山の石尊大権現はもともと農耕の神、雨乞いの神である。よって、水田や畑の多い地方の、集落のすぐ近くにある岩山に石尊祠が多く勧請されたのではないか? 人里を見守るかのようにそびえる山が石尊祠を祀る山としてふさわしかったのである。

 地域の人々の信仰を集めていたわけだから、その地域の人々による神事や祭事もとり行われたことだろう。足利の石尊山の場合は、梵天祭りが行われてきた。梵天祭りとは8月14日の早朝、地元の若者たちがスギの丸太を石尊山山頂へ担ぎ上げ、丸太の先に梵天(修験道で祈祷に用いる幣束)をつけて立ち上げるという祭事である。里と山頂との標高差が大きいとこうした行事や日々の登拝が大変である。急峻で険阻な道を何時間もかけて登るような山では、修験者たちの修行ならともかく、普通の村人たちが日常的に信仰の対象とするような山には適さない。

 参拝するのにそれほど労力を必要としない程度の山(目安とすれば、1時間くらいで山頂まで登れる山か)で、なおかつ神々が降りそうなそこそこの高度と信仰にふさわしい雰囲気のある山が石尊山に選ばれたのだ。これらの山々は平野部の近くにあって集落から仰ぎ見ることのできる山である。こうした条件を満たす山となると、結果的に標高350〜700メートル前後の低山が多くなるというわけだ。

●参考文献
『角川日本地名大事典』(神奈川県、千葉県、群馬県、栃木県) 角川書店 1984
『群馬県百科事典』 上毛新聞社 1979
『日本宗教事典』 弘文堂 1985   
『日本の神様読み解き事典』 川口謙二 柏書房 2002
『日本史小百科 神道』 伊藤聡 遠藤潤他 東京堂出版 2002
『高山彦九郎日記 第1巻』 千々和實 萩原進編 西北出版 1978
『足利の伝説』 台一雄 岩下書店 1971
『日本山名総覧』 武内正 白山書房 1999
『三省堂 日本山名事典』 徳久球雄 石井光雄 武内正編 三省堂 2004
『日本山岳ルーツ大事典』 竹書房 1997
『新日本地名索引 五十音篇』 金井弘夫編 アボック社出版局 1993
『群馬の山歩き130選』  安中山の会 上毛新聞社 1997 
『野山を歩く100コース』  安中山の会 上毛新聞社 1999