最近、新しい同居人ができた。
名前はエドワード・エルリックという。
単語の響きからして英国人だが、どうやらとても遠い国の出身らしい。
だからか……なんというか、エキセントリック? な人間だ。
まず片手片足がない(とても精巧な義手・義足を付けてはいるが、杖を手放せない程度は不自由だ)のに、あの行動力はどこからくるのだろうと不思議になる(それとも義肢の人間はもっと物静かだと思っていたボクの視野が狭いだけか?)。
出会ったときから彼の異能は顕著だった。
眦の切れ上がったその瞳に映るのは、強靭な意志。それを支えるのは卓越した頭脳。
彼と議論を戦わせようと思ったら、よっぽど準備をして挑まないと、一刀両断に叡智の刃で切り捨てられる(られた!)。
ボクだってそれなりの自信はあったけど、そんなちっぽけな自負なんて吹き飛んだ。……井の中の蛙・大海を知らずと東洋の格言にもあったか。つくづく世界は広いと反省することしきりだ。
でも時折、疑問に思う。
エドワードは誰とも似ていない。
稀有な金色の瞳もそうだが、重要なのは頭の中身だ。
まるで数世代を先取りしたかのように斬新でありながら、破綻のない理論の組成。幅広く深い知識の蓄積量。
エドワードを形成する学問は、アルフォンスの既知の何とも違うものだ。
おそらくは航空宇宙学は専門外なのに、その飲み込みの良さは驚嘆に値した。
この年でどこの誰に師事をすれば、こんな人間が出来上がるものやら。最早、溜め息しか出てこない。
(文化圏の違いなのかな。それともこの人だからか)
年若い彼の口から語られる言葉は、ひときわ強く印象に残る。どこか啓蒙的な魅力すらあった。
……これで人格者だったら嫌味だけど、まあ、そこら辺はそれなりだ。アルフォンスとしてもそれぐらいの方が付き合いやすい。
「どうした、ハイデリヒ?」
行儀悪く朝食の席で新聞に目を落としていた筈のエドワードと視線があった。
彼はアルフォンスのことを姓で呼ぶ。なぜなら彼の弟の名前もアルフォンスだからだ。
(ジュニアスクールの子供でもあるまいし)
仲の良い友人が自分より他の誰かを優先するのは寂しいことだが、こんなささやかなことで嫉妬をするなど自分でも子供っぽいと思う。
「なにが?」
言葉にして出されたことはないが、アルフォンスは気付いていた。
エドワードはいわば仮初めの客だ。ここに永住するつもりなんてありえない。
こんなことで落ち込んでいたら彼が旅立つ時、よっぽど悲しくなってしまう。
「変な顔をしている」
猫のような金の目が眇められる。
(心配。されたのかな?)
少しくすぐったい。
「あー、なんかさ。恋人が欲しいなって」
人を好きになるのは素敵なことだ。
エドワードが女の子だったら、きっとボクは、ボクに似ているという弟のところまで押しかけて行って『お姉さんをボクに下さい!』ってお願いして、そうして一発殴られても良かった。それぐらいエドワードのことは気に入っているし、好きだ。
だけどエドワードは男で。それも自分の力で未来を切り開いていく克己心の強いタイプの人間だ。
成すことを知れば、自然と行く先が分かれるのは自然のように思えた。
そのことが寂しくないわけはない。だけどアルフォンスにも男としてのプライドがある。
エドワードと遠く離れているだろう十数年後。
それが物理的な距離なのか、研究者としての分野の違いか、それはまだわからないけれど。
今、彼の心の一番きれいなところに住んでいる弟や幼馴染みのように、アルフォンスのことを誇らしく誰かに語ってもらえるといい。そんなささやかな野望もあった。
「そうか。アルフォンスって名前はみんな色ボケなのか…」
エドワードはもの凄く失礼な詠嘆をして、新聞の紙面に目を戻した。
失礼な。アルフォンスは眉を跳ね上げる。
彼のよう無神経な人間と違ってこちらは色々繊細なのだ。
(とりあえず意趣返し)
気が付かないエドワードの飲み差しのコーヒーカップに、こっそりとミルクを半分注いでカフェオレにしてやる。
「ごちそうさま」
そしてそのまま一人先に食べ終えた食器を手にして台所に立った。
「なんじゃこりゃー!」
数分後。驚愕の叫びが聞こえたが、もちろんアルフォンスは知らないふりだ。
2005,3,8
ハイデリヒさん妄想。
アル贔屓としてはいろんな意味で気になる人ですハイデリヒさん。
ちょっぴり複雑ですが、動いている大人アルを拝みに映画館に行かなくてはならないような気がします(←アニメは見ていなかったくせに)。ああ、この年になってアニメ映画に行くのか。…わー、うっかり知り合いにあわないといいなー…とか。
2005,12,21
パッチポッチ・パックにて再アップ。
劇場公開前予想のハイデリヒさんを今になって読み返すと妙に新鮮です。
雑草は死なない
「軍人なんてやめちまえ。そのうち軍は戦場どころか、民衆に銃を向けることになる。そんなのお前さんには似合わんよ」
幼馴染みに目端の利く男がいる。
「もう、この国は駄目だ」
酔っぱらうと、最近は同じことを繰り返し言った。
酒は弱くもないが強くはない。
(明日は洗面器が心の友かな)
友人のアパートに辿り着くまでにしたしこたま仕込んだアルコールは、ブロッシュの脳みそをゆるやかに攪拌した。
『この国は駄目だ』
耳から入る言葉は、ゆやんゆやんとエコーが掛かる。
「そうだなあ、…でも」
思い浮かぶのはひとりの顔。
もうやめようと思っているのに手持ち無沙汰の手はビールに伸び、温くなった飲み物は酷く苦く舌を刺した。
「でも?」
「ん、なんでもないよ。…やめるのは簡単だろうけど、その先がね」
ブロッシュのような一兵卒は掃いて捨てるほどいる。
お偉方と比べれば辞める手続きなんて容易いことだ。
でも。
(ロス少尉)
ほのかな憧れを抱いていた少し年上の女性上官。
あの人の無実は隊の誰もが確信していた。
ロス少尉はどれほど控えめに言っても、それぐらいの信望はある人で。
あんな死に方をしなくてはいけない人では断じてなかった。
(ロス少尉が補給した弾は一発)
ヒューズ准将を射抜いた弾も一発。
少尉と自分がアルフォンスくんを襲っていた鎧の男の手を射抜いた弾も一発ずつ。
そしてブロッシュは少尉と同じ時期に同じ口径の弾丸を補充している。
……研究所の発砲が認められないとしても、計算が合わない。
残りの一発はどこから出た?
(ロス少尉が疑われるのなら、自分の補充も疑われるのが筋なのに)
だとしたら。
…少尉は誰かに嵌められたのだろうか。
では、その誰かとは誰だ?
下っ端には権限がないから、嵌められたとしたら雲の上の人にだ。
ぞっとする連想に、硬く拳を握る。
近頃はブロッシュのように単純な目しか持たない者から見ても、納得のいかないことばかり起こる。
護衛の任務で出会った国家錬金術師のエドワードくんとその弟のアルフォンスくん。
彼らが調べていたモノから芋づるで出てきた事実なんて、どこの都市伝説ですかといいたくなるような代物だった。
ブロッシュが知っている軍の実情なんて綺麗にコーテングされた氷山の一角なのでしかないと、慄然させられたのは記憶に新しい。
上手く言えないけど、確かに軍はおかしい。こんな道理が通っていいはずない。
(軍は民草を守るための盾じゃなかったのか)
こんなのが許されるはずないと、青臭い憤りが胸を焼く。
そう、自分の上役がアームストロング少佐でなければ、ブロッシュは友人の忠告に頷いて荷物を纏めていたかもしれない。
ブロッシュは物事の大きな流れを掴めると思うほど頭の出来に自信が持てない。でも国家錬金術師たる我らが少佐は違うし、大局を見通す目はなくても、人の感情の機微には敏感な方だ。
ロス少尉の一見以来、ポーカーフェイスの下で沈鬱な表情が多かった少佐は、東部の田舎に旅行に出かけた。
そこから帰ってきた少佐は精彩が戻ったと思う。どこが、と言われても困るけど(よく物思いに耽っている姿は、前にも増して見掛けるし)。伊達にあの人の部下をやっているわけではない。
(まさか、少尉は生きている……なんて。はは、流石にそんなことありえないか。…………でも)
でも。
自分の部下があんな死に方をして、簡単に振り切れるほど薄情じゃないのだウチの上司は。
なにか不自然だと囁くものが胸にある。
ロス少尉は何故逃げた?
マスタング大佐は何故死体の顔も分からぬほど黒焦げにした?
推理小説のセオリー通りにいけば。
そう、ペーパーブックの名探偵ならコレだけの状況が揃えば、遺体は別人と断言してくれるだろうに。
……もちろん、分かっている。これらはブロッシュの勝手な思い込みだ。
歯の治療痕はロス少尉のものと一致したと聞いた。
だからこれは焔の大佐が視界の隅を通り過ぎるたびに、殴りかかってやりたい衝動を堪えるために必要な妄想だ。
あんな無残な消し炭があの人なんて。ああ、そんな馬鹿な話があってたまるか。
ブロッシュは冷たい酒瓶を額に押し当てる。
(……まだ、辞められない)
軍から離れてしまえば、きっと自分は忘れてしまうだろう。
この悔しさ、憤りを日常に紛らわせて、いつかそんなこともあったなと笑うのだ。
それは酷い裏切りに思えた。
軍には不審があるが、ブロッシュはなにより自分に信用がない。
保身から明らかに間違っていることを大きな声で叫べないのは、まるで鬱屈の澱を飲み込むようだ。目を背けているうちに我が身がドロドロと腐っていくような恐怖さえある。
ここで踏みとどまらないと、一生後悔する。そんな思い込みが逃げようとする足を縛った。
(この状況の中で、ラッキーなのは信じられる上司がいることかな)
少しばかり困った人だが、あの人の背中を追っていけばそう後悔することは少ないように思う。
そこでブロッシュはふと思い出した。
先ほどビールを買った店のおばあちゃんはブロッシュの軍服に目を留めて『若い人はかわいそうだ』と呟いた。
識者の一部は国内から逃げ出すような動きもあるし、友人が言うように確かにこの国は駄目かもしれない。
でもその駄目な国でブロッシュは生まれた。
たとえ昔は良くて今は駄目でも、そんな言われ方をすると無性に悲しくなってしまう。
(…それじゃあ、ロス少尉はなんのために死んだんだろう)
何の誇りもなく。ただ咎人の枷を嵌められて。
この国のために?
そんな馬鹿な。
ふと気付くと明るい髪をした友人は酒瓶を抱いてさめざめと泣いていた。
その姿にギョッとする。
「もっと力があればいいのに」
友人はそう戯言をほざいている。
ちょっと静かだと思ったら、今日は悪い酒らしい。
(珍しいな。いつもはハイな酒飲みなのに)
いつもは『コイツ大丈夫か? 』そう心配するほど呑気な奴だが、たまには悩むこともあるようだ。
それとも大人になったのか。
「デニー、酔ったのか?」
「オレ、そんなに役に立たないのかなあ…」
その言葉にピンと来る。
(ああ、オンナか)
こいつは昔っからそりゃー惚れっぽかった。しかも高嶺の花狙いで、いつもいい人どまりなのがパターンだ。
(ごく普通にしていればそこそこモテないこともなかろうに)
「まあ、頑張れ。いつかきっといいことあるさ」
哀れになって慰めの言葉をかけてやる。
どうせ明日になったら元気になっているのだろう。これもいつものパターンで、底が知れているのが空しかった。
「頑張っても先が見えません、せんせえ」
グジグジと酒瓶に懐いている野郎の姿はうっとおしく、励ましてやろうとする僅かな慈悲も蒸発する。
「諦めちまったら終りだぞ? 諦めるのか? それも選択のひとつだが」
そう切り捨てると、ブロッシュは椅子を蹴って立ち上がった。
「それは駄目だ!」
「あー、はいはい。力説してくれなくてもいいから」
いい加減夜も更けて、アパートは安普請なのだから静かにしろと強制的に肩を掴んで椅子に座らせた。
「なら、頑張れ」
「……おう」
ブロッシュは頷いた途端、机に突っ伏して寝てしまった。
「案外この国はまだ駄目じゃなかったみたいだ」
そう言った切り口でこの時の裏話をブロッシュから聞いたのは、ずっと後に呑んだ時で。
平凡な顔してこっそりと波乱万丈だった友人の横、同席していた泣きボクロが色っぽい黒髪の美人さんは、困ったように苦笑していた。
…まあ、まずは目出度い。
2005,3,15
ブロッシュさんはマリアさんに惚れていてくれると嬉しいです。
凡人らしく何も知らないままマリアさんと再会して、『ギャー幽霊!』とひとしきり騒いだ後で男泣きしてくれないかしらと期待してます。
蝶よ花よではいられない
企画に置いてある全員性別変換の設定です。
それがオーケーな方のみどうぞ。
腹が痛い。
気を抜くと、呻きが口から漏れそうになる。
身体の中から裂けていくような、内臓がぎゅっと絞られるような。
下腹部に渦巻く痛みはなんてことない、病気じゃありませんっていう女性特有のアレだ。
ガリガリでちっともそう見えないけど、こんなオレでも女だったらしい。
この年になるまでなかったから、もしかして違うのかなーってちっとは思っていたけれど。
(ははあ、成長が遅かっただけなのか?)
背の伸び悩みだけが難じゃなかったのか、オレの身体よ。
腹に石がつまったようだ。
水に漬けたら沈むに一票。まあ元々オートメイルだし、どっちにしろ沈むけど。
オレは女を尊敬する。これを毎月平然と耐えられるなんてすごい。
(…気持ち悪い)
考えたくない場所から、ねっとりとした血液がほたほたと落ちてくる。それがわかる。
「よう、姫さん。来てたのか。…ずいぶん浮かない顔だな。どした?」
くしゃり。
頭に感じる刺激に、乖離気味だった意識の集点が合う。
(…なんでここの人たちは、出会い頭にヒトの頭を撫でるかなあ)
オレは犬か。それとも猫か。どう見えているのか聞きたいところだけど、今日ばかりはそんな元気もない。
「こんちは、少尉。昨日汽車が止まってね。一晩車両に閉じ込められたんだよ。いつ動くかわからないからって待ってみれば、結局動き出したのは今日の明け方。これで機嫌が良かったらオレはマゾだ」
「そりゃあ、災難だったな。疲れたろ」
素朴な気遣いが心に染みる。少尉に気に掛けてもらえるのは、嬉しい。
だけど。
「……それは少尉のほうじゃねえ?」
彼女の目の下には、尋常じゃなく立派なクマが2匹ほど居座っている。
「もう4日もアパートに帰ってねえんだ」
ハハ、と笑う声はいかにも力がない。
「それもキツイな」
内情を知ってしまうと軍人とは大変な職業だ。何かある事件があるとすぐブーイングの的で褒められることはまずないし。街を守る憲兵さんとか、土木工事に借り出される一般兵とか、下方組織のモラルの高さはもっと評価されてもいいと思うのになあ…って、ああ。でも少尉ってことは士官学校出ている筈だから、そう下のほうってわけでもないのか。それにしては率先して肉体労働している姿をよく見かけるけど。
……いかん、思考が散漫だ。
(くそ。頭もガンガンしてきた)
耐えろ。オレ。しかし患部は腹なのに、どうして痛覚が飛び火するんだ、納得できん。
「いつものことだし。それはいいんだけど。食べ損ねてそのままにしてある、机の上のサンドイッチが怖いことになってそうで…家に帰るのも憂鬱でなあ」
「げー、ソレ最悪だな」
「しかも具は生クリームのフルーツ和えとチーズだった…」
ハボック少尉は通りすがりのブレダ少尉に丸めた書類で叩かれる。
「これから食事っちゅーときに、汚れものの話をするな。ほれ、行くぞ。エドも来るか?」
エドは首を横に振る。
今、モノを食ったらこの体調じゃ絶対、吐く。即リバース決定だ。
「オレはもう食ってきた」
ああ、父さんごめんなさい。あなたの娘は自然体で嘘つきです。
でも気のいい少尉さんたちや、かわいい妹を心配させたくないんです。
(おー。視界が回っている)
拙いな、こりゃ貧血だ。
それとも酔っ払いってこんなかな?
(一滴も飲まずに酔っ払えるって、なんてお得。…って、わー。笑えねえよ)
「姫さん。今なら大佐は中尉に捕獲されて缶詰だぜ」
与えられた情報に、2人の背中に手を振った。
「そりゃいいこと聞いた。サンキュ。捕まえる手間が省けた」
大佐が執務室に篭もってくれているのは正直助かる。
サインひとつ貰うのに、かくれんぼ&鬼ごっこ大会をするのは今は無理だ。ああ、有り難うホークアイ中尉。
一歩足を踏み出すごとに眩暈が襲う。
世界が揺れる。
ゆら、ゆらゆら。ゆらゆろん。
……大丈夫、まだ平気だ。こんな貧血どうってことない。
機械鎧の手術はこんなもんじゃなかった。あの一歩踏み出すごとに気絶しそうなリハビリも。
あれに比べたら夢の中にいるようだ。
(でも機械鎧は必要だけど、月経はオレの人生に必要はないよなー)
畜生。痛え。
こんなのいらない。いっそ子宮なんて摘出してしまいたい。
「こんにちはー中尉」
こんこん。ノックと同時にドアを開けると、爽やかな微笑が出迎えてくれた。
「こんにちは、エドワードくん。…アルフォンスくんは別行動?」
「宿の2階で窓外の猫と目があっちゃってさ、恋に落ちたようだから置いてきた。今日はサイン貰うだけだし」
いつもは『飼えないから駄目!』ときつく言いつけているが、飼い猫、飼い犬なら話は別だ。
普段の鬱憤のぶん。思うぞんぶん構い倒すがいい、妹よ。
「やあ、よく来たね鋼の」
『大佐、いる?』エドがそう聞こうとしたとき、軍服の裾からすらりと長い脚を覗かせて、焔の錬金術師は顔を出した。
そしてフムと顎に手を当てる。
「なんだよ?」
「中尉。私はしばらく休憩するぞ」
「はい、わかりました」
叱ってやってよホークアイ中尉!
「ええ、なんでっ。…書類にサーイーン!ソレがなきゃ施設を利用できないんだって!」
大佐は悩ましく溜め息をつく。
「だからだろう。そんな顔色をして。許可が出せると思うのかね、私の薔薇」
腕を捕まれ抱きこまれたと思った途端、額に手のひらを当てられる。
「熱もあるな。アルフォンスくんが電話を寄越すわけだ」
「なっ」
「『ボクじゃ良くわからないので、兄さんの相談に乗ってください』そう困っていたよ。アルフォンスくんの小鳩のような胸を痛めるなんて、いけない姉君だ。生理が来たのは初めてかい?」
咄嗟に彷徨わせた視線が合うと、ホークアイ中尉は気まずそうな顔をして『しばらく席を外します』と咳払いをして外に出て行った。
カッと顔に血の気が上がって、また下がる。
(うわあ!知られた!)
しかもよりにもよって!憧れのホークアイ中尉に!
情けないやら恥ずかしいやら。
穴を作って入りたい。
「…初めてじゃ、ない」
「じゃあ2回目か?」
そういうことを聞くか!
暴れだしたくなる羞恥に、エドはそっぽを向いて拳を握る。
ああ、嫌だ。汚い。この話題は鬼門だ。
「茶化しているわけじゃないよ。ただ皆君のことが心配なだけだ。かくいう私もいつもは軽いんだが、季節の変わり目とかは重くてね。相談するにも参考になるケースだと思うよ。同じ女でも症状の違いがあるからね」
来客用のソファーに座らせられると、脱いだ上着を掛けられた。
(あ、オレンジ?)
柑橘系の香りがふわりと漂う。
「身体を冷やすのはよくない。鎮痛剤は服用したかね?」
「…薬には頼りたくない、頭の動きが鈍る」
「だったら一番酷いと思ったときに一回だけ。せめてそれぐらいのお守りを使うぐらいは自分を許してやりなさい」
ポーチから取り出された薬は見慣れた市販薬だ。手術の後、ウィンリイ家でもお世話になった、解熱効果を含む鎮痛剤。
(情けない)
女の性。オレはこんなものに負けるのか。
無理して出歩いて仕事先で迷惑かけて?
そんなの性質が悪すぎる。
「いつもこれほどわかりやすいと簡単なのだがね。今君が何を思っているか、手に取るようにわかるようだよ」
粉薬を渡された水で喉奥に押し流すと、掌にドロップが落とされる。
(苦い薬の口直しなんて)
「子供扱いかよ」
言わなくちゃいけない感謝の言葉は、胃の中で飽和を起こして変質した。
憎まれ口ばかり外に零れる。
「違うな。女の子扱いだ」
チェリーレッドに染められた唇が、はんなりと弓の形に撓む。
「こんなときの女の子は誰からも甘やかされて当然なんだ。ちゃんと覚えておきなさい。…いつか君が大人になったとき、周りのものに手を差し伸べられるように」
頬に触れた、焔を扱うその手はさらりと渇いて温かかった。
促されるまま横たわると、腰のあたりを撫でられる。
(母親の手ってこんなかな)
幼い頃家を出て行った母親に良いイメージはない。しかしこの優しい掌は、知らないはずの懐かい感傷をエドに与えた。
(…温かい)
「手当てというぐらいだ。擦ると少しは楽だろう? …君は運がいい。歴戦の勇者の手をこんな風に使うことは滅多にないぞ?」
冗談めかしているが声は穏やかだ。
撫でられるごと、内臓を絞られるような痛みさえゆるゆると和らいでいくようだ。
「へーえ。そりゃあラッキーだ」
くくっとエドの唇から笑いが零れる。
この上役が稀代の男タラシだとは東方司令部では有名な話だ。
(少尉なんて彼氏取られたって泣いてたもんな)
ハボック少尉には心底申し訳ないが、少しだけその理由が分かった気がする。
これは確かにもてるだろう。
掌の温かさに、蕩けてしまいそうだ。
(……気持ちいいー…)
「あー…、鋼の。ひとつ忠告しておこう。男の前でそんな顔をしちゃいけないよ?」
どこか遠くでその声を聞いた。
「少将っ!…今、兄さんに何をしようとしましたかっ!?」
ドスの効いた妹の怒声に、エドは夢の世界から帰ってきた。
輪転機が回っている間ちょっと休もうと思ったら、どうやらソファーで転寝をしてしまったらしい。
いつの間にやら夕方だ。
3時までに仕上げると約束していたのだから、起こせばいいのに。
周りの気遣いが面映い。
「ふふ、アルフォンス君はおてんばさんだなあ。相変わらず元気そうで嬉しいよ、かわいいひと。ああ君の肌は小鳥のおなかのようにすべすべしているね」
視線を動かすとそこには妹のスカートの中に手を突っ込んで殴られている(しかもめげない)、かつては憧れだった上役の姿があった。
ああ。
起き抜けなのに、どっと疲れた。
(昔は、見習いたい年上のヒトだったのに、な)
そう昔は。エルリック姉妹が国中を飛び回っていた頃のあの人は、格好よくて優しくて、それこそ理想のお姉さんだったはずだ。
しかし焔の錬金術師は、姉妹が元の姿を取り戻した際『これで何の気兼ねもなく君たちを口説けるね』とのたまった。その(冗談だと思った)宣言どおり、態度を豹変させてきた。
以後、挨拶代わりにセクハラを慣行し、そのお返しに色々物思うお年頃の妹に殴る蹴るの反撃を喰らっている。
…無理もない。
(アルなんてめちゃくちゃ少将に憧れてたもんな)
その夢が壊れたショックは大きい。
そりゃー以前から時折、怪しい言動を取っていたが、それもサラリと冗談で流せるぐらいで。むしろそのスキンシップに姉妹は淡いときめきさえ覚えていたはずなのに。
(こんなんが本性なんて、なあ。…詐欺だって、オレも思ったし)
「っつ!ぎゃー!」
とうとう恐慌をきたした妹に、踏まれて幸せそうにしている、あのセクハラ魔人は誰ですか。
「ああんっ。…そこ、…もっとv」
(すまない、妹よ。どうか強く生きてくれ)
止めると火の粉がこちらに掛かるのは目に見えている。エドは寝ぼけているフリで傍観の姿勢を貫いた。
大きく欠伸をひとつ、ふたつ。
どうも生理中は眠くて困る。昼に飲んだ薬も効いて、腹の痛みは治まってきたが。
(…昔の夢を見るはずだよな)
懐かしさに唇が綻ぶ。
いつの間にか腹の上に掛けられた青い上着は、昔と同じオレンジの香りだ。
エドは温かいあの手を思い出す。
……2人っきりのとき。昔みたいにしてくれるなら。
(一度くらいなら玩ばれてもいいのになー)
こっそり思ってしまったのは、エドだけの秘密だ。
2005,5,2
私、男焔さんには夢を見ているので(それこそ大昔の清純派アイドルの追っかけ並に)14歳年下の少年を口説く彼は想像できません。
しかし14歳年下の少女をプラトニックに愛でる女焔さんなら話は別です。片っ端から節操なしに愛を振りまいてくれたらいいなあと思います。
2005,12,21
そういえば拍手にこんなものを載せていたなー。というような、とりとめのない品ばかりセレクトで纏めてみました。