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補足2 市野倉周辺は、かつて広大な松原だった

 ●市野倉地区の変遷●

@ 飛行場建設以前の生品村北部の地図
飛行場建設以前の生品村北部の地図。  ▲1885(明治18)年の迅速図「上野 太田町」より現在の市野倉付近。
地図記号を見ると、いまの市野倉周辺は、ほとんどが平地林だったことがわかる。
ピンク色の線は高山彦九郎の日記『忍山湯旅の記』に記録された道。彦九郎が忍山温泉からの帰り道に歩いた。日記では、小金井村に至るまで松原が続いていたと書かれている。

A @の地図に現在の市野倉の地図を重ねてみる(青色の線) 飛行場建設以前の生品村北部の地図に現在の市野倉の地図を重ねたもの。
 ▲1885(明治18)年の迅速図の市野倉付近に現在の市野倉の地図を重ねてみたもの。
青色の線が市野倉の外周をめぐる道路。今回、自転車で走ってみた道である。
Aの角地からスタート。元少年飛行兵の方が建てた石碑のある場所。
AB間の道が約2キロ続くサクラの並木道。通称「桜並木太平記街道」。Bの角を過ぎると、変電所がある。
Cの角の北西に蛙又の三叉路がある。三叉路には、生品山林保護組合の道しるべが立つ。
Dの角の付近で北関東自動車道の工事が進められている。
ピンク色の線は、彦九郎が忍山温泉からの帰り道に歩いた道。いまの市野倉の中央をほぼ縦断するように歩いている。

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