機械の国の王子さま 9




砂時計の中の残量






 夕日を受けて翼が黄金に染まる。
 こんなに綺麗なもの見たことない。
 感嘆の吐息をつくアルの視線の先で。風の寵愛を一身に受けた金の鳥は、ふんわりと着地した。


「…アル!」
(…しまった!)
 誘導灯を道標に降りてから、やっとエドは説明も無しに置いてけぼりにしてしまったアルのことを思い出した。
 インカムを外し、髪をガシガシ掻き回す。

 飛べると悟った瞬間、真っ白になった。

 エドの視界は狭い。
 いつもひとつのことに夢中になると、外部情報をシャットアウトして自分の世界を形成してしまう。
「マジかよ…」
 コクピットの中、エドは口元を手で覆った。
(うわあ、怒ってないといいけど)
 怒ってなくても…絶対、呆れられている。
 エドは自分の懲りなさに愕然とする。同じようなことで何度失敗すれば気が済むのだろうか。

 プシュー。
 気密が解除された音と共に、2重構造のドアが上下左右に展開する。
「オーナー。お帰りなさい」
 迎えてくれた整備士たちは皆、誕生日プレゼントを前にした子供のような笑顔だった。
 最先端技術をふんだんに取り入れたエドの翼は、世界にひとつの実験機だ。当然足回りを固める整備士たちも厳密な科学者としての一面を持つ。
 彼(彼女)らにとっても久しぶりのフライトだ。取りたいデータは山とあった。タラップを取り付け固定する慣れた作業も、どこか浮き足立っている。
「ただいま」
「はい。お疲れさま」
 結露が浮くほどに冷えたスポーツドリンクを差し出され、エドは喉の渇きを覚えた。
 当然だ。この真夏に空調を利かせた場所ばかりとはいえ、半日以上も水分補給をしていなければ。
「サンキュ」
 パキリ。
 有り難く受け取り、トップを捻った後は一気に飲み干す。
 冷たい飲み物が食道を通ると、浮遊していた意識がやっと落ち着いてくる。
「なあ、アルは?」
 エドは周囲を見回した。
「親父さんのとこですよー。もう気に入られちゃって、気に入られちゃって。……どうでした? 久しぶりの空は」
「気持ち良かった!」

 魚が泳ぐように、花が咲くように。あるいは秋の後には冬が来るように。
 ごく自然に、ただあるがままエドは空を飛びたいと思う。
 しかし久方ぶりの空の味は格別だった。
 たった今、乾いた喉を潤したスポーツドリンクのように身体に染みた。
 必要な栄養が身体の末端まで行き渡ったような充実感に、どこか飢えていたことを知る。
(…あ)
「そうだ。新エンジン、使い勝手が悪い。開発部の尻を叩いておくから後、よろしく」
「うわあ!鬼!折角整備マニュアル作ったのに!」
「また1からやり直しですかっ!?」
 ふと思いついたエドの発言に整備士たちは非難ごうごうだ。エドは聞かない振りして両耳を塞ぐ。
「レーザーの出力がなーマックスにして連続照射すると、ヘンな癖が出るんだよ。でも一般化するのは案外早く出来そうな感触はあった」
 エドの機体に乗せている心臓は、燃料とするのはほぼ水だけというレーザー駆動の水蒸気エンジンだ。
 商用としてはクリーンエネルギーとしての魅力を売り出すつもりだが、エドの目標は大気から水分を取り込むことによっての完成する永久駆動機関だ。前者は兎も角、後者は沢山の課題をまだ抱えている。
「ああ、もう。わかりましたよ!やりゃーいいんでしょう!やれば!」
「うん、よろしく」
 にっこり。
 こんなときばかりの良い笑顔のオーナー兼パイロットに整備士のひとりは中指を立てる。
「いつか犯すぞこの野郎」
 口ほど怒ってないのは充分承知。
 エドはハンと鼻を鳴らす。
「返り討ちが怖くないなら存分にどうぞ。あ、オレが勝ったら裸エプロン姿で街中放り出すからな?」
 指差し宣言した相手が、それは髭の強い大男だったものだから。見たくない、目が腐るとの悲鳴が盛大に上がる。

「なに脳みそ腐りそうなことほざいてやがる」
 煙管で頭を小突かれたエドは後ろを振り向いた。
「あ。整備長……エンジン組みなおすけど予定開く?」
「今からか?」
 整備長は太い眉を跳ね上げる。
「一週間後くらいかな。ちょっと考え付いたことあるから加えたいし」
「なんだよ。てめえにしちゃあ遅いな」
 上司の発言に部下たちは頭を抱えた。グッバイ定時退社・いらっしゃい地獄の超過勤務。
 お互い文句は多いくせに、新しいもの好きで凝り性という共通点で2人は密接に繋がっている。
「楽しみは後にとっとくほうが嬉しいんだぜ整備長。焦って詰まらないもの載せたくないしな。それでなくても思いついた端から改良加えていったせいで変な機体になってるんだし。バランス整えてシェイプアップもしたい……ってアルは一緒じゃないの?」
 整備長は上を、つまりは屋上を指す。
「オイルまみれになっちまったから特等席で汚れを落としている。なあ、あいつ鎧を脱げんのか?」
「あー…ここじゃ、ちょっと無理」
 気まずそうに視線を動かすエドに整備長は後ろ頭を掻いた。ここには一流の整備士が揃っている。それで脱げないほど手入れが大変なものだとは思わなかったのだ。
(となると、必要なのはアル坊のほうの医療器か)
 オートメイルの整備は出来ても人間の整備は難しい。中に入っているのは子供とはいえ、外付けの動力もなし。よくあれだけのサイズに医療器を詰め込めるものだ。
 ラッシュバレーから移り住んでから親交が回復した小さな女傑の姿を、整備長は思い浮かべる。
(相変わらず、いい腕だ。…そういや、あいつのところは息子夫婦が外科医だったか)
 整備長は腕を組んで唸った。
「そっか悪いことしちまったかなあ」
「いいや、あいつ好奇心強いから楽しかったと思う。構わないから仕込んでやって。筋はいいだろう?」
「うん? まあ、悪くない」
「は、そりゃすごい」
 エドは破顔した。
 手ずから仕込んだ息子でさえも『まあまあ』扱いの整備長は、仕事に関して容赦ない。一見で『悪くない』の評価は上出来だ。
「将来機械弄りをしたくなったらうちに来いって言っておけ」
「了解」
 カンカンカンカン。
 そっけない工場特有の鉄階段を上るエドの足音は右左で微妙に音階が違う。
(……なんでえ、エドワードのやつ。子供らしい顔もできるんじゃねーか)
 自慢そうな、照れくさそうな。
 …ま、男兄弟も悪くはないか。
「リドルお前、兄弟欲しかったか?」
「そりゃあ、昔は少し」
 タイミングよく一部始終を目撃していた息子は、ざらりとチェック項目を書き出した帳面を整備長に差し出した。そして、ふと思いついたよう振り返る。
 其処には先日、指輪を渡したばかりの恋人の姿。
 オイルで黒くマニキュアされた丸い爪が、青年には好ましい。技術屋の手だ。
「そうだね。子供は多いほうがいいかな?」
『作業場でいちゃつくな!』と整備長は怒鳴ろうとしたが。
 仕事一筋だと思っていた若い女性社員がそれは嬉しそうに頬を染めたので、雷の落とす場所を失った。


 夕日の眩しさにエドは目を細めた。

「凄い。豪華だ」
 鎧が照り返しに映えて、燃えるようだ。
 アルの周りに散らばっているのが使用済みのウェスじゃなければ、もっと絵になっていただろう。
 整備士たちは飛行機に総員態勢で取り掛かっている。
 アルはひとり夕暮れを眺めていたようだった。
「兄さんの飛行機も派手だったよ。翼に光が乱反射して、綺麗だった」
「そっか? ほら、ここも汚れてる」
 エドは嵌めていた手袋をポケットに突っ込んだ。落ちていた布切れを手に持って、背中に跳ねていた油汚れを擦り取ってやる。
「整備長、お前のこと褒めていた」
「えっ。嘘、怒られてばっかりだったよー。ものを知らなくて恥ずかしかった」
「見込みがあるヤツにだけ厳しいのはどうかとオレも思うけど、整備長はアレで褒めているんだ」
「そうなの?」
「そうなんだ」

 エドはラッセルやウィンリイにも頼み込み、社会勉強という名目でアルをあちこちに引っ張りまわした。
 そうじゃないかと思っていたが、アルほど弱点のない人間は珍しい。
 エドはよく『天才』という枕詞を付けられるが、周囲を見回せば、一分野に特化した人間とはそう珍しいものではない。
 しかし、足の速いもの、社交性の豊かなもの、芸術センスを有するもの、頭も回転が早いもの……総てにバランス良く優れるというのは、とても難しいことだ。
 誰だって得手、不得手はある。それに筋は良くても、磨かなければダイヤだって原石のままだ。光を放つことはない。
 エドは呆れ混じりに感嘆する。
 得意を伸ばしたというよりは不得意を補ったと印象が強いが。
(どんな道を歩いてくれば、こんな人間に出来上がるんだか)
 何かひとつだけ得意というなら、話は簡単なのに。
「アル。お前はなにかやりたいことあるのか?」
 アルは物を食べず、眠りもしない。それだけでも人生の楽しみの大事な部分を削ぎ落としたような、一種ストイックな面もあるが、感情はむしろ豊かな方だ。
 それに好奇心といえばエドに張るほど貪欲だから、興味のあることのひとつやふたつはあるだろう。

「どうしたの急に?」
 アルが贈った琥珀はエドの耳元で太陽の最後のきらめきを宿す。
「だってお前、欲しいものとかないっていうから。オレはお前になにを返していいのかわからない」
 宵闇のせいそドの表情ははっきりしない。
「そんなの…気にしなくていいのに」
 アルは戸惑う。
 むしろ手際の悪さに落ち込みたくなったくらいだ。
「いや是非気にさせてくれ。アル。…アル。あのな、オレもう一度、空に行けると思わなかった。だから」

 エドはここで躊躇したが、いい機会だと踏み切った。
「オレもなにかお前の役に立ちたいよ。まだオレの命が残るうちに」
「兄さん!」
 叱咤で言葉を遮ったものの、アルは次のセリフを失った。
(なんで)
 その件について今までエドは口にしたことがなかった。だから知らないものだと思っていたのに。
「そんなに困った顔するなよ」
 エドの口元に影が浮かぶ。
 アルはもう知っていた。エドは困った時も笑うのだ。…まるでその方法しか知らないように。
「知っていたんだ…」
「推測だけど」
 エドはアルの左隣に腰を下ろした。夜気を纏いだした風が吹きぬけていく。
「真理のことを調べるために散々史書を引っくり返したって言っただろ? そのとき気付いた。斎宮の寿命は統計学的に見ておかしい」

 斎宮は終身制だ。
 後継の者の年齢にはバラつきがあるが、系図を調べた限り15歳以下の年齢の斎宮の擁立は十数人ほどだった。
 そして、その総てが早死にだ。
 斎宮の地位を引き継いで早いもので数ヶ月。それからおおよそ3年の間。十代前半で斎宮位を継承したものは、たったそれだけの時間で次代に位を移している。明らかにその数字はおかしい。何らかの思惟がなくば不自然だ。
 しかし昔ならいざ知らず。身体の中に真理が棲む、今のエドには実感としてその理由がわかる。
 幼い身体と未熟な精神では真理を受け止める器として弱いのだ。

 エドは夢の中に忍び込んでくる真理が去った後の倦怠感を思う。
 あの泥の中から這い上がるような、重い目覚めを。
 心臓は爆発しそうに早鐘をうつのに、指先は冷たく凍えて。しばらくは起き上がることもままならない時もある。
 どう考えても身体に良いものではない。
 飛びぬけて長生きした例で、14で即位し22まで生きた剛の者もいるが、それは稀有な例外だろう。
 また成人が継いだ場合でも他の王族が呆れるぐらい長生きなのに比べて、やはり斎宮は寿命が短かい。
 在位30年を超えた斎宮など千年もの長い記録の中でたった4人しかいない。
 エドが真理を継いだのは、11の時だ。
 寿命のカウントダウンは始まったと見てもいい。

「お前が真理のことを話したがらないって、そーゆうことだろ?」
 アルはやさしい。
 いつか…ちょっと変わり種だが、ごく当たり前の子供だった昔の頃のように気遣われるのは嬉しかったけど。
 そうでなければアルみたいないい大人がエドの弟として傍に居てくれる理由がない。
(いつまでも、甘えてちゃ拙いよなぁ)
 戒めないと、その心地よさをズルズル引きずってしまう。
 そう、エドが居なくなったら次にババを引くのはアルなのだ。
 実質的に斎宮を継ぐにせよ、そうではないにせよ。『今』はアルにとって黄金より貴重なフリーの時間だ。いつまでもエドが独占していていいはずない。

「ホントなんで、知っているかなあ…。ボクなんてもういいかげん成人して…斎宮位に就くまで気付かなかったのに」
 アルは泣き笑いのような複雑な声音になった。
「そりゃ、お前の兄ちゃんが隠していたからだろ。兄弟なら斎宮になるのは兄と形式が決まっている。いらないことは、知らないほうがいい」
「いらないこと?」
「いらないことだよ。オレにはひとり従兄弟がいる。あいつには…できるだけ王家に纏わる暗部は知らないままでいて欲しいよ。そう願うのは贅沢か?」
 アルは黒髪の子供を思い出す。
(ああ、そうか。あの子は血が繋がっていない)
 家系図で見る限りは王系だが、セリムや父の公爵には真理が反応しなかった。血の一滴でも入っている限り、アルには分かる。養子と書かれていない上は、何かの改竄はあったはず。
 しかし血が繋がってないということは、真理の災禍から自由ということでもある。
『被害が及ばぬなら知らないほうがいい』
(兄上もそう思ったのだろうか)
 ひとより短い寿命を、知って生きるのは辛い。
 相談して欲しい。辛いと、泣き言を言って欲しかったと思う自分は我侭だ。
 その反面アルはエドに斎宮の寿命の話を伝えられなかった。
 真理に関しては不自然なほど情報が消されている。いっそ、それならば沈黙を守ろうと思ってしまった。……矛盾しているのは自分でもわかるが、どうもままならない。
「……贅沢ではないけど傲慢かな。後で知ったほうはたまったものじゃない」
「仕方ないだろ、諦めろよ」
(オレだって諦めたのだから)
 そう幻聴が聞こえた気がしてアルはエドを見た。エドは視線をドックに飛ばしている。
「まいるな、未練が出る」
 ドックの中には、エドの翼が羽を休めている。
 その目の色に胸を突かれた。

「……にいさ」
「あー!もう!」
 いきなり頭を抱え込んで叫んだエドに、アルはぎょっと半身を引いた。
「変にすねて開発止めなきゃよかった!まだ飛べるんだったら、やってみたいこといっぱいあるのに!あー…畜生、間に合うかな」
 エドは行儀悪く舌打ちをする。
「すねて…たの?」
 そんな風には見えなかったが。
「そりゃあ、まあそれなりにな!自分のことで精一杯な思春期真っ只中のお年頃なのに真理なんておんぶお化け背負ってるんだぜ? やってらんねえ!って一回は叫ぶのが当然だろう?」
「うん。…まあ、そうだね」
 先ほどまでの大人びた表情とのギャップに、アルは付いていきそびれて戸惑う……が。
「だろ!? いくらこんなになる前から『あいつは長生きしない』って言われ続けたからって、実際そうなるとは思わない…っ痛!」
「誰が、そんなこと言ったのっ!」
 そんな酷い、呪いの言葉。

 口が滑った自覚のないエドはアルの怒気にきょとんとした。
(何だ?)
 咄嗟に捕まれた左肩が痛い。…というより怖い。真剣に怒っているアルにエドは及び腰で言い分けする。
「や、だってさ。オレ我慢の利かないガキだったから。生き急いでいるように見えたんじゃねえの?」

 エドは空を飛びたかった。
 確か…5歳の誕生日は過ぎていた頃だったか。『飛行機の運転手』になる方法を調べてもの凄くガッカリした。
 どんなに早い手段をとっても免許の年齢制限に引っ掛かり、軽く15年はかかってしまうと知ったからだ。
 当時のエドにとっては15年なんて永遠に等しい時間だった。
 明日を待つのも難しいのに、15年なんて待ち切れない。
 正常なシステムでは時間が掛かりすぎる。だったら何か抜け道を作ってしまえ。…でも悪いことをしたらお母さんに叱られるから、なるべく穏便な方法で。
 そう単純に考えたのが総ての始まりだ。後日、誰かに『お客として飛行機に乗るんじゃ駄目なのか?』そう聞かれたときは呆然としたが。そんなこと言われるまで頭になかったし、それこそ会社を立ち上げた後だったので、『やっぱりやめます』が許される状況ではなくなっていた。
(……馬鹿だったよなあ)
 今になって振り返ると、我ながら…しみじみと頭の弱い子供だ。
 過去を思い出すのは心臓に悪い。
 嫌な汗まで掻いてきそうだ。
「オレは我が侭は押し通したほうだし。何かやろうと思ったら陰口ぐらいはいくらでも」
「それで、誰に言われたの?」
 エドは眉を顰めた。いい加減、捕まれたままの左肩も痺れてくる。
「お前、しつこい。それに多すぎて覚えてねえよ。『普通の6倍ペースで人生こなして疲れないか?』なんてはラッセルにも言われたし。飛行機作って乗るために会社作っちゃいました。なんて50、60代にもなればありふれた成功譚だ。若くしてそんなんなら、もうやることありませんねーって。そーゆー嫌味だろ」
 エドは嘘をつくのは苦手だが、思ったことを素直に口に出せるような可愛げもない。
(あ、なんかムカついてきた)
 しかもなんで腹を立てているのか自分でもわからないのが不条理だ。
 頭の中がぐしゃぐしゃになってきたエドは、アルの手を払って不貞腐れた。
「いつもは喧嘩っ早いのに、なんで怒らないの」
 呆れたように言いかけた途中で、アルは気付いた。
 本当に傷ついた時、きちんと怒れないのは大人よりも子供に多い。それを表す方法を知らないのだ。
(バランスが悪い)
 エドの中には老獪な大人の知識と、やわらかくも傲慢な子供の精神が収まっている。
「ねえ、兄さん」
「なんだよ」
 アルはエドの足を蹴飛ばすふりをする。避けたエドは気を取り直したようだった。
「ウィンリイやラッセルにでも。兄さんは、もっと愚痴をこぼしたほうがいいと思う。どんなに親しい相手にだって…自分の考えなんて、言葉にしなきゃ伝わらないものだよ」
 いつでも手は差し伸べたいのに、言ってくれないと分からない。
「…だって仕方なくねえ? 真理まわりの話なんて、誰も信じやしない。妄想狂の気があるんじゃないかって疑われるだけだ。…それに、変に心配かけるのも嫌だし」
 おまけにプライドも高いときた。
(厄介なひと)
 これ見よがしにつかれた溜め息に、エドは少し付け足した。 「あー。だから教えてくれて、ちょっと安心した。オレの勘違いかってずっとモヤモヤして嫌な気分だったから。…そうだよなー、暗殺されまくったのかとも思ったけど、自然死以外は真理の報復起きるもんな」
「…起きたねえ」
 アルは昔を思い出して遠い目になった。
 あれは悲惨な光景だった。
 特に直接兄を手に掛けたアサシンなど1センチ角にサイの目切りに成り果てた。
(後片付けするのも大変)
 真理ももう少し考えて始末してくれれば良かったものを。

 エドは重々しく頷いた。
「あいつもたいがい禍々しいからな。なまじっか力があるだけに性質が悪い」
「…うん。否定はしないよ」
 何か言いたげなアルにエドは小さく笑う。

「オレが死んだら真理のお守りをする奴がいなくなる。そうしたらどうなるんだろうってずっと考えてた。アレを野放しにしたら国が荒れるのは間違いない。だけど範囲は? 被害は? この先この国で暮らしていけるのか? 避難は必要か? またそれはいつまでかかる? 対策を立てようにも、なってみないとわからないことが多すぎる。『国なんていつかは滅びる』って史家のセンセーは気軽にいうけど、滅び方もあると思う。少なくともオレは知り合いがそんなわけわからないものに巻き込まれて辛い目に合うのは嫌だ。だから真理を任せられるお前と会えたのはオレにとっては幸運だった。……だけどお前は違うだろう?」
 アルを目覚めさせるのはエドでなくてもよかった。斎宮となりえる人材だったら誰でも。
 どうしても心苦しく、申し訳なく思ってしまう。
(もっと大人ならよかった)
 気を抜くとないもの強請りをしてしまいそうになる。エドが大人になることはありえないというのに。
 エドは膝で組んだ腕の間に右頬を埋めた。
「まだやらなくちゃいけないこともあるし、今日明日にぽっくり逝く気もないけど。いずれアルにはたくさん迷惑を掛けると思う。少しぐらいオレもお前の役に立っときたいよ。やりたいこと、何かあるだろ?」

 アルはキシリと首を傾げた。
(そんなに複雑なことを聞かれても困る)
 アルの目的はハッキリしている。真理をこの空っぽの身体に封じる人型になること。
 その為に造ったし、そう調整もした。
 アルの意識が擦り切れて消え失せるまで、存分に使える身体に構成してある。
(ああ、そうか)
 不意にずっと疑問に覚えていたことがするりと氷解した。

 人の脳は記録する場所を分けて覚えている。
 今のアルに脳はないが、昔は人間だったからその影響は免れない。
 おかしいと思っていたのだ。
 言語や知識を司る意味記憶や、運動の慣れを司る運動記憶で困ったことはない。生体の時と同じように思い出せるし、身体は動く。
 それなのに思い出を司るエピソード記憶だけはやけに曖昧で、それが疑問だった。
 自らの魂を利用したこの構築式なら、完全に記憶の複写も出来た筈だ。いや、手間が掛からないぶんむしろその方が簡単だ。
(ボクは、わざとファジーに記憶を焼き付けたのか)
『目的意識』があるとないでは、心構えが違う。だからある程度の記憶は必要だ。
 総て残さなかったのは、覚えているのが辛かったからか。
 不意に鮮明になるエピソード記憶は。兄が死んでから先は…自分でもどうかと思うほど、ひんやり冷たいものが多かった。
 なんか、嫌だ。
(嫌な方から忘れたとしたら、あまりろくな人生をしていないな)

「やりたいこととか。それはまだ、よく分からないけど」
 返事を待っているエドに、アルは慎重に応えを搾り出した。
「ずっと、兄さんの傍にいたいと思うよ」
 それは嘘ではない。願わくば少しでも長くと望んでいる。
 アルは兄に何も出来なかった代償行為を、エドに求めているのかもしれない。
『こんな子供が斎宮なんて、あまりに憐れだ』
 初めて会ったときはそう思った。しかしエドが斎宮にならなければ、アルはずっと王宮の地下で眠ったまま、ゆっくりと滅びただろう。出会うこともなかった。
 遅れてしまったが、まだ間に合う。この愛しい子供が辛い時、支えることが出来るはずだ。
 それも出来ないようでは、何のために魂の定着など倫理を超えてここにいるのかわからなくなってしまう。
(……辛いことなど何もなくて、笑顔で居てくれるほうがずっといいけど)

「オレの?」
 長い沈黙の後、戸惑ったように声が曇る。
「うん。駄目かな? 兄さんが嫌じゃなきゃそうしたい」
『誰か』の役に立つことを存在意義にしたら、愚かだと笑われても仕方ない。
 だけど『特別な誰か』に頼りにされない生き方は寂しかった。
 そうだ。
 アルはずっと寂しかった。
 兄の座っていた王座は心が凍るほど冷たくて。個としての情を捨てなければとても正気ではいられなかった。
 アルはやっとそれを思い出した。
「…物好きだな。オレが駄目になったらどうせ面倒かけちまうんだから、今くらい自由にしときゃいいのに」
 アルは密やかに微笑む。
(独り自由なくらいなら)
 それぐらいなら大切な人の傍にいたい。時間が区切られるのなら尚のこと。
 今度は間違えない。
「そう? ボクほど好き勝手に生きてるもののほうが珍しいと思うけど」

 エドの眉根がきゅっと寄る。
「……馬っ鹿だなあ、お前」
 信じられない。
 小さくエドが呟いた言葉は聞き取れたが、その意味は図れない。

 ただその後流れた沈黙は重いものではけしてなく。
 夜の女王が星空のドレスを身に纏うまで、2人は黙ったまま並んで座っていた。





                                   To be continued


2005,1,3
今回ばかりはコメントしづらく。




 パラレル