エトセトラ

何気ない日常の中でふと思うこと・・・



 その15 【 見送るということ 】 


私は、時々ご葬儀の演奏に行っています。
結婚式やパーティーでの演奏とは全く雰囲気が異なります。これらの演奏は、始まりの期待が こもっていたり、あるいは何かの記念という、これからも続いていく明日のための式典のお手伝いです。 でも、ご葬儀は締めくくりの式典です。 身近な人を見送るということは、悲しいことであり寂しいことです。
この仕事のお話をいただいた時は、果たして自分にできるのだろうかという不安を持ちました。 演奏そのものより悲しみの時間に自分が居続けられるのかという不安でした。最初のころは とまどいもありました。でも、何度か経験をしていくうちに、やりがいを感じるようになりました。
死はさまざまです。大往生もあれば、不慮の死、突然の事故、予期せぬ病い、納得のいかない突然の別れで あったりもします。
やはりお若い方の死の見送りは第三者である私にもつらいものです。 葬儀で流す音楽など、遺族の方が思い及ぶことではありません。そういう時は、年代やお好きだった ものから、こちらで選曲して演奏させていただきます。
身内のかたにとっては、どんな年齢でもおつらいものには違いないのですが、それでもある程度の 年齢になられた方のご葬儀は、見送る方々にも納得のお気持ちがおありになるので、お好きだった 曲などお聞きすることができます。そうしたリクエスト曲を弾いていると、亡くなられた方だけでは なく、いえむしろ遺族の方々にとってひとつの慰めになっているのではないかと思います。 これから先も、この曲を聴く機会があるたびに故人のことと今日の葬儀のことを思い出されるのでは ないかと思うのです。ですからできるだけリクエストにお応えできるようにしたいと思っています。
ブライダルの仕事をしてきたおかげで、広く(浅いのですが)曲を知っているというのが役に 立っています。ただ、そうは言ってもリクエスト曲をお聞きできるのは弾き始める直前のことが多く、 毎回緊張していますが。シャンソン、ロック、ジャズ、民謡、演歌、童謡唱歌、ポップス・・・・・

先日のご葬儀は94歳の方でした。お好きな曲がなにかおありだったか、喪主である甥御さんにお聞きしました。
「 うーん、そうやね。おじさんはあんまりそういうのはなかったね。ま、『 川の流れのように 』とか 弾いてやって 」 そうお話くださっていたら、その方のお孫さんが、
「 こないだ、おばちゃんの時は氷川きよしの曲が流れよったねー 」 と。すると
「 そうやった。この人の奥さんは氷川きよしのファンだったんよ。そうやね、氷川きよしのも弾いてやって。 たぶん、奥さんその辺まで迎えに来とるやろうから、その人にも聴かせてやって 」
「 はい、わかりました 」 私はちょっとほのぼのとした気分になって演奏させていただきました。

見送る人たちの、寂しさと少しの安堵感。そのお気持ちを汲みとりながら、納得のいく式になるよう 目だたずささえていくお手伝いができればと思います。
音楽は雰囲気をさりげなく作っていくものだと私は思っています。微力な私ができることは限られて いるけれど、気持ちが休まる空間を作る努力をしていきたい、そう思っています。




 その14 【 桜 】 


美しい桜の季節になりました。

風がやわらかくなり、光がふくよかになり、そしてどこからともなく香ってくる沈丁花の甘い気配・・・この季節になると私はいつも桜の花の咲くのを待ちこがれるようになります。
幼い頃の桜についての思い出はあまりありません。見ていたに違いない桜の木々のさまを思い出せないのです。でも、十代の終わりごろのある年の春、ふと気づくと私は桜吹雪の中を歩いていました。見上げると、一本の桜の木が、風に乗って花びらを散らしていました。その時、なんともいえないふんわりとした優しい気持ちになったのです。その日以来、桜は、私にとって慕わしい花になりました。
学生時代に読んだ古今和歌集には、数多くの桜を詠んだ歌がありました。平安の人々は、花の咲くのを 今か今かと待ち、満開の桜を春の錦とたたえ、吹く風に「桜を散らすな」と気をもむのです。そして花の生命を終えて散り行く桜を限りなく惜しみます。桜の季節、人々は桜ゆえに気もそぞろになっていたのです。
たくさんの桜の歌を読んでいくうちに、人々の桜への思い入れが私に移ったかのようにさらに桜が好きになりました。

花を咲かせる時期を除いて、桜の木は静かに立っています。その木が桜の木であることは忘れたかのように。そして、年に一度「私はここにいます」というように見事な花を見せてくれるのです。花の生命が終わる時には、はらはらと風に乗って行ってしまいます。 そんな桜の生き様も人を惹きつけるのでしょう。
空を覆い尽くす桜の美しさは、自然の営みの健やかさを伝え、まためぐりあえた季節への感謝の気持ちを抱かせてくれます。




 その13 【 違うんだけど・・・エトセトラ編A 】 


歌詞 「金太郎」

私の高校の修学旅行先は、富士五湖、東京方面でした。
その時、バスガイドさんが歌ってくれた歌
『足柄山の 金太郎  熊にまたがり すもうの稽古
  はっけよいよい のこった はっけよいよい のこった』
どこが違っているのかわかりましたか?
『熊にまたがり』するのは、『おうまの稽古』。 熊にまたがって、すもうの稽古はできないだろう!

この間違いが発覚したのは修学旅行から帰ってからでした。ある人がバスの中の様子をテープに 録音していたのです。思い出話をしながらなんとなく聞いていて
「えっ?今のなんかおかしくない?」ということで巻き戻してわかったのでした。
実際に聞いたときは聞き流していたのです。ガイドさんも、まさかこんなことになったとは思 ってもみないことでしょう。

それにしても、なんで「金太郎の歌」だったのでしょう。足柄山は箱根のあたりだそうですから、きっとバスがそのあたりを走っていたのでしょうね。
そういえば、牛がいる牧場を通って入る時、ガイドさんは
「こういう風景、みなさんは珍しくないでしょ」と言いました。
いやぁ、それは九州から来ているけれど、そんなどこにでも牛はいるわけはないんだけど!
九州ってそういうイメージだったのでしょうか!?




 その12 【 違うんだけど・・・エトセトラ編@ 】 


歌詞 「あなた」

「ねえ、『あなた』って曲、いいなぁとは思うんだけど、いきなり『パンツ』じゃなくてもいいと思わん?」と友人。
「『パンツ』? え?歌詞に出てくるかね? どこに?」
「ほら、『真っ赤なバラと 白いパンツ♪〜』」
「・・・あれは、『真っ赤なバラと 白いパンジー♪〜』!!」
「なーんだ、パンジーか、変だと思った!」
イメージとしては、悪くないと思います。日当たりのいい庭に真っ赤なバラが咲いて、干された洗濯物の中で真っ白に洗われたパンツが風に吹かれている・・・  幸せな光景です。
でも、あのしっとりとした歌に『パンツ』は出てこないだろう!!


「ぬき足、さし足、・・・」

隣のかわいい姉妹、ゆみこちゃんとるりちゃんの明るい声がします。仲良く外で遊んでいるようです。
「キャッ、キャッ」と笑う声。こちらまで楽しくなります。
その中で
「ぬきあし、さしあし、ちどりあし!」
あらっ?それを言うなら「ぬき足、さし足、しのび足!」
でも、「千鳥足」もいいかもしれない。お酒を飲んで、夜中に帰ってきたお父さん。家族を起こさないようにそっと家の中を歩くその姿はきっと
「ぬき足、さし足、千鳥足!!」




 その11 【 九九 】 


今の小学校では、2年生の2学期に算数で九九が出てきます。足し算、引き算、その桁がしだいに増えていって、次に九九が出てくるわけですが、ものを覚えていく過程の中で、子供にとってはひとつの大きな山のような気がします。
私の頃は2年生の3学期に習いました。毎日、「二二んが四、二三が六・・・」とぶつぶつ言いながら覚えたものでした。父とお風呂に一緒に入った時は、ずっと九九を唱えるのを聞いてくれました。
レッスン会場を持っていた頃、私の生徒さん達も、毎年この時期に誰かが覚えていました。

「何の段まで覚えた?」
「えーとね、七の段」
「おおっ、だいぶん進んだね。じゃあね、六七は?」
「六七ね。うーんと、ろくいちが六、ろくに 十二、ろくさん 十八・・・・・ろくろく 三十六、ろくしち 四十二、ろくはち 四十八、ろっく 五十四 ふうぅっ! 言えた!! あれっ?  先生、問題はなんやったかね」
「六七!」
「ろくしちね、ええっと、ろくいちが六、ろくに 十二・・・ 三十六、ろくしち 四十二!!。先生、四十二!!」
「正解でーす!」
このやりとりを聞いていた年上の生徒さん、フフと笑って、
「まだ、七の段?ふーん」と、ちょっとお姉ちゃんぶるのです。
でも、みんなそうでした。今、九九を覚え始めた年下の友人の姿は、昨年、あるいは一昨年の自分の姿なのです。九の段までは、途方もない遠さのように思いながら一段ずつ覚えていったのです。覚える過程では行きつ戻りつ、忘れたり勘違いしたり、それを繰り返しながら自分のものにしていったのです。覚えてしまえば、もうこっちのもの、苦労した過程はどこかに飛んでいってしまいます。

このことは、九九だけのことではないように思います。新しいことをやってみようと思うとき、私はいつも自分自身が九九を覚えた遠い昔と、生徒さんたちのその日々を思い起こすのです。一歩ずつ努力していけば、身につくものが必ずあるはず、それを信じることができます。やってみなければ、何も始まらないのですから。

さて、現在の生徒さんの部屋にも、九九表が貼ってあります。彼女は、何の段まで覚えたかな?




 その10 【 ここはどこ? 】 


大好きな宮崎アニメのひとつ「千と千尋の神隠し」、私は何度もビデオで見ました。最初に見た時も、それ以後も物語が始まってすぐに感じることは
「すごい!千尋ちゃんは方向感覚がすぐれている!」ということでした。

不思議な世界に足を踏み入れてしまって、ハク少年について湯屋に入った千尋。庭への木戸をくぐり、外階段を降り釜爺の所へ。そして、リンに連れられて、厨房を抜け、エレベーター(?!)に乗り、てっぺんの湯婆々に会いに行き、名前をとられて千となります。それから、ハクといっしょに湯屋の従業員たちの所へ。そこからまたリンの案内で、寝起きをする部屋まで行くのです。
この段階で私はすでに、「なんと複雑な作りの建物なんだろう!」状態です。翌朝、ハクが千の寝ている部屋にやってきて「橋の所までおいで」とささやきます。千は起きて、迷うことなく最初に建物に入った釜爺の所まで行って靴を履き外に出ます。そして、橋でハクに会うのです。

なんであんな迷路のような建物の中を一度歩いただけで、その道順を覚えられるのでしょう???
「それが、どうしたの?」と思われているあなた ― あなたは方向音痴ではないのですね。このことに感心してしまう私 ― そう、私は方向音痴なのです。
道順や方角はどうしても覚えられないし、勘も働きません。他のことに関してはそれほど勘が鈍い方ではないように思うのですが、これだけはからきし駄目です。
初めて行く所は、丹念に地図で確認します。( 地図は読めるのです。 )口頭で教えてもらう時も、何度も確認します。だから、一回目は見事に行けるのです。入り組んだ団地の中の友人宅を訪れた時は、
「なかなか一回でスッと来れる人はいないのに、すごいじゃない!方向音痴じゃないって!」と言ってもらえました。
しかし ― それがそうではないのです。二回目も大丈夫、行けるのですが、なぜか三回目、四回目は迷うのです。最初の緊張感が薄れるというか、結局のところ覚えられていないのです。
そして、来た道なのだから帰れるはずなのですが、帰れません。また地図で確認しつつ、あるいは逆方向になる道順を改めて聞いて、いざ帰らん!となるのです。
A地点からB地点には行ける、A地点からC地点も行ける、でもB地点からC地点には行くことができません。 道順もたくさんあるはず。でも、私に道順のレパートリーはないのです。
方向感覚のなさは、建物の中に入った時も発揮(?)されます。建物の中から外にあるものの位置を指し示すことができないのです。ふたつの駐車場がある場合「どっちに停めた?」と聞かれて、指で示されても答えられないのです。あいまいに「こっちかな」で答えると、大抵は間違っています。
時折、困ったことも起こるし、なんとか直す方法はないものかと思ったりしますが、今のところ治療法は見つかっていません。

私は音楽をやっているので、たぶんいわゆる音痴ではないと思います。( 歌はへたですが、それはまた違う問題なので。)「音痴」を辞書で調べると「音に対する感覚が鈍く、歌を正しく歌えないこと」「音楽が全くわからないこと」とあります。
これをそのまま私にあてはめると「方向に対する感覚が鈍く、道を正しく歩けないこと」「方向が全くわからないこと」ということになります。確かに。

「千と千尋の神隠し」で、千は自分を助けてくれたハクの窮地を救うために、建物の中からではなく外からてっぺんの湯婆々の部屋に登っていきます。そしてハクの命を助けるために銭婆のもとへ、電車に 乗り未知の場所へ赴くのです。そうして感動的な最後を迎えるのですが、こ、こんなことは私にはできない。

『すべての道はローマに通ず』― 迷っても間違えてもいつかはたどりつけるはず・・・でも時間がかかる・・・




 その9 【 秋を告げるもの 】 


空が高く感じられるようになりました。さわやかになった風が、馥郁とした香りを運んできます。そう、金木犀です。
私は十月生まれです。この花のことを知ったのは二十歳の誕生日のことでした。高校時代の友人が庭に咲いたこの花を届けてくれたのです。十代から二十代への変わり目をこの花は彩ってくれました。
それ以来、この花の香りがしてくると「ああ、また一年が過ぎたのだな」「秋になったのだな」と思うのです。また、香りを感じる前に誕生日がやってくると「今年の金木犀はどうだろう、ちゃんと咲いているかな」と思うようになりました。私にとって大切な季節の花となったのです。

今住んでいる家の前には大きな金木犀の木があって、星の形をしたオレンジ色(金色)の花をたくさんつけています。今年は、夏が暑かったせいか、花は早めでした。先日の台風で花は散り、地面は小さな花たちの模様になりました。そして今、残った花たちは香りを放ちながら、咲き誇っています。「これから秋が深まっていくんだよ」と言いたげに。

金木犀の友人とは今もおつきあいが続いています。年賀状のやりとりしかできなかった月日を経て、パソコンメールのおかげで、話し合えるおつきあいが復活しました。彼女だけでなく、高校時代を共に楽しく過ごした友人達ともいっしょです。
高校時代、それは人生の中では「春」になるのでしょうか。今も気持ちは変わりません。生きていくこれからの道は「秋」に向かうのかもしれませんが、季節を楽しみながら、彼女達とのお付き合いを大切にしていきたいと思っています。




 その8 【 花あそび 】 


今、私の家の玄関脇におしろい花があります。二週続けてやってきた台風で、二本は折れてしまったのですが、残りの一本がけなげに咲いてくれています。紅紫一色と、白と紅紫のしぼりの花が同じ根から咲いていて、ふと心がなごみます。
おしろい花は夕方咲き始めます。またの和名は「夕化粧」、英語では「フォー・オクロック」というそうで、まさに午後四時ごろから咲き始め、六時ごろからは甘い良い香りがあたり一面に漂います。
この花を見ると懐かしい気分になります。子供のころ、あちらこちらの家の庭先に咲いていましたし、公園にもあったように思います。 花が終わるとやがて黒い実をつけるのですが、その実を割ると白い粉が出て、友達と名前の由来を確かめ合ったものでした。
そういえばほかにも、サルビアの花びらを抜き取って吸うと甘い密が出てくること、春、タンポポの茎に切り目を入れて水に浮かべると切り口が丸まってかわいらしい形になること、ペンペン草の穂を少しずつずらしてかんざしにすることなど、自然の中の遊びには楽しいことがたくさんありました。
ままごとをする時は近くの野原で花や草を摘み、ごはんやおかずに見立てました。野原で捜す中に小さな小さな豆 ― 私達はピーピー豆と呼んでいましたが、あれは「カラスノエンドウ」だったのではないでしょうか ― が見つかるととてもうれしい気分になったものでした。なにかの実をとってきてつぶしたら、手もブラウスも紫に染まって大騒ぎしたこともありました。
おしろい花の甘い香りにひたっていたら、いろいろなことを思い出しました。今の女の子たちはそういうままごとをするのでしょうか。やっていてほしいなと思います。

ところで、野の草花を使ってということで、母はジュズ玉の実をたくさんとってお手玉を作ってくれました。投げたり、放りあげたり、当たっても痛くないジュズ玉のお手玉はジャラジャラという音も心地よく、遊びの中にいつもありました。布が汚れたら、新しく縫ってくれてまたジュズ玉を詰めて、その繰り返しで、散らかしたおもちゃのどこかにずっとあったのです。
そして、四枚はぎの特製お手玉は今も私の手元にあります。さすがに子供のころのジュズ玉はもうなく、ジュズ玉という植物そのものを見かけなくなってしまいました。偶然見つけたジュズ玉で作ったお手玉は大切にとってあります。で、今私が使っているお手玉に入っているものは・・・100円ショップで見つけたビーズです。ジュズ玉よりはほんの少し大きめですが、音も手触りそんなにも変わりません。私はそれをレッスンに使っているのです。等速感や、五線の中の音符の位置の確認など、大活躍してくれています。握ったり、触ったりするだけでも小さな生徒さんには手指の訓練になりそうです。本当は、どこかでジュズ玉を見つけてきて草の話もいっしょにできるといいのですが。

自然が失われていく現代の中で、草花のちょっとしたお話、伝えていきたいものです。




 その7 【 猫物語 @ 】 


犬と猫のどちらが好きか ― よく聞かれることです。私は、子供のころは身近に猫がいなかったせいか、断然犬派でした。でも今は、どちらも大好きです。どちらかを決めるのはむずかしいですね。
私が猫も好きになったきっかけは、あるお宅での猫たちとの出会いからでした。

[ レッスンにて ]でご紹介したホームレッスン会場、そのお宅には途切れることなく猫がいました。私が伺っている間に何度か代替わり(?)したのですが、その中で特に印象に残っている親子猫がいます。名前は〈 イソ 〉と〈 ミル 〉。
ある日、どこからともなくやってきて、そのお宅のあまりの居心地の良さにいそうろうを決めこんだ〈 イソ 〉 年齢不詳。なかなかの美女で、きりりとした顔つきと、ベージュとグレーが混じり合った毛並みのなめらかさには品格さえ漂っていました。
しかし、気が強くて、近所の不仲の猫が庭に入って来ようものなら、声を荒げて追い払います。時には実力行使にも出るようで、名誉の負傷も見られました。 「あーあ、せっかくの器量がだいなし!」と私なんかが言っても「フン」という感じで無視されていました。気分屋さんで、虫の居所が悪い時にさわられると、ヒスを起こします。レッスンにやってくる生徒さん達も、さわってみたいんだけど、怒るとこわいのを知っているので、「あっ、イソちゃんだ!」と言いながら遠巻きにしていました。
さて、そのイソが出産をしました。「お父さん猫はいったい誰?」と聞いてみたくなるような色とりどり(!?)のかわいい子猫たちが生まれました。白に茶色に、灰色に・・・
その子たちは、かわいらしい順に、またそれぞれのお好みの色で、一匹ずつもらわれていきました。そして最後に残ったのが、〈 ミル 〉。 この娘は母親に全く似ていませんでした。黒と茶が混じり合った毛並みで「どこが目なのかわからない」「ハチャメチャな顔」などと言われていました。みる影もないという感じ・・・
その後、もらわれていったミルの兄弟たちは、行方がわからなくなったり、飼い主さんが引っ越してしまったりで、必ずしも幸せとはいえないようでした。ミルはといえば、自分が食べてしまうまで黙ってそばで見ていてくれる母親のもとで、食べたいだけ食べ、夜遊びをし、やさしい飼い主さんの愛情も受け、苦労知らずに過ごしていました。性格がいたっておっとりしているので生徒さん達も「ミルちゃんはさわれるね」とかわいがっていました。本当に世の中、何が幸いするかわかりません。
イソは、自分で玄関の引き戸をあけて出入りしていました。( これで、きちんと閉めていけば言うことないのですが、そこまでは無理というものでしょう ) 一方、ミルは「ミャオー」と甘えた声で鳴いて、開けてもらえるまで待っています。開け方を覚える気などさらさらないようでした。一事が万事、「ミャオー」でことがすんでいく ― そうです、こういう生き方もあったのです。
この親子は、仲良く舐めあったりじゃれあったり、時には母親のヒステリーにおっとりした娘は驚いたりしながら、すこぶる平穏な日々を送り続けたのでした。
ミルはもちろん、イソも気がむけば私の膝にのってきました。そこにはゆったりとした時間が流れていくようで、ほのぼのとした気持ちになりました。

猫は気まぐれで、人間の言うことを聞きはしないというけれど、猫達には人間のことがようくわかっている、そんな気がします。




 その6 【 何かの間違い 】 


ある夏、J君のお宅にレッスンに伺った折、お母様から「先生、これを」と I デパートの包みをいただきました。お中元としてお気遣いいただいたのでした。
「スリップなんですよ。どうぞ」と言ってくださって、申し訳ないと思いながらありがたくいただいて帰りました。
その日帰ると、I デパートからお中元が配送されていました。J君のお宅から。
「えっ? きょういただいたのになぜ?」
包装紙に貼ってあるお届け票の商品名には、〈 下着 〉と書いてあります。???
で、お電話してみました。するとお母様、
「あら、そうでした! 外商に頼んであったんでした。それを忘れて、私が自分で買って先生にお渡ししてしまったんです。ホホホ 先生、どうぞ、夏は何枚あってもよろしいでしょ」と。
ヒャー!ますます申し訳なく恐縮しつつ、いただくことにしてしまいました。
そして、開けてみました。お母様が手渡して下さった箱には、きれいなスリップが入っていました。そして、外商から届いたものに入っていたのは ――― 〈 楊柳のシャツとステテコの上下男性下着セット 〉でした。
そうです、あのカトちゃん( 加藤茶 )が例のカツラをかぶっている時に着ているアレ、サザエさんのおとうさん( 波平さん )が夏に着ているアレ。
はぁー、これはどうしたもんだろうと思いながら、笑ってしまいました。
まさか「家に届いたのはステテコでした」というのも変だし、二重のお気持ちをありがたくいただいて、次のレッスンの時、丁重にお礼を申しました。
我が家には残念ながらステテコをはく人はいなかったので、そのうち伯父にでももらってもらおうと思い、そのまま置いておきました。

その夏も終わりに近づき、ツクツクホウシが鳴き始めたある日、一人のお客様が。
どなたかと思えば
「あのー、I デパートの外商の○○ですが」
私はもちろん外商とのおつきあいなどありません。
「え?何か??」と尋ねると
「このたびは大変失礼を致しまして・・・あのぅ、A様( J君の苗字です )からのお中元のことなんですが・・・」
「ああ、はい・・・」
「まことに申し訳ございませんでした。お取り換えの品をお持ちいたしました」
私は、もうおかしくて笑いをやっとの思いでこらえていました。
「あの、このことはA様には?」と尋ねられたので、
「いえ、言っておりませんが」
「は、そうですか、そうですね」と安心されたようにおっしゃって
「もし、これがお気に召さなかったら取り換え券を入れておりますので、どうぞお取り換えください」と包みを渡されました。
私はそのままにしてあった〈 男性下着セット 〉をお渡しして、取り換えていただきました。
「まことに失礼をいたしました」とその方は帰って行かれました。
その後、ひとしきり笑った後に包みを開けてみると、正真正銘〈 スリップ 〉がはいっていました。 それにしても、よく気付かれましたよね。すごい!そのことに感心してしまいました。

そして、その冬、外商を通して送られてきたJ君のお宅からのお歳暮は、それはそれはかわいらしいコーヒーカップでした。あの方が選んでくださったのかと思うと、また笑ってしまいました。

今は、生徒さんのお宅からお中元やお歳暮をいただくことはなくなりました。少し前の時代の出来事です。
かわいらしいコーヒーカップは健在で大切にしています。それを見るたびにいまだに〈 ステテコ 〉を思い出しますが・・・



 その5 【 ああ宿題や 】 


夏休みが始まりました。私の子供の頃には「夏休みの友」( どこがなんだろう? )なる宿題帳があって、毎日1ページずついろいろな教科をやっていくようになっていました。その日のお天気を書く欄もあって、そこはまとめて書くわけにもいかなかったのですが、8月の終わり頃、新聞に夏休み中の天気がドーンと掲載されて、これって宿題のお手伝い?と思ったりしたものでした。

何年か前の夏休み、中学生の男の子が、
「宿題に俳句を作るというのがあるんだけど、どうしたらいい?」と私に聞いてきました。
「俳句は、季語という季節の言葉を入れて五・七・五の言葉を並べてみたらいいんだよ。たとえば、 〈 しずかさや 岩にしみいる 蝉の声 〉とか〈 五月雨を 集めてはやし 最上川 〉とか有名な句、聞いたことない?」
「ああ、あれね」とちょっと考えて
「できたよ。〈 種まけば 夏に咲くなり 朝顔が 〉 季語も入れたし、五七五!」
「・・・うーん、それって〈 ひまわり 〉にも替えられるやん」
「あ、ひまわりの方がいいかね」
「いや、あの・・そういう問題じゃなくて、なんていうか〈 夏 〉だって〈 春 〉に替えられるっていうか」
「〈 種まけば 春に咲くなり チューリップ 〉ホントやん!」
「あ、あのね、チューリップは種でなくて球根! そういう問題じゃなくて、それってあたりまえでそれがどうしたんかい!という世界だよね。こう、短い言葉の中にちょっと何かが感じられるような・・・」
「ふぅーむ、じゃあ・・・〈 蝉鳴けば やかましいなり 夏休み 〉てどう? ええいっ、暑苦しい!と感じられると思うんやけど」
「うーん、あんまり前と変わらんような。季語がふたつになったね、まあ絶対ダメということでもないけれど、季節の言葉はひとつの方がいいかもね」
「じゃあ・・・」とそれからもいくつかできましたが、全部『〜ば』『〜なり』になっているので、どうして?と尋ねると、
「〈 柿食え 鐘が鳴るなり 法隆寺 〉というのが、頭から離れんのよ」
「はぁー、なるほどね」
私は頭から離れない句が〈 松島や ああ松島や 松島や 〉でなくてよかったとひそかに思いました。その句だったらどうなっていたことか!
きっと、〈 朝顔や ああ朝顔や 朝顔や 〉〈 蝉が鳴く ああ蝉が鳴く 蝉が鳴く 〉・・・・・

そして、しばらくして
「いい、もうこれでいく! 」と言った句がこれ
〈 食べ過ぎて 頭痛するなり カキ氷 〉
ウゥーーン、〈 種まけば・・・ 〉よりはまだまし??? でも、余韻も感動も無い!!!
「キーンという感じがするやん」だそうな。
結局これで、提出したようです。

さて、みんなはどんな俳句を作ったのでしょうね。国語の先生は、きっと楽しかったにちがいありません。



 その4 【 歴史の覚え方 】 


先日、地域本部研修を受講するためにJRで博多へ行きました。
駅でなにげなく売店を見たら、昨年置かれていた「宮本武蔵」にまつわるお土産は姿を消していました。NHKの大河ドラマの流れでたくさんおいてあったあのお菓子やお弁当たちはいずこへ??

ところで、宮本武蔵は、巌流島での佐々木小次郎との決闘に遅れました。
こんなこと、学校では教わりません。でも、歴史の有名なひとコマとして、社会的常識でいつのまにか 知っていますよね。
日本史に疎い( 遣隋使の小野妹子は女だと思っていたそうな )ある若い人が、「武蔵が遅刻した」ことを知っていたので、もしかしたらコミックの〔 バガボンド 〕で読んだのかなと思ったら、「『アラレちゃん』で見たから子供の頃から知っていた!」というのです。
『アラレちゃん』は、そう〔 Dr.スランプ 〕です。「ンちゃ!」とメチャンコ元気なロボットです。「なんで、宮本武蔵が出てくるんだろう、はて・・・」と思っていたのですが、偶然ビデオを見ることができました。

《 則巻千兵衛博士の作ったタイム君というタイムマシンで、チィ昔( 大昔でなくて小昔 )に行ったアラレちゃんはそこで、巌流島に出かけようとしている宮本武蔵と出会います。
つおい( アラレちゃん言葉で「強い」ということです )人が大好きなアラレちゃん、
「おじさん、つおいの?」と尋ねます。
負け知らずで日本一の剣豪を自負していた武蔵は「わしの強さを知らんのか!!」と怒ります。そんな武蔵にアラレちゃんはジャンケンをしかけ、それについ乗ってしまった武蔵、えんえんと負け続けるのです。
「おじさん、あんましつおくないね」の言葉に反応して決闘に出かけるのも忘れ、アラレちゃんに勝負( ジャンケンですが )を挑み続けます。
さてその頃、佐々木小次郎はといえば、巌流島でタバコの吸殻をまきちらしながら( 「えっ?あの時代になんでタバコなんだよ!」ですって?気にしない、気にしない、なんといってもアラレちゃんの世界ですから )イライラしながら待っておりました。
飽くこともへこたれることも知らないアラレちゃんは、それからも勝ち続け、とうとう武蔵は「弟子にしてくだされ!」と言う始末。チィ昔から帰る時にいっしょにペンギン村までついていってしまうのでありました。
かわいそうに、小次郎はそのまま待ち続け、老人になってしまったとさ。》

遅れたどころではなく、行ってないじゃん!でも、「遅れる」とあせっていたこと、「強い」ということにプライドを持っていたことなど、ポイントはバッチリ(?!)でした。

さて、私自身はなんで知ったんだっけと考えてみたら、私は・・・・・桃屋のコマーシャルでした。 子供のころ( 年齢が知れますね・・・ )よく見ていた、桃屋の「江戸むらさき」という海苔の佃煮のコマーシャルは、三木のり平のキャラクターを活かしたとてもおもしろいものでした。
丹下左膳の「抜けば玉散る氷の刃」とか、国定忠治の「おれにはしょうげー(生涯)てめえという強い味方( ここが、たしか「おいちいおかず」になっていたような )があったのだ」という決めゼリフもそれで覚えました。
宮本武蔵の巻は、船でやってきた武蔵に「待ちかねたぞ、武蔵!!」と声をかける小次郎の姿しか記憶にないのですが、「時間に遅れてきてイライラさせるって、卑怯じゃないの?」と思ったのを覚えています。
そういえば、昨年は小倉のお弁当に《 小笠原藩伝承北九州名産品ぬかみそ炊き 「待千香寝(まちかね)」たぞ武蔵!! 》というのがあったそうな。

遅刻した理由は、「潮の流れのせいで船がうまく操れなかった」とか、「心理作戦のために故意に遅れて行った」など、諸説あるようですが、「アラレちゃんとジャンケンの勝負に負け続けていたから」 「江戸むらさきでご飯を食べていたから」が、諸説の中に入るか・・・そんなわけ無いですね。

「世界史は苦手なんだけど、フランス革命はバッチリ! なぜなら〔 ベルサイユのバラ 〕を読んでたから」という話を聞いたことがあります。
歴史との出会いはいろいろ。決して学校の社会の時間だけではないのです。




 その3 【 聞こえる言葉・覚える言葉 】 


朝日新聞に幼い子供達の言葉を投稿する欄があります。(「こどものつぶやきーあのね」)
とてもほほえましいお話ばかりで、毎週楽しみにしているのですが、6月の記事からひとつ・・・

   おばあちゃん家にやってきた3歳の女の子のお孫さん、
   「おばあちゃん、5万ください」
   おばあちゃんがびっくりしていると、その子のお母さん(つまり、娘さんですね)が、
   「『ごんください』じゃなくて『ごんください』でしょ」

なんともかわいらしい!!
「ま」と「め」は、同じマ行です。近いようなそうでないような・・・
  TBSの人気番組「さんまのスーパーからくりテレビ」の《ファニエスト外語学院》でも、似たような覚え間違いがよくあります。 いろいろな国の人たちが、日本語を話すのですが、とんでもない日本語(?!)がおもしろく、 また日本人の話す外国語も、その国の人が聞いたらこんなふうに聞こえるのかもしれないと興味深いです。

今、レギュラーになっているボビーさんの間違いの一例
   「んせい(先生)」を「んせい」
   「ん(全然)」を「ん」
また、もうひとりのレギュラーのアドゴニーさん
   「ゆっり」を「ゆっり」

やはりそれぞれサ行、ザ行、カ行で、行は同じの覚え間違い( 聞き間違い? )が多いのです。 最初のお嬢ちゃんにしても、ボビーさんやアドゴニーさんにしても、言葉を「目」ではなくて「耳」で覚えています。同じ行ということは、母音が違うだけということ ― もしかしたら音韻的にありうることなのかもしれません。
テレビで聞く外国の人が話す日本語は、出身国でずいぶん違います。中国系の人と、英語圏の人たちの日本語は明らかに違います。母国語の発音、文法、アクセントがやはり影響するのでしょうか。また、力士のモンゴル系の人たちは、本当に日本語が上手で、私などは言われなければモンゴル出身だとは、全然わかりません。人種が近いということはもちろんですが、言葉そのものもどこか似ているのかもしれないと思います。
鶏や犬の鳴き声を言葉で表したものも、同じ音を聞いているはずなのに、国によって全く表現が異なるのも、その国の言葉の発音の違いからくるのかもしれません。

ところで、同じ行で間違える ― そういえばレッスンでもありました。
なめらかに一息で演奏する弧線を指して
「これは、なーんだ?」と尋ねたら、生徒さん得意げに
「サラ―ッと弾くから、ラー!」
私は、ガックリして
「それを言うなら、スラーッと弾くから、ラー!」
「シラーッではなかったとは思ったけど、なんだ、か!」だって。
これは完全にあてずっぽうです・・・




 その2 【 言葉のリズム 】 


日本語には、美しい言葉、響きのいい言葉、心地よいリズムを持った言葉など、さまざまなものがあります。
この sweet note においでくださって、BBSに書き込みをしてくださったダルマさんのホームページ monzetu darumaboogie の「歌謡曲名作発掘コーナー」で紹介されていた『毒消しゃいらんかネ』の歌詞がとてもおもしろく、リズミカルなものでした。( 詳細はぜひダルマさんのページでどうぞ! )
曲も楽しいのですが、歌詞が七五調で言葉そのもののノリが良く、また間に入っている「目の毒 気の毒 河豚の毒」これがなんと言っても楽しい! 声に出して言ってみるとそのリズムの良さが実感できます。
これとおなじリズムの言葉を紹介させていただきます。「おどろき もものき しものせき」!
えっ?違うだろうって?そうですね。普通は「驚き 桃の木 山椒の木」ですよね。
ある男の子が、びっくりしたことを話してくれた時に、「ホント、『驚き 桃の木 下関』だった」と言ったので、思わず「キャハハ、うまーい!」と笑ったら、本人キョトンとしています。
「えっ?今のは『驚き 桃の木 山椒の木』を捩ったんじゃないの?」と聞くと
「えっ?『山椒の木』って何? もともと『下関』て言うと思ってた」ですと・・・
どうして『下関』だと思ってしまったのかは、結局わからなかったのですが、私は本家の『山椒の木』より『下関』の方が断然好きです!
「おどろき もものき しものせき」
「めのどく きのどく ふぐのどく」
韻を踏んでいて、リズム感があってとにかく言葉がいきいきしているように思います。

言葉は時代の流れの中で変わっていきます。でも、こんな楽しい言葉の遊びは残っていってほしいものです。

さきほどの男の子のエピソードをもうひとつ。
「ねえ、ラッカセイてなんのこと?」と聞きます。見ると算数の問題に
〔らっかせいが7個あります・・・〕ははぁ、カナで書いてあるからわかりにくいのだと思い、
「らっかせいは落花生で、ピーナッツのことだよ」と言うと
「なんだ、ラッカセイはピーナッツか、僕はオットセイの親戚かと思った」ですと・・・




 その1 【 すりこみ 】 


子供の頃、「トムとジェリー」というアニメ―ションが好きでした。再放送も何度もされましたが、 飽きずに見たものでした。
印象に残っているものはたくさんあるのですが、その中のひとつに猫のトムが、鳥の雛から母親に 間違えられるというお話がありました。

《 卵から孵った雛が、最初に目にしたのは、猫のトムでした。雛は「ママ、ママ」とトムに甘えます。トムはちょっと困ったけれど、「おいしそうなごちそう」とばかり、その雛を食べてしまおうとするのです。あれやこれやの手で雛を料理しようとするのですが、あわやのところで、ネズミのジェリーが 助けに入ります。そんなことを繰り返しているうちに、雛は「ママは僕を食べたいんだ」と気づきます。「ママがそんなに食べたいんだったら、いいよ、いいよ、ボクは喜んで食べてもらうよ」と煮立つ鍋の中に自分で入ろうとします。それを見たトムは、涙を滝のようにあふれさせ、雛を抱きしめるのでした。その後、ジェリーが目にしたのは、小川で泳ぐ練習をしているトムと雛の姿だったのです。 》

高校生になって、生物の時間に「鳥は生まれて最初に目にした動くものを親だと思う―これを『すりこみ』という」と習った時、「あ、『トムとジェリー』だ!!」とすぐに思いました。
この「すりこみ」は私の身近でも感じることがよくあります。

甥が中学生だった頃のある日、ノーベル賞の話をしていた時のことです。日本初は湯川秀樹博士と言うと、甥は
「ああ、あの清水アキラが谷村新司のものまねをしたときのような顔の人ね」
「はああ???湯川秀樹はすごく端正な品のある知的な顔立ちだよ。な、なんで?」
「ほら、これ見て」
甥が差し出したのは、人物辞典。「湯川秀樹」の項を見てみると、そこに写真が―それがまさに 清水アキラが谷村新司のものまねをしたときのような顔でした。
「ええーっ、なんでこんな写真を使ったんだろう!?」
考えてみたら私の湯川博士のイメージも、子供のころ本棚にならんでいた〔世界偉人伝記全集〕の背表紙に描かれていた肖像からのものでした。そうか、たまたま目に焼きついた印象が頭の隅に残って、イメージが作られていったのは、私も同じだと思いました。
映像などで目にする博士は私のイメージの方が近いのですが、しかしこの辞典を見た子供たちはもしかしたら「ちょっとひょうきんなおじさん」と思ってしまうかもしれません。そう考えると最初の印象は 大きい!のです。
アインシュタインは、舌を出したお茶目な写真が有名ですが、何も知らずにあの写真を見た人はコメディアンのようだ思うかもしれません。
すりこまれていくのですね。

ところで、身近に男の子( 小,中,高校生 )がいたら、ちょっと教科書を見せてもらってみてください。もしかしたら、妖怪になったフランシスコ・ザビエルとか、物憂げな表情で鼻毛を出している太宰治、口裂け女になった芥川龍之介などに会えるかもしれません。「すりこみ」の後、芸術的にデフォルメ( 早い話が落書きです )された作品の数々・・・