機械の国の王子さま 3







 偶然ではない出会い




 むかしむかし。

 長い戦争がありまして。
 ひとがたくさん死にました。
 川は赤く血で染まり、土壌は憎悪を吸い穢れ。
 その只中に生えた無花果の木はひとの肉を養分に、怨嗟を子守唄に育ちました。
 木はそれは大きく立派なもので。
 虫を小動物を育む肢体を持ち、梢を豊かに茂らせて、滋養の果実を実らせました。
 しかし無花果は呪われており、その枝に触れたものは誰もが狂騒のうちに死んだので、木は孤独でありました。
 ある日、2羽の鳥の兄弟が枝に傷めた翼を休めるまでは。

『しばし宿を借りたい、無花果の木よ』
『我らは遠くを旅するもの。先の嵐で難儀をしております』

 金の尾羽の兄弟はきわめて聡明で知識が深く。
 その喉から齎される歌声は、天上の夢へと無花果の木を誘いました。
 無花果は初めて生き物を殺したくないと思いました。
 呪われた吐息が珍客を害さないよう身を潜め、さえずりに耳を傾け涙しました。
 気の遠くなる時間を独りで過ごした無花果は、そのとき自分が孤独であることを知ったのです。

 兄弟の旅立ちの日。
『いずれ、また』
 再会の約束を、無花果は信じられませんでした。
 無花果が金の翼を奪いしは、兄のほうでありました。



 夢を見ていた。
 良い夢だ。
 金色の鳥が飛んでくる。
 神話に出てくる鳥のように、鮮烈な光輝を纏って真っ直ぐに。
『ああ』
 ふと、思い立つ。

 そうだ。起きなきゃ。



 東離宮の真価は地下にあった。

 地上がちんまりとした入り口なら、地下は広大な迷路に近い。
 気絶させられて運ばれたので方向感覚が馬鹿になっている。
 建築様式から出口を予測して、エドは片っ端からドアを作っては消して先に進んだ。
 天然の洞窟を利用してあるとはいえ……こんな広い施設を作っておいて使わないことにエドは疑問を抱いたが、その好奇心は後回しだ。
 気絶させられて運ばれたので方向感覚が馬鹿になっている。
 建築様式から出口を予測して、エドは片っ端からドアを作っては消して先に進んだ。
 なにしろグリードたちより先に安全地帯まで脱出しなければいけない。

 エドは唇をきつく噛む。
(……なんで、見逃したんだ?)
 揺れる床をものともせずグリードの銃口は真っ直ぐエドの眉間を狙っていた。
 だらだらとエドの話に付き合ったのも普通に考えたら可笑しい。…元から、殺すつもりはなかったのか?
 何のために顔を見せた?
「くそ!」
 容易くあしらわれた!
 相手は成熟した大人でこっちはたかが12のガキだ。だから仕方ないと諦めたら、今度こそ死ぬ。
 幼馴染みに約束したのだ。けして無為には死なないと。
 その誓いだけは破れない。
 パァン!
 感情のままきつく手を打ち合わせると指の傷が開いた。
 かまわずそのまま構築式を展開して扉を作る。そうして踏み入れた部屋に、エドは足を止めた。

「なんだ……ここは」
 エドは高い天井を見上げる。
 装飾過多ギリギリまで彫刻を施すのは、約500年前の建築様式だ。先ほどの通路と比べても格段に古い。
 それだというのに床には塵ひとつなく、地上のように清涼な空気の味がする。
 ゾッと二の腕を抱きしめたエドの気配に反応して壁の燭台に明かりが灯されていく。
(そうか、ここが本当の魔法師宮か!)
 500年前といえば最も魔法師たちの質が高かった時代だ。
「こんな仕掛けが壊れず残されているなんて」
 エドは壁にそっと触れる。
 どれだけの技術をつぎ込んで作ったのだろう。
 錬金術を学ぶものとして、素直な感嘆が湧き上がってくるのと同時に寂寥を覚えた。
 魔法は高度な学問だ。しかも払った努力の等価は、使い手の技量と常に釣り合うものではない。だから廃れた。
 才能の有無なしに誰もが使える機械の利便性を考えると当然の成り行きだが、先人たちの『夢の跡』を見ると申し訳なさも感じる。
 エドは作った扉を消した。
 ここが真の魔法師宮だとしたら、王宮直結の通路があるだろう。
(セオリーとしては身分の高いヤツの居室か…いや、避難経路を考えると広間かな)
 通路を何度か折れた後、踵がくるぶしまで絨毯に埋まった。見れば王宮でも貴賓室まわりしか置かれないような、特上の敷物だ。
 道標としては判りやすい。この先に貴人の部屋がある。
 目の前に現れた螺旋階段を登ると、瀟洒な扉に行き着いた。
 慎重にドアノブに触れる…と、羽のように扉が開く。
(えーと)
「失礼します?」
 断りを入れたのは、その部屋に主が居たからだ。
 部屋の中央に置かれた椅子は、一切の手抜きのない美事な造りをしている。しかし、その椅子に座る者の立派なことには及ばない。
 2メートルを越す巨体をゆったりと背もたれに預けた鎧は、威風堂々とした王者の貫禄。
(鎧の王か)
 エドはふと微笑んだ。王者の眠りの邪魔をする自分が、とんでもない無粋者に思えたのだ。せめて挨拶に一礼をする。
「邪魔をする。調べたら、すぐに出て行くから」
「いえいえ、どうぞごゆっくり」

(なっ…!?)
 掛けた声を返されるとは。
 よもや想像していなかったエドは背を壁に貼り付けた。
「……自動機械(オートマタ)?」
 鎧はゆっくりその身を立ち上がらせた。キシリと鉄の擦れる音が耳を突く。
「ごめんなさい、驚かせて。ボクの名前はアルフォンス。アルフォンス・エルリック。あなたは?」
 アルフォンス。
 アルフォンス・エルリック…だと?
 エドは大きく息を吸い込んで吐き出した。幸い声は掠れなかった。
「…失礼した。オレはエドワード・エルリック」
 鎧…アルフォンスは嬉しそうに頷いた。
「エドワード。我が主」
 鎧は驚くほど優雅な仕草で跪き礼を取る。叩き込まれた作法に則って、自然とエドの背も伸びだ。
「ようこそおいで下さいました。お呼びたてして申し訳ありません…マスター」
 赤い瞳に宿るのは穏やかな好意。
 初対面の相手に懐かしそうにされたエドは困惑を現した。
「貴卿は何か勘違いをしているようだ。…わたしはそのようなものではない」
「いいえ。我が扉は開き、貴方を迎え入れました。主が無くば我が身はただの骸と同様、動くことはありませぬ」

 アルフォンスは首の留め金をカチリと外した。
「『ザ・ワン』を身に宿すかたなら、お見せしたほうが早いでしょう」
 そっと兜を持ち上げる。
 エドは口を押さえ、悲鳴を飲み込んだ。
 空っぽだった。なにも…ない。…………いや!
 ぐっと身を乗り出した。アルフォンスの首に手を掛けて中身を覗き込む。
 襟の奥に刻まれた印。これは恐ろしく高度な錬成陣だ。
「魂の錬成……まさか、そんな!」
 瞠目する。
 ひとりの手によるものではない。数代に渡って、その施術は行なわれている。
 二流や、一流でもない。超一流の天才が…そう、史書に名前を残すほどの術者幾度にわたり身を削って施したとしか考えられない造作だった。
 しかしそれほどの技量の持ち主は容易く現れるものではない。……だとすれば、アルフォンス・エルリックと名乗ったことも納得だ。

「……あ、あの。そろそろ放して…」
 妙に可愛らしく狼狽されて、エドはハッと正気に返った。
「あ。悪い」
 気まずく赤面した。
 エドがしたのは確固とした人格の持ち主に、あまりに非礼な行動だ。興奮のあまり我を忘れた自分を恥じる。
「もっと驚かれると…いきなり首を突っ込まれるとは思いませんでした。豪胆ですねマスター」
 アルフォンスは兜を直してにっこり笑った。鎧だから表情があるわけないのに、そう見える。
「マスターって…オレがここに来たのは偶然だけど」
 エドは気負いが抜けて素のままに喋った。ガリガリと頭を掻いて座り込む。
 今日はキャパの限界をチャレンジすることばかり起きている。簡単に疲れたとか言いたくないが…少し、しんどい。
「いいえ『ザ・ワン』を介してボクが呼びました。経路は兎も角、実際来てくれたのはマスターですよ? …まったく、心当たりはありませんか?」
 アルフォンスもエドに習って床にしゃがんだ。
「『ザ・ワン』…ポチのことか」
 心当たりはそれしかない。
 あの物の怪なら常識の範囲外だから何でもアリだ。
「ポチ」
 アルフォンスはエドの旋毛を見下ろした。それに気付いたエドは不機嫌になる。
(ちくしょう。3年後を見ていろ)
 そのころには素晴らしく背が伸びている…筈だ。
「なんでもない。オレの中に棲んでるヤツのことなら『真理』と名付けた」
「だってポチって」
「…………あだ名みたいなものだ。気にするな」
「うん。…吃驚したー。本当にポチって名前だったら、前代未聞だし」
「まさかあ」
「そうだよねえ」
 はははと笑いあって真顔に戻る。
「それでなんでオレがマスターだ? お前はそれで納得しているのか?」
 アルフォンスは何を言っているか分からないというように首を傾げた。
 一時は砕けた口調も、元の丁寧なものに戻る。
「『ザ・ワン』…いえ、『真理』の宿体である斎の宮に仕えるのは当然でしょう? ボクはその為…この国を守るために作られました」
(え?)
 瞬間、エドの心に嵐が起こった。
「ボクを作ろうと計画された当時は『真理』を支える力を持つものが国主の血筋に現れづらくなっていました。本当は、ボクが斎宮にならなくてはいけなかったんです。だから斎宮であられる貴方はボクのマスターです」
『真理』を宿すために作られた?
 アレは王家の血筋に憑く。だとしたらアルフォンスはエドの『血縁』で間違いない。
(…なんでもすると思っていたが)
 技術がどうであれ、魂の定着など外道のすることだ。それだけは自由な筈の魂を、鉄の鎧に閉じ込められるなんて。
 なんて酷い。
 生理的な嫌悪が沸き立つのと、そこまで追い詰められていたのかとの殺伐とした情が相反する。

 エドはおぼろげながら『真理』がどんなものか知っていた。
 これを野放しにすることは、リゼンブールを滅ぼすこと。責めるのは簡単だが、他に何の手段があったと問われれば口を噤む他ない。…とてもじゃないが、そんな無責任なことは言えない。
 実際、近親婚を幾重に重ねた国主の血は痩せ細って絶えようとしている。
 家系図を広げても、生き残っている血はエドのほかは公爵家の叔父とセリムの他はない。
 支える力がないものがアレを宿せば、過負荷により『真理』に喰われる。……エドの父のように。

「『真理』とボクは精神の一部が繋がっているんです。彼が狂っていくのをボクは夢現に見ていました。だけど起動前のボクの自我はとても小さくて、ぼんやりしているだけだった。……痛かったでしょう?…ごめんなさい」
 アルフォンスはエドの左足に手を伸ばした。
 咄嗟に振りほどこうとして……結局やめた。
 酷使して熱を持っていたオートメイルの接合部が、鉄の冷たさに震える。
「ボクは斎宮の命により起動するまで完成していたのに、間に合わなかった」
 声は悔恨に満ちている。
(なんで謝る? お前のせいじゃないだろう?)
 なんで。…なんで今更、そんなことを言うものが現れる?
 エドは低く喘いだ……平静を取り繕うのに息が苦しい。
「斎宮と会えばお前は起きたのか? でもオレは正式な役職に付いている訳じゃないのに?」
 混乱に陥っている頭はろくな質問を考えてくれない。もっと、大事なことを聞かなくてはいけない気がするのに。
 アルフォンスはこくりと頷く。
「はい、そしていいえ。『真理』と会話が出来る貴方は斎宮です」

 その後続いた呟きは、エドの為のものではなく述悔だった。
「本当に、あと起こすだけだったのに。本来、ボクを起こすはずの人は。ボクを作るのに身を削りすぎて死んでしまった。…やさしい人だったのに」
 アルフォンスは大きな手で顔を覆う。

 エドはそこに昔の自分を見た。
 母に先立たれ、この先どうしたらいいか分からずに途方にくれていた子供。

「お前、ひとだった時のことは……覚えてないんだな」
 アルフォンスからは恨みも憎しみも感じられない。
(こいつ、まだ生まれたばかりなんだ)
 だとしたら『アルフォンス』を作った代々の国主を父母として捉えているのも不思議ではない。
 高い知性と知識を与えられていても、これは『刷り込みの雛』だ。
 最初に出会ったものを、慕うようにプログラムされているのか、それとも本能か。

「ひと…だったような気もするけど。今のボクはそう主張するのは難しいんじゃないかな」
 我に返ったアルフォンスは胸に手を当てた。
「マスターは、ひとじゃないと嫌ですか?」
 独特のウィットを感じさせる物言いにエドは好感を抱く。
 柔らかい口調だが、思考回路は実にクールだ。
「嫌なものか。お前は、この国を守るために作られたんだろう?…………だったらオレもお前と同じだ」
 エドは母の腹を借りて生まれたが、より人工的に作られたかといった点ではアルフォンスといい勝負だ。
(いや。術者が身を削って作ったというなら、こいつのほうがよっぽど……)
 エドは壁に縋って立ち上がった。
 足は痛むが、リハビリ時の痛苦に比べたら天国のようなものだ。
 エドは鎧に手を伸ばす。
「行こう、アル。みんなにお前を紹介したい」



 外への通路を訊かれたので応えると、マスターは半眼になった。
『信じられねえ…』
 その嫌そうな理由はすぐ判明する。
 斎宮(現在は国王の位も兼ねているという。大変だ)の寝室から出てきたボクたちの姿に、天に下にの大騒動になったからだ。
 主の居ない部屋で長話するのは常識的ではない。場所を人の集めやすい広間に移すあいだ、こっそり合図を送られた。
『適当に話を合わせろ』
 ……マスターは、もしかして『いい性格』なのだろうか。
 エドは隠し通路から出てくるに至った経緯を真実半分、嘘半分織り交ぜて滔々と説明している。
「幸い隠し通路から逃げられたが……。早急に公爵家に通達を。わたしだけが狙われたとは考えられない」
 滑らかに言葉遣いに、優雅な物腰。…うん、顔がいいひとって得だ。さすがマスター、頼もしい。
 マスターは食費のかからない猫をたくさん肩に乗せている。
「ただちに手配をいたしましょう。ご無事でよう御座いました殿下」
 エドの話を生真面目に聞いていた、強面の警備主任の合図で部下がぱらぱら広間を出て行く。
 しかしながら、アルに注がれる視線の量は一向に減らない。
(ボクって…不審人物…?)
 鎧だし、無理ないか。
 思った途端、ずっと握っていたままの手を軽く引かれた。
「それで殿下。失礼ですが、こちらの御仁はどなたでしょうか」
 ザワリ。
 警備主任の率直な物言いに、聞き耳を立てていたメイドや侍従たちの気配が動く。
「そうだな。みなも聞いて欲しい」
 エドは広間を見回した。噂を聞いて仕事をさぼって覗きに来たとしか思えない人垣は、おずおずと姿を現す。
「紹介しよう。彼はアルフォンス・エルリック。わたしの弟だ」
 繋いだ手は親しい仲だと無言のアピール。なるほどと、アルは納得する。
「はじめまして。アルフォンスです」
 ぺこと頭を下げるとどよめきが起こる。
「この姿を不思議に思うものもいるだろう。……見ての通り弟は先天性の障害により今はボディ・スーツが脱げない状態にある」
 エドは言いにくそうに睫毛を揺らした。
 意志の強い瞳を伏せると、小柄な体格と相俟って12の子供だということが強調される。その殿下の『弟』というアルフォンスはどれだけ幼い子供だろうか、皆に想像を喚起させた。
(まあ)
(おかわいそうに)
 向けられる視線が不審者に対する恐ろしさから、驚きと同情めいたものに摩り替わる。居心地の悪いのは一緒だが、敵意を向けられるよりはずっといい。
「弟は静養のため王宮の外で暮らしていたが、一緒にいたところを襲われたため連れてきた。安全が確認されるまでは王宮で暮らすことになる。皆もそのつもりでいて欲しい」
「それでは殿下。アルフォンスさまのお部屋はいかが致しましょう」
 職務に忠実な筆頭執事の質問にエドは一瞬考えるそぶりをした。
「いや、いい。わたしの部屋に連れて行く。慣れるまでは見知った顔があるほうがいいだろう?」
 見上げられたので、ここは頷けということだと判断する。
「うん、兄さん」
 兄上にしようか迷ったが、城下の子供なら『兄ちゃん』か『兄さん』あたりが妥当だろう。そう思ってのことだけど、なかなか悪くない感じだった。
 マスターと呼ぶよりも、より親しい感じがする。
「エドワード殿下。今日よりしばらくは、随行とお部屋の外の護衛を増やしますので」
 しばらく部下に檄を飛ばしていた警備主任は、無表情に身を正している。エドはあーうーと咳払いをした。
「今日は……心配かけて済まなかった。以後、気をつける」
「分かってくださればよいのですが。尊き御身であることを御自覚ください。いつまでも市井の子供のつもりでは困ります」
 捨て台詞を吐いた背中が、憤懣やるかたない怒りのラインを描いている。今にも足を踏み鳴らさない勢いだ。
「すいません殿下。ウチの主任、殿下ほどのお子さんがいますので。心配でしょうがないんですよ」
「ブロッシュ!お前は口を挟むな!」
 警備主任に叱られた青年はうひゃあと首を竦めた。
「では、お部屋までお送りします」
 上司と部下のやり取りを横目で黙殺した黒髪の美女は、エドの右に立つ。
「私かブロッシュのチームが随行として付きますので、プライベートルームから出られる時は必ずお呼び下さい」
「頼む。アル、紹介する。マリア・ロスにデニー・ブロッシュ。SPの中でも腕利きだ」
「えっと、初めまして。お世話になります」
 おずおずと頭を下げると、マリアさんは驚くほど優しい顔になった。
(うわあ、キレイなお姉さんだ)
「初めまして、マリア・ロスです。お会いできて光栄ですアルフォンスさま」
「デニー・ブロッシュです。……殿下、足大丈夫ですか?」
 軽い外見に反して、ノッポなハンサムさんは気遣いの人であるらしい。自室に移動する最中に、エドの足の様子に目聡く気付いて眉根を寄せた。
 エドも心を許している気安さで口調が砕ける。
「ん。使わないといつまでも軟なままだからな。いざとなったら、アルに担いでもらうし平気」
(え、ボク?)
 確かに力には自信がある。マスターなら十人肩に乗せても大丈夫だ。
「うん、任せて!」
「おお、頼もしい。殿下、いい弟さんですね。…会いたいのは分かりますけど、そう度々王宮を抜け出されるとウチの主任の頭が寂しくなるばかりですよ」
 マスターは脱走癖があるのか。アルは心のメモに書きとめておく。
(しかも何か、誤解されたし)
「だから悪かったってば」
 都合がいいと思ったのか、エドは後ろめたそうにしたものの特に否定はしなかった。

 エドの部屋は西棟の2階にあった。
 アルはそこまで辿り着く間、初めて見るからくりに感心しっぱなしだった。
 夜だというのに廊下は煌々とした光で満たされている。しかも油の燃える気配がしない。精製方法が違うのか、硝子も気泡の入らない透明なものだ。
(資源採れないし。硝子なんて高かったのに)
 これだけふんだんに使われているということは、安価もしくは手に入りやすい材料で作られているということだから、流通経路も大幅に変わったのだろう。
 随分長く眠っていたのだ。改めてそれを実感する。
「こちらでもセキュリティレベル上げておきますけど、殿下のほうでも自主防衛をお願いしますね」
「うん、今プログラム起こした。アル。登録するから、ちょっと喋って」
(登録?)
 壁に付いた見たこともない(当然だ)箱に喋っていたマスターは、こいこいとアルを手招いた。
 いきなり喋れといわれても目の前に人がいるなら兎も角、こんな箱に何を言えばいいのか困る。
「こんにちは?」
 ピーという擬似的な音にビクリとするが、どうやらそれでオーケーらしい。
「これでお前の声紋を登録したから、オレの部屋に入る時は白いボタンを押しながら声を掛けろ。そしたら扉が開くから」
 マスターはここで少し笑う。
「オートロックならまだしも、声紋錠はまだ珍しいよな」
 なるほど。説明、感謝。これは珍しいと驚いていいものなんだ。
「んじゃ、また明日」
「はい、お休みなさいませ」
「夜中でも出る時は面倒くさがらずに呼んでくださいね」
「うへえ」
 エドは肩を竦め、アルの肩を押して部屋の中に入れた。

「あのー」
 ガチャリと扉が閉まったとたんエドは唇の前に人差し指を立てた。アルは大人しく口を噤む。
 エドは壁に収納されていた小箱を持って、水平にゆっくり腕を動かした。ピッピッピという軽やかな音か手元から立つ。ここで待ってろというジェスチャーをして隣の部屋に行く。開けっ放しの扉の向こうで同じ動きをして、また違う部屋に行ったようだ。
 待つことしばし。手にいくつか小さなものを乗せてきたエドは、やはり壁の収納を開けると取り出した金槌でそれを壊した。
 同じような鉄くずの入った箱にポイと壊したものを入れる。
「説明なくて悪いな。もう、喋っていいぞ」
「いまのは…?」
 好奇心にキラキラしている様子のアルに、エドもつれて破顔した。作ったものではない悪童めいた表情だ。
 エドはいま壊したひとつを抓んでアルの手のひらに載せる。
「これは盗聴器。性能によって差はあるが、離れた場所から任意の場所の物音を聞く機械」
「へえ、小さいのにそんなことが出来るんだすごいねえ。じゃあ、そっちの大きいのは?」
「盗聴器や盗撮器を発見する機械。メイドイン・オレ」
 エドは道具を仕舞うと、リビングにアルを案内した。
 ソファーはアルの体格では小さく不安定だったので、クッションを幾つか貰って床に座った。エドも椅子があるのにそれに習う。
 アルの常識からすると斎院の室にしては質素すぎるが、程よく散らかって居心地よい部屋だった。もっとも『散らかって』の大部分が、書物であったからそう思えたのかもしれないが。
(この懐かしい気持ちはどこからくるんだろう)
 アルは不思議な感覚に戸惑ったが、気を取り直す。
「そっかあ。密偵の仕事楽になったなあって思ったけど、やっぱりそういうわけにはいかないんだ」
「つーかイタチごっこ? 面白いぜ、こっちが発見器の性能上げると、向こうも張り切って開発してくるから。連中、アングラながらいい頭脳揃っているんだよな。出来れば引き抜いて雇いたいんだけど、尻尾がつかめなくて」
 でも、こんなサイズじゃ、どこに誰の耳があるか分からない。
「じゃあ、ボクはずっと『兄さん』って呼んだほうがいいの?」
「ああ、そうしてくれると助かる。お前が生身じゃないって知られたら、それなりにヤバい。今のリゼンブールは機械工学も一柱の産業だが……言いたくはないが特に開発の分野は倫理を無視して暴走する科学者も多い。ばれたら研究所に誘拐されると思っておいたほうが無難だ」
 それはなんとなくわかった。
 アルの知識がある時代も研究者というのは『知りたがり』だった。
 むしろそーゆーひとたちに作られた自覚もある。
「兄さんもいきなり顔を突っ込んだしね」
「……うん、正直我を忘れた。悪かった。繰り返すようだけど、オレと同じような反応示すようなヤツにばれたら、すぐ逃げろ。本当に危険だから」
 アルは大いに同意する。
「うん、ボクだって素人さんに解体されるのは嫌だもの。ばれないように最大限気を付ける。……でもばれちゃった時はどうしようか」
 エドはくわっと大欠伸をした。
「掴まらなければどうとでもなる。それに庶出の『殿下』とはいえオレの弟を誘拐なんかしたら大事件だ」
「…それこそ適当に合わせちゃったけど、いきなり弟が現れるのヘンじゃない?」
「んー。王家の系は度重なる近親婚の弊害で、奇形児の確率が異様に高いんだ。『隠れてお住まいになる殿下』のひとりやふたり居るんじゃないかとよくゴシップ記事になるし。皆の『ああ、やっぱり居たんだ』って空気の流れ見えただろう?」
 なるほど、道理ですんなりと。
「それに今どき戸籍に乗らないのって王族ぐらいなものだし…まっとうにしようと思えば戸籍弄るの大変だから……」
 エドはしきりに生欠伸を噛み殺していたが、やがてだらしなくソファーの縁に頭を乗せる。
「眠いんだったら、話は明日にしようよ」
 アルは遠慮がちに申し出た。
 何しろ起動したばかり。インプットしてある常識はとんだ時代遅れになってしまった。
 本当はもっと知識を吸収したかったが、アルはひとの子供は充分な睡眠が必要なことも承知していた。
「うん、でももう少し話を擦りあわせとかないとボロが出る。お前のことももっと聞きたいし」
 あ、今のはちょっと嬉しかった。
 先人の遺産という義務だけで引き取ってくれたのだったら、申し訳ない。
 まだ少ししか知らないけど、この小さな殿下は酷く肩肘を張って生きているよう見受けられる。
 身の回りのものには好かれているようだが、それだけではないのを先ほどのからくりが教えてくれた。
(ボクはこの国を守るため作られたのだから)
 真理の入れ物の責務を果たせないで、現・斎院の負担になるようでは本末転倒だ。

 アルは少しの沈黙のあいだ舟をこぎ始めているエドを観察した。
 立ち振る舞いは大人顔負けだが、本当に小さい。やっと十代といったところだ。こんな子供に真理と契約させるなんて、人材の底は付きかけているのだと暗澹する。
 それにアルのことを丸っきり知らなかったというのも可笑しい話で……。
 ガクリ。
「わ!」
 頭がくだけて床に衝突しそうになるのを間一髪受け止める。
 驚いたことにそれでもエドは目を覚まそうとしない。よほど疲れていたのか、爆睡型か。
 支えた頭は、また小さい。片手で握ってしまえそうだ。
(3・4年成長すれば力不足で肉体を喰われるなんてことはなかたろうに。それすら待てなかったのか)
 優秀な義肢を付けているようだが、痛々しさは拭えない。
 アルはエドの身体をそっと浮かせた。
 そのまま部屋を移動して、寝台の上に横たえる。少し考えたが、服を脱がせるのは不躾だとやめておいた。
「お休みなさい」

 眠りを妨げないよう下がろうとして、アルはエドの手が頭の飾り紐を握っていることに気が付いた。
 強く握っているわけではない。
 やさしく解けば開放されるのはわかる。
(…………)
 しかしアルは無言でその場に座りなおした。
 今までずっと眠っていたのだ。
 朝までの時間など一瞬に等しい。
 それなのに早く金色の目が開いて喋る姿が見たいと思っている自分に気が付いて、アルはキシリと首を傾げた。




                                 To be continued


2004,10,14up
やっと弟君の登場です。
出会ったばかりでぎこちない兄弟ですが、絆が芽生えるのはこれからですv
お互い自分が年長さんで保護者だと張り切っているあたり、微笑ましいような気もしますが早くガッチリ絆の固い兄弟にしたいものです。




 パラレル