機械の国の王子さま 7







 西の善き魔法使い








 一見地味な灰色のスーツは、光の加減で青銀の縞が入っていた。
 夏の夜に、ガラス戸に張り付いていたトカゲをエドは連想する。
 一晩眺めていても飽きなくて、朝になっていなくなってしまったときは心底ガッカリしたものだ。
(そんなかわいらしいタマじゃねえけど)

「お初にお目にかかります、殿下」
 戦う牙も爪も持っている男は、端然とエドに握手を求めた。
「初めまして、グリーン教授。お会いできて光栄です。…クセルクセス論文、拝読しました」
 銀縁眼鏡の奥の瞳は楽しげな笑みを浮かべている。…物騒な事だ。
「これは恥ずかしい。お若い方には退屈な話しでしょう」
 エドは唇にはにかみを乗せて握手を返した。
「お若いというなら教授のほうこそこそ。…驚きました。とても厳密な研究をされているとの印象がありましたので、失礼ながらもっとご年配の方だと思っていました」
 エドはお座りくださいと貴賓室のソファーを示す。
「なにぶん、フィールドワークをまともにしようと思えば考古学は体力勝負ですから。若くないと勤まりません…もっとも、30年後の私は違う意見を言うでしょうが」
「ご立派です。それで教授は私になんの御用でしょうか、お役に立てればよいのですが」
「恐れ入ります、殿下。そしてお人が悪い。私のようなものが殿下にお会いしたいと申し出る理由はひとつしかないでしょう。是非、リゼンブール王立図書館の『奥』を拝見いたしたく存じます」
 リゼンブールの大図書館は千年の間、戦火を知らない。代々の国王に書物狂いの血が出ることと合間って、世間では『失われた』とされる名著が山と残っている。学者にとっては垂涎の場所だ。しかし。
「余程の理由がない限り、扱いが難しい古い書物の閲覧はネット図書の利用をお願いしてあるのですが?」
 書簡は国としても貴重な財産だ。もしも万が一、破損されてはたまらない。
 スキャナーで取り込んだ資料でデータバンクを作り、配布するサービスをリゼンブール図書館では行なっている。ただし有料だが、実際その書物を手に入れようとするなら格段すぎるほどに安価のはずだ。
「ええ、そちらも利用させてもらっていますが。私が欲しいものは選に洩れていたらしく載っていませんでした。他の資料も検索の絞込みに難があるのも問題で。……殿下は『西の善き魔法使い』をご存知でしょうか?」
 教授は節のある長い指を優雅に組む。思い当たるところのあるエドは素直に肯定した。
「確かシンの民間伝承でしたね。『西方の賢者』のタイトルで読んだ事があります」
 いくつかパターンがあったが内容としては勧善懲悪で、困っている人を『西の善き魔法使い』が助けて回るというシンプルな話だ。
「私はそのルーツを探っています。『西の善き魔法使い』が錬金術師であったというのはシンの学会でも通説ですが、どこから来てどこに去ったか。『彼』の目的は何であったか。私はそれらを調べています」
「目的とは?」
「話を集めてみると『彼』は調べ物をしにシンに訪れたとされる言葉が多く残されています。特に解呪…ええ、呪いを掛けるほうではなく解く方法を探していたようなのです。面白いとは思いませんか?」
「なるほど。リゼンブールは錬金術が盛んでしたから。時代が合えば、師兄やその系譜が出てくるかもしれませんね。何をお望みですか?」
「400年前から溯って600年ほどの錬金術師の資料を。特に陣なしの錬成をする錬金術師の話など、殿下はご存知ないでしょうか」
「……それはこのリゼンブールでも御伽噺とされることですよ?」
 少年は困ったように眉を顰めた。
 いささかわざとらしいと思ったが、形式美が必要なこともある。
「それは頼もしい言葉を聞きました。そのような技術は他国に現存する錬金術師は『ありえない』と言いきりましたよ。実は『彼』の兄は陣なしの錬成が出来るという逸話がありまして」
 嬉しそうに膝を叩く若い教授にエドは溜め息を付いた。
「『ありえないことは、ありえない』…それが教授の持論でしたね。いいでしょう。司書に話は通しておきます。スキャナーや]線等の常備機材もご自由にお使いください」
「ご厚意に感謝します。殿下」

 タイミングを計り茶葉を蒸らしていた侍従は、話が一段落したのを見て主と来賓の前に紅茶と焼き菓子を置いた。
「ありがとう」
 エドの言葉に控えめに微笑んだ侍従は一礼して扉の向こう側に下がった。

 とたん、室内の温度が2,3度低くなった錯覚を覚える。
 エドは品よく腰掛けていた足を乱暴に組みなおし、頬杖を付いた。
「で、本当は何の用だ。グリード?」
 恐ろしく行儀が悪いが、似合っているのも確かだ。くつくつ低い笑い声を漏らした男は、掛けていた眼鏡をスーツの胸ポケットに挿した。
 知性を演出する小道具を仕舞うと、色悪めいた男の素顔が現れる。髪も乱そうものなら優に10は若く見えた。
「いきなり用件に入るかツレないねえ。折角正面から入ってきてやったのに、もう少し付き合えよ。…さっきの顔、お上品で中々悪くなかったぜ」
「オレはお前と言葉遊びをする余裕はないんだよ。盗聴器なら外してある。好きに喋れ。もっとも探知機のひとつやふたつ持ち込んでるだろうが」
 余裕がないと宣言したとおりエドは性急だった。グリードは口の端をつり上げる。
「んじゃー早速用件に入るけど、うちのワンコたち返してくんね? 騒がしいのがいないと静かでよ、物足りないんだわ」
 飄々とした態度はどこに真意があるか分かり辛かった。こちらの要望を通すのに、そんなものは必要ないと割り切ってエドは端から裏を読むのを諦めている。
「あいつら訓練所送りになっているから今すぐ返すのは無理だ。そのうち隙を見て殉職させるから、そしたら引き取りに来い」
「了解。ちゃあんと生きたまま殉職させてくれよ?」
(交渉できない相手ではないか)
 駄目だといわれたらどうしようかと次善の策を立てていたエドはその考えを保留の棚に突っ込んだ。
「条件その1、金輪際オレとオレの身内に面倒ごとを持ち込まないこと。その2そのことを傭兵仲間に広言すること。その3出来ればオレと契約して子飼いになってくれること。3番目は要相談」
「傭兵を使う用事でもあんのか坊ちゃん」
 張り付いた笑みが憎たらしい。エドは言下に切り捨てた。
「安全対策に決まってるだろ。あんたの履歴を調べたけど契約者殺しはなかったからな」
「そりゃ金づるは大事にするほうだけどよ。俺は高いよ?」
「年払いで新型戦闘ヘリ一機購入よりも高いか?」
 グリードはヒュウと口笛を吹いた。
「……そこまで暴利を貪ると後が怖いからねえ」
「だったら平気。後でマーテルにでも銀行口座教えとけ。連絡取れないようにしてあるけど、方法はいくらでもあるんだろ?」
 グリードは否定はしない。ただ黙って肩をすくめる。
(……本当にあるのか)
 予想はついていたがエドはげんなりとする。本当にうちの警戒態勢はザルだ。
「その年にして税金の使い込みかあ、やるね坊ちゃん」
「んな権限オレにあるか。ポケットマネーに決まってるだろ」
 つまり一個人として払うと。
 豪勢な話だ。
 それほどの支払能力をもつリゼンブールの企業をグリードはひとつ知っている。ここ6年ほどで急速に発展した巨大コングロマリット。……そのブレーンに子供が混じっているとは都市伝説ではなかったか。
「正直だなおい。もそっと慎み深く隠しておけよ。暴く楽しみがないだろうが」
 エドは不機嫌に鼻を鳴らした。悪い目付きが一段と悪い。
「五月蝿い。黙れ」
「ハン? 感じ悪いよ、お前」
「悪くもなる。…本物のグリーン教授に会えると思って面談する日を指折り数えて楽しみにしていたら来たのがお前だぞ? オレの膨らみきった期待はどうしてくれるんだ、ええ?」
 憤慨も顕わに指差し凄まれて、グリードはぽかんと口を開けた。
「なに、おまえ本当に読んでたの?」
「過去のバックナンバーは兎も角ここ数年出ている論文は出た先にな。…………どうせミーハーだよ!悪かったな!面談に託けて著書にサインねだっちゃおうかなーとか思ってたよ!」
 話の途中でとうとうエドは逆切れを起こした。自分でも恥ずかしかったらしく顔が真っ赤だ。
「……そりゃー、悪かった。うん」
 かりかり。頬を掻いていたグリードは、意外なことに心底申し訳なさそうに謝った。そして申し出る。
「良かったらサインするよ? 基本的に他人に優越を感じる行為って大好きだし、俺?」
「…?」
「いや、だから俺、本人」
「……は?」
「傭兵は趣味兼発掘費用の資金稼ぎの副業で、本業は学者。むしろグリードって名前のほうが本名のもじり」
 今度はエドの口がぱっかり開く。
「じゃあ、資料請求のアレ…本気だとか?」
「うちのワンコの引き取りついでだったけど。言ってみるもんだな」
 グリードは顎をさすって悦に入っている。
「西の賢者云々も?」
 いっそ否定してくれという懇願雑じりの視線に気付いたが、グリードは嘘をつく必要がなかったので頷いた。
「まあ。一応ライフワークってヤツ? 死ぬまでに何とかしたいとは思ってるよ。ほらほら握手、握手。うっわ、俺こんなに若いファンに会ったの初めてかも……ってナニその顔」
 むしろお前のその顔はなんだとエドは言いたい。
「……偽者でいてくれたほうがずっとマシだった…っ!」
 本気で嫌がり裏返るエドの声に、ゲタゲタとした男の笑声が被さった。



 鎧のアルがエドと出会って一度、月が満ち欠けを繰り返した。
 現代の生活様式にも大分慣れた。
 あれから変わったことはあまりない。
 変わったのはアルの為の特注の椅子がエドの部屋に置かれたことと、頼りになる友人が増えたことぐらいだ。

 ピーィと遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。
 うつくしいのはリゼンブールの夏。日差しはきついが木陰に入れば風がさやさや吹きぬける。
 計算された庭園は、野の自然とはまた違う魅力があった。
 タイルを敷き詰めた泉には鮮やかな朱金の魚が放たれ、下栄えを刈り込んだ木の根元には白い花々が蕾をつける。職人の気配りが行き届いた庭は、芸術の域にまで達していた。

 その園の主であるエドは、残念ながら来客で席を外している。
 アルが来てから時間を空けるようになったと皆言うが、それでもエドのタイムスケジュールは年齢にそぐわず多忙だ。

「……能力的には即戦力らしいけど。チームで動く護衛としてはペケだがら、マーテルとドルチェットの2人は、いま訓練施設のほうで講習受けているって」
 緘口令を敷いていたはずなのに、どこで情報を仕入れたのか。
 いつか襲撃された明け方の話を、ラッセルとウィンリイは微に細に問いただしてきた。
 少年少女に鬼気迫る態度で締め上げられ、アルは早々に白旗を上げさせられてしまった。
(マリアさん、ごめんなさあい)
 心の中で謝っておく。

「それで『殺すな!』って言われたって? …お前、強いんだな」
 ラッセルはポーカーフェイスを装っているが、どこか悔しそうに呟いた。
 王宮の庭園はラッセルのテリトリーだ。主であるエドの比でなく詳しい。案内してくれる予定で、アルも楽しみにしていたが、今日はもう無理そうな雰囲気だ。
 バスケットを持ち込んだのはウィンリイ。一見、楽しいピクニック風なのに漂う気配は穏やかではない。ビニールシートの上は、即席査問会場と化している。
 アルは大きな身体を小さく縮めた。
「腕には少し自信があるよ。…怒られちゃったけどね」
 否応なしに正座させられてアルは居心地悪くそわそわした。
 2人の怒気はオーラになって見えるようだ。それが自分に向けられていたらと思うと怖い。
「あいつが腹を立てるぐらいどうってことない。いいじゃないか、危険なときも傍に居ることを許されているんだろう?…部外者にされると腹が立つものだぞ」
「部外者?」
 少年少女の目は据わっている。
「俺は緊急時には見捨てて逃げろといわれた」
 ラッセルの口調は吐き捨てるようだったが、ウィンリイのはドヨドヨした怨念が篭もっている。
「あたしなんか、もう2度と近づくなって言われたわよ。スパナでぶん殴ってやったけど」
 …………?
 …ヒィ!
「「スパナ?」」
 スパナってあのスパナ?
 あんなんで殴ったら死んじゃうって。アルとラッセルの脅えたような声が重なる。
「強化樹脂製の軽量タイプよ、もちろん」
 胸を張った少女は滑らかな頬に血の気を上らせている。繊細な顔立ちをしているが、褒め言葉なら元気とか快活とかそういった清々しい単語が似合う少女だ。怒った顔もそれなりだが、アルとしてはそれ以外の顔の方が遥かに魅力的だと思う。……いや、別に怖いからというわけでは…げふんげふん。
「その時はあいつ伏せっていたから、仕方なしに手加減したわっ!」

「しっ」
 ガサリとウィンリイの後ろの木の枝が揺れて、ラッセルは膝を立てた。
「誰だ!」
「バぁーカ!」
「…わぷ!」
 幼い子供の声。同時にラッセルの顔面にカラーボールが投げつけられる。
 …ナイスコントロール。
 てん、てん、ててて…。
 目の前に転がった黄色いボールをアルは拾った。柔らかいゴム素材で、テニスボールほどの大きさだ。
 コレなら余程の場所に当たっても、怪我をすることはまずないだろう。そのことにひとまず安心する。
 額に太い青筋を立てたラッセルはアルの手からそれを奪い取った。
「あの…くそガキ!…今日こそ許さん!」
 脱いでおいてあった靴を突っかけ、見えた黒髪の後姿を、ラッセルは猛然と追いかけていく。
 ザザザと2つの足音が遠ざかっていく。アルはぽかんと見送った。
「……あの子、誰?」
 ちらりと見た限りでは育ちの良さそうな子供だった。
 アルはおチビさんの接近に気付いていたが、まさか躊躇いなしにボール攻撃がくるとは予想外だ。
「セリム君。礼儀正しくて素直ないい子よ。見ての通り可愛いし」
「セリム…くんって公爵家の? …素直で礼儀ただしい?」
 アルの声は疑問符でいっぱいだ。ウィンリイは破顔する。
「そう、素直よー。セリム君、エドのことが大好きなの。だからあいつと軽口を叩き合うラッセルの立場が羨ましいみたい。ラッセルも年下には本気で怒れないところがあるし、甘えてるのねアレは」
 ああ、なるほど。微笑ましい。
「兄さんと仲が良くて、いつも一緒で?」
「そう。アルやあたしも多分『羨ましい』対象に入っているんでしょうけど、あたしは女の子だし、アルは対外的にその身体だし。『弱いもの』を苛めるにはプライドが高いのよ、あの子。…その点、ラッセルは大きいしセリム君より年上だしね。当たり甲斐があるんでしょ」
「あはは、兄さん小さな男の子にはもてもてなんだ」
 それはわかる。エドの破天荒な行動は、周囲を巻き込む魅力がある。
 年長者には生意気にも取られかねないが、仰ぐに相応しい存在だ。
「そうねえ、ガキ大将タイプだし…昔からモテてたわね。女の子には『話わかんなーい』って言われてたけど」
 木陰から差し込む日差しに、少女の甘い金髪がきらきら光を弾く。
「そうかウィンリイ、兄さんと幼馴染みだっけ。ラッセルも?」
 思えばウィンリイと2人きりになったのは初めてだ。
 ウィンリイは芯に一本入ったステキな女の子だ。お喋りするのは純粋に楽しい。
「エドとあたしは生まれたときからのご近所さんだけど。ラッセルは、大学で仲良くなったの」
「大学。優秀なんだねえ!」
 ウィンリイはエドと同い年の12歳。ラッセルなんてもうひとつ年下だ。ウィンリイは照れたようにはにかむ。
「リゼンブールは将来何をやりたいか決まっている子供には特進優待制度があるの。でも一般教養を全部すっ飛ばすのもアレだからカレッジで同じ年頃の子供集めての美術や音楽の授業もあって。ラッセルはそこそこみんな優秀なんだけど、エドは出来不出来が極端でねー……楽しかったなあ。そこらへんは小学校とかわらないかな?」
 ウィンリイは懐かしそうに目を細めた。
「兄さんや、ラッセル休学してるの、やっぱり寂しい?」
 エドは斎宮候補として王宮に上がってしまい、ラッセルも家庭の事情で休学した後はアルの家庭教師を買って出てくれている。
「…そりゃあね。そこで否定するほど薄情じゃないわ。でもデリカシーないわよ、アル? ……あーもう!エドの馬鹿!なんで王族なんかになっちゃったのよう!」
 ウィンリイはビニールシートにねっ転がって足をバタつかせる。その姿はまだ子供だ。
「あはははは」
「笑い飛ばしてくれてありがと。自分でも理不尽だと思うわよ。エドのせいじゃないって分かってるけど、腹が立つの。……あたしの幼馴染みの男の子はどこに行ってしまったんだろうって」
 ふと、胸を突かれた。
「…ウィンリイ」
「ねえ、アル。エドをお願いしてもいい?」
 むくりと起き上がったウィンリイは先ほどと一転して大人びた顔をしていた。この年の少女は、いくつ顔を持つのだろうか。
「なあに?」
「別にやさしくしなんてしなくていいわ。あいつ直ぐ調子に乗るもの。だけど、あいつがこんなところにずっと独りでいるのは怖いわ。出来るだけエドの傍にいてやってくれる?」
 何を言いたいのか分からずにアルは困惑した。
 正面から受け止めてしまうには、思いつめた真剣さだ。あえてアルは朗らかに笑う。
「ウィンリイはボクを信用するの?」
 かつては人であったけど、この身はもはや人ではない。ウィンリイはそのことを知っている。
 物の怪や自動人形の亜流のような。血の通わぬモノに頼んでいいの、とからかうと冷たい目で見られてしまった。
「あたしの人を見る目にケチつける気? あんた話していてどれだけ『兄さん』って単語言うか知ってる?」
 あやや、藪蛇だ。アルは恥ずかしさに身を縮める。
「信用出来ないはむしろエドよ、あの馬鹿。いくら都合がいいからって自分の命狙ったヤツ普通なら身近におかないわ」
 それはアルも感じたことだ。無暗に冷酷なもの困るが、エドは甘すぎる。
(でもそれは周りの者が補えばいいことだ)
 仕えるのなら、情の深い主のほうが好ましい。
「…降伏したものに寛容なのは王者の態度だよ。生半可にはできることじゃない」
 ウィンリイは手を伸ばして遮った。
「慰めは要らない。あたしの幼馴染みは頭の中お花畑な『高貴な方』じゃなかったもの。確かに陰湿なところはなかったけど、命狙われてあっさり許すような阿呆でもなかったわ」
 そして憤懣やらかたない態でビニールシートの外の芝生を引き抜いた。
 止めないと、後でラッセルに怒られそうだ。
 情に厚いというならむしろエドよりも、ウィンリイの方がそうだ。その口から漏れるにしては評価が厳しい。
「辛辣だね、ウィンリイ。…どうして?」

 ウィンリイはふと思いついたように身を起こし、膝の上に手を置いた。
「ウィンリイ?」
「あのね、話したいことがあるの」
 真面目な話をしようという体勢だ。
「聞いたらきっと嫌な気分になると思う。でもアルには話したいわ、聞いてもらってもいい?」
「いいよ。兄さんのこと?」
 この少女なら、他のことならいくらでも相談相手はいそうなもの。会話の流れからしてそれしかないが、アルは話をし易いように相槌を打った。


「9歳の時、エドのお母さんが交通事故で亡くなって。それが始まり。お葬式の後、あいつを迎えに男の人が家に来たわ」
 葬式の時に降る雨は涙雨。夏なのにぞっとするほど寒い日だった。
 黒塗りの車に乗った男性は、弁護士と名乗った。
『エドワードさま。お父上が貴方さまにお会いしたいと…』

「……後で考えるとばっちゃんとお父さんは、エドの出自を知っていた。だから連れて行かれるのを黙って見送った。あたしは何が起きたかわからなかったけど、ただ不安だった。…嫌な予感ばかり的中して。それからしばらく、エドは行方不明になった」
「王宮に入ったわけではなくて?」
「多分違う、完全に音信不通だったから。ある程度時間が経ってこれはおかしいってばっちゃんやお父さんが騒ぎ出して…ひと波乱あったみたいだけど。あたしには誰もこの時のことを触れさせてくれなかった」
 当の本人のエドにすら。
 あれほど我が身の力不足を嘆き、大人になりたいと思ったことは他にない。
『あたしにも出来る事はなにもない。エドを信じてお待ち』
 祖母の一言に、隠れて泣いた。
 ウィンリイが辛い時、泣き止むまで離れた場所で待っていてくれた不器用だがやさしい幼馴染みがいないことに更に泣いた。
 涙が落ちるのは悲しいからではない、口惜しいからだ。その時を思い出してウィンリイは唇を噛む。
「エドに『何か』が起こっていたのはいくら子供でもね、わかるけど。見事なくらい蚊帳の外。やきもきしながら待って半年よ。いきなりエドが王室に迎えられたって話を聞いたのは。…唖然としたわ」
「兄さんが王族だったことに?」
「あー…それは意外と驚かなかったわ。あいつなら『なんでもアリ』ってゆうか、昔から規格外だったから。大学の友だちや仲間も『へーそうだったんだ』ぐらいのノリだったし。……会って驚いたのは、ガリガリに痩せて憔悴していたこと。今だって細いけど、比じゃなくて。はじめは意地悪な親族とかに虐待受けて、ご飯食べさせてもらってなかったんじゃないかって思ったくらい。ストレスとかでヤワになるような根性の持ち主じゃなかったし、あいつ」
「…なにがあったの?」
 それはアルにとっても意外な話だった。ウィンリイは首を振る。
「わからない。エドは黙秘を貫いたから。ただ、お父さんは『追い詰めるな』って言ったわ。でもエドは痩せただけで態度は変わらなかったし、だんだん元気になってったし。……あたしは間違えたの。平気で見えてもそうじゃないの。あいつがとんでもない意地っ張りだって知っていたのに。エドは、口が軽そうに見えて本当は固い。重要な部分は秘密主義なの」
 訥々と話す声は静かなのに胸を抉られるのは、少女の魂の叫びだからか。
「…ウィンリイ。駄目だよ、手を開いて」
 握った指の白さにアルは強引に手を開けさせた。丸く残った爪の跡には血が滲む。
「うん、…ごめん」
 ウィンリイは項垂れた。
「前は社会科見学ぐらいでしかこなかった王宮だけど、エドが住むようになってからは遊びに来るようになって。顔馴染みの庭師さんとかメイドさんとか増えて。皆いい人ばかりで良くしてくれて」
 少女は何かに堪えるように両腕を抱く。
「なかでも可愛がってくれた年配のメイドさんはよく『ウィンリイちゃんいらっしゃい』ってお菓子を振舞ってくれたわ。その人、少しおばさん…エドのお母さんに似てたの。笑顔が優しくて。…ある時、『殿下と一緒に食べてね』って渡されたお菓子を口にしたエドはあたしの顔を見たわ。それで『コレ食べたか?』って聞くの。たまたま、まだ食べてなかったから首を振ると『用を思い出したから帰れ』って言うの。よくあることだから不自然じゃないけど、気に掛かって。素直に帰るふりをしてひとつくすねたお菓子を食べた。そしたら床に叩きつけられるほど引っ叩かれて」
「兄さんが!?」
 アルは心底驚いた。兄のすることとは思えない。
「そう。喧嘩っ早いヤツだけど、実際、力任せに叩かれたのなんて初めてで呆然としてたら、その後すぐ医者を呼ばれるわ、エドに死ぬほど水を飲まさせられて、またそれを吐かせられるわ。挙句あたしにかまけて処置が遅れたエドが倒れて騒ぎになって…………何が起きたかわかるでしょ?」
「毒が…?」
 ウィンリイは強張った顔で頷いた。
「小さなクッキーひとつで大人の致死量の3倍。即効性のものだったら死んでいた。……アレほど自己嫌悪したことって外にない。エドはね、あたしが持ってきたお菓子は、あたしのお母さんが持たせていたものだと思っていたらしいの。いかにも手作りな風だったから。…それまであたしが気付けなかっただけで、エドはとても慎重に振舞っていたわ」
 努めて平常を保とうと繰り返される深呼吸が痛々しい。
 一緒に食べたというなら、自分だって怖かっただろうに。
「その話を聞いた時あたしはエドに疑われたと思ったわ。だからあいつは毒と知って食べたんじゃないかって。……あたしの知っていたエドは、もし毒が入っているかもしれないと気付いたら、あたしが持ってきた物でも食べない。『裏切られたかもしれない』その感情に負けてあえて試すようなことなんて絶対しなかった。兄弟みたいに育ったもの。それぐらいは信用されていた。……どうして? 酷い、と思ったの」
「違うの?」
 少女の瞳は星のようだ。鋭く硬い光を放つ。
「目が覚めての第一声が『巻き込んで済まない』であたしが一言詰るとこともあろうに『ウィンリイならいいかと思った』って言ったわ。『他のヤツに殺されるなんて嫌だけど、ウィンリイならいいか』って!…………寝ぼけていたのね。正気なら絶対聞けない言葉よ」
「……それでスパナの刑」
 それは殴られてしまっても仕方ない。
 もしアルが同じことをエドに言われたら。想像すると、とても悲しい気持ちになる。
 王宮に上がった時(あるいはその前に)、兄に何が起こったのだろうか。今のエドはそんな自棄的な儚さからは程遠いだけに想像が出来なかった。
「そうスパナ。おかげでお父さんに病室からつまみ出されたわ」
「ひとつ聞いていい? ウィンリイにお菓子をくれた人はどうなったの?」
「国外追放。…一応はね。調べたら彼女の子供が誘拐されて、そうするよう恐喝されていたの」
 やさしい人だった。弱い人だった。誰も相談できる人もいずに追い詰められた。
 ……そして結局、彼女の子供は生きて帰ってこなかった。
『何故私の子供は死んで貴方だけが生き残る!』
 彼女がエドに吐いた呪いの言葉は、ウィンリイの胸に突き刺さったままだ。それだけは彼女を許せない。
 幼馴染みは自分より弱いものに殊更やさしい性質だ。そんなに広い懐なんてないくせに、すべて抱え込もうとする。
 毒菓子よりも言葉の毒のほうがよっぽどきつい。彼の心の柔らかい部分はどれだけ傷を負っただろうと、考えるだけで辛くなる。エドは泣かなかったから尚更に。
『母親が悲しんでやらないと死んだ子供が可哀想だ』
 だから、いい。と。

「エドは悪くないって怒鳴りかった。でも、言えなかった。エドの目の色を見たら、なにも言えなかった。……駄目なの、あたし弱くて。気休めでいいから言ってやれば良かった。今になって、そう思う」
 エドはプライドが高い。他人の罪より先に自分の失敗をまず責める。それなのに。
「あたしひとりぐらいエドの味方でいないと、あいつが可哀想だ」
 エドの最大の理解者。誰よりもエドを愛している絶対の味方。…もう、おばさんはいないのだから。
 あの時はまだラッセルもエドと親しくなくて。エドは誰よりひとりに見えた。
 ウィンリイは庭園に目を移した。そして背後に佇む王宮を。
「ここはとても綺麗だけど、怖いところ。あたしはエドをひとり置いて家に帰るのが怖かった。あたし、あたしね…アルが来てくれて、どれだけ嬉しかったかわからない」
 まして『兄』と呼んでくれて。
 母子家庭の子供の例に漏れずエドはマザコンだったので母親を困らせることは言わなかったが、『父親』や『兄弟』に憧れを抱いていたことも知っている。
 アルが本当は誰かなんてウィンリイには興味ない。大事なのはアルが今そこに居てくれることだ。
 こんな言い方ずるいと思う。だけど嬉しい気持ちを表す感謝の言葉なんて他に知らない。
「ありがとう。あいつの家族になってくれて」
(だからお願い。あいつの傍にいてやって)
 自分が出来ないことを他人に望むのはいけないことだろうか。

「……お礼を言われることじゃないよ」
 むしろ出会えて嬉しかったのは自分のほうだ。
 兄と同じ名前の、兄の血を継ぐ少年は見ていて切なくなるぐらい彼の人を思わせる。
 アルはエドの不幸だけは望めない。
「ボクだって兄さんは好きだ」
 気の遠くなるほど年下の少年に『弟』と呼んでもらい喜んでしまった自分に気が付いたとき、人として少し情けない気持ちも味わったが、しかしこの少女がそれを歓迎してくれるのならいいかと思う。

 少女の頬をひとつ雫が零れ落ちた。
「ウィンリイ!?」
「ごめん、あたし泣き虫で。アルは悪くない。勝手にあたしが泣いているだけ。……嫌だな、恥ずかしい」
 悲しくても嬉しくてもすぐ泣いてしまう。
「そうよね、あたしが礼を言うことじゃないんだわ」
「えっと!いや、ボク、むしろ嬉しかったってゆうか!」
「うん大丈夫。わかってる、あたしも嬉しいから」
 ウィンリイは豪快に鼻をすする。この辺は、エドの幼馴染みだってことはある。
(…可愛いのになあ)
 溜め息を付いたアルはバスケットに詰まっていた濡れタオルを振り回し、木の茂みに投げつけた。
「うわ!」
「わ!」
 ウィンリイが泣き出したあたりから戻ってきていた大小2つの頭がバランスを崩して地面に転がる。タオルと言って侮るなかれ、濡れタオルは立派な凶器だ。…もちろん手加減はしたけれど。
「きゃあ、なにラッセル。セリム君まで!」
「覗きなんてするからだよ?」
 覗きがバレた気まずさに大きな金と小さな黒い頭は揃ってしゅんと項垂れた。

                                   To be continued


2004,12,3up
グリードさん再登場。ウィンリイちゃんは初登場。




 パラレル