秘書のお値段


 セントラル駅のなんと広大なことか。
 ラッセル・トリンガムは冷静に整った顔の下、密かに驚嘆した。
(まるで心臓の…ポンプの循環のようだ)
 人々は規則正しく汽車に乗り込み遠くまで運ばれていき、またセントラルに戻ってくる。
 地図の位置だけではなく、なるほどセントラルは国の中心だ。それを正しく認識する光景だった。
「ねえ兄さんアルフォンスさんが迎えに来てくれるっていうけど、何処かなあ」
 フレッチャーは慣れぬ都会の風景に心細く兄を呼ぶ。
 7番出口で待ち合わせというが、この人ごみでは探すのが難しい。
 さて、どうしようか。トリンガム兄弟がそろって首を捻ったその時。
「ラッセルさん!フレッチャー!」
 たたたと軽い足音と共に小さな少女が駆け寄ってきた。
 柔らかく波打つ髪をみつあみにして両肩に流す少女は、見覚えのあるデザインの赤いコートを羽織っている。
「……アルフォンス君か…?」
 ラッセルは驚愕にひゅっと深く息を吸い込み、口を押さえた。
(アルフォンス君は女の子だったのか!)
 エドワードのしてやったりという顔が目に浮かぶようだ。
 ラッセルの思い出の中のエドは、いつも小憎たらしい不敵な笑顔だ。
「はい、お久しぶりです。この姿では始めましてですよね」
 兄によく似た金色の目がやさしく微笑む。同じコートを着ていても、受ける印象は随分違った。
「鎧を脱いだとは聞いたが…いや、驚いた」
「あはは。皆さんそう仰います。……元気だった?フレッチャー」
 フレッチャーは固まったまま、それでも首を上下に振る。
「セントラルは遠いでしょう。疲れちゃった?」
「う、ううん。ちょっと吃驚しただけ。もちろん、お尻とかも痛いけど」
 フレッチャーは少女の物柔らかな仕草にどきまぎした。
 鎧の中にこんな少女が入っていたなんて反則だ。


 セントラルの道は広く均一に舗装され、建物はみな天に聳えるかのよう軒を競う。
 それに圧倒されるほどラッセルの性格は可愛くないが、フレッチャーはポカンと口を開けてしまっている。
「兄さんの仕事場の近くって美味しいカフェが多いんですよ。もうそれだけが幸いで」
 アルの説明によれば朝から仕事が入ったというエドは、昼にカフェで待ち合わせだという。
「エドは忙しいのか?」
「昼も夜もないですね。あ、あそこです」
 アルがまっすぐ差したオープンカフェには、エドワード・エルリックが足を組んで座っていた。
 その両横と前には3人もの美女の姿。
 どの女性も地味に抑えているが、着飾ったらさぞかしといった粒揃いだ。
「……なんだあれは」
 そんなに忙しいのか、大変だな。そう一瞬でも思ってしまったラッセルは自分が憎い。
 昼日中から女を侍らしているとはいい身分だ。
「兄さんのチームの秘書嬢たちです。怖くて有能な方ばかりだから気をつけて下さいね?……兄さーん!」
 小声でされた忠告に(え?)と、ラッセルが思う隙もなしにアルは大きく手を振った。
「おう。やっと来たかトリンガム兄弟」
 立ち上がったエドは記憶より随分背が伸びていた。それでも190を越える長身の、ラッセルには及ばない。
「なんだよ。追い抜いたと思ってたのに畜生。結局お前とは伸長差かわらないな」
 どうやらエドも同じことを思ったようだ。気に食わないと顔を顰めて胸の辺りを拳で叩く。…手加減しても結構、痛い。
 フレッチャーには頭に手を置き『よく来たな』だから態度の差は歴然だ。まあ、そんなことはどうでもいいが。
「……なんだお前こんな所で仕事をしているのか」
 テーブルの上には錯乱している書類の数々。
「待ってる時間が惜しいだろ?」
 その間に秘書嬢たちは作成済みの書類を順次、ホルダーに纏めていく。枚数を確認して間違いなしと頷くと、ざっと席を立ち上がった。
「エドワード様。では私共はこれで。アルフォンス様、お客様方も失礼いたします」
 秘書嬢たちが浮かべた微笑はうつくしかったが、その眼差しは値踏みするような鋭さを隠している。ムっとしたラッセルはことさら温雅に微笑み返した。
「これはどうもご丁寧に」
 秘書嬢たちは『あら』というような表情をした。

「…エドワード様。例の件、私は賛成いたしますわ」
「わたくしも」
「ええ、わたしも」
 去り際。口々に告げられる棘ある花々からの言付けにエドは、ああ、と苦笑する。

「キレイなお姉さんたちでしたね」
「なんだ、あのさっきのは」
 後姿を見送っていたフレッチャーの顔は引き吊っているし、ラッセルはプリプリ怒ってご機嫌斜めだ。
「あいつら怖いだろ? ウチのチームの最強兵器」
「神さまの上前を撥ねる兄さんにしてそう言わせる程ですから。並の男の人じゃ束になっても叶いませんよ」
「アールー?」
「あ、悪魔だっけ?」
 相変わらずこの兄弟…じゃなくて兄妹も仲がいい。ほおって置くと際限なくイチャつかれそうだ。
 ラッセルは咳払いをして、ショルダーケースを取り出した。
「兄妹漫才はいい。まずは用事を渡しておく」
 銀の箔押しがされた上質紙と、分厚い紙の束をエドの前のテーブルに置く。
「えっと、これが同意書で。こっちが僕たちの研究のレポートです」
「さんきゅ。じゃあちょっと内容確かめさせてもらうから、その間にメシでも食ってて?」
 さっそく紙に目を通し始めたエドは、客を前にしての態度ではない。ラッセルの眉間に山脈が出来る。
「……エドワード」
「うん、後で」
 ラッセルの地獄の底から響くような声にも、エドは生返事しか返さない。
 アルは危険を回避するため、ウエイトレスを手で呼んだ。
(ああ兄さんたら。…大事なお客さまなのに)
「えーと、お腹空きませんか? ここのランチは絶品ですよ。どうせ兄さんの奢りだから遠慮しないで下さいね」


 トリンガム兄弟にエドワードの名前で連絡が入ったのは、2ヶ月前のことだった。
『軍・民間を問わない錬金術師のネットワークを創る。事前アンケートを取りたいから協力してくれ』
 前置きもない手紙の書き様に呆れたが、その内容は興味を引かれた。

 例えば職人たちには組合というものがある。お互いの技術を高めあったり商業の安定化を図ったりと、職人達の利便性を高めることを目的とした集まりだ。
 農家なら農協。商家なら商行連合といったように、似たような集まりはどこにもあるのに不思議と錬金術師のギルドはない。それをエドワードは創ろうという。
 あれば確かに便利だ。
 錬金術の技術というものは基本的に秘匿されているもので、その教えを請うのには伝手がないとほとほと苦労する。
 ある程度の情報料を代価に、それを代行しましょうと言われたらそれこそ渡りに船だし。その反対に得意分野がある方は手持ち情報を公開下さい、その代価は情報のランクまたは閲覧者の数を計算してお支払いします。…というシステムもトリンガム兄弟のような貧乏研究者には福音だ。
 目の付け所は悪くない。
 とはいってもはじめての試みであるし成功するかは、どれだけの錬金術師が集まるかにかかっているという問題もある。
 しかし発起人はエドワード・エルリック。
 若干12歳で最難関の国家試験にパスした『天才』と誉れ高く、また各地に点在する悪党どもには『天災』と怨嗟される(つまりは民衆の人気が高い)エドワードだ。
 軍部のバックホーンもさることながら、彼の幼い頃からのフィールドワークは、この国の著名な錬金術師の殆どを網羅するとの伝説がある。
 トリンガム兄弟のように地元以外ではほぼ無名の錬金術師まで連絡が来たことを見ると、票が足りなくて計画倒れなんてことだけはなさそうだ。
『興味あるだろう?』
 活字の連絡事項の後、手書きの文字はぬけぬけと言い放った。
『お前たちの研究は需要がありそうだから審査したい。機会があったらセントラルに来い』
(機会がなかったら、ここまで押しかけてきそうだな……)
「乱暴だな、相変わらず」
「…はーっ。エドワードさん格好いいねえ」
 溜め息を同時に放った兄弟だか、そのときにはもう心が決まっていた。

 もともと土壌を豊かにする微生物や、外貨を獲得できる作物の品種改良など知識を深めたいことは沢山あった。
『セントラルに行ってみたい』
 相談した町の人は快く承知したばかりか『どうせ行くんだみっちり勉強してきな!』と心付けまで渡してくれた。有り難くって頭が下がる。
 とりあえず半年と思って用意してきたが。

「都市部の物価高を甘く見ていたな」
「バイトを早く見つけなくっちゃね」
 カフェのメニューで察する限り地元の2割高といったところ。貧乏学生には厳しい問題だ。
「仕事を探すのか?」
 食事を済ませているうちに、エドはいつの間にやらあちらの世界から戻ってきたようだ。すっかり冷め切っているコーヒーを啜っている。
「ああ、国立図書館の閲覧申請はしてあるし、しばらくこちらで勉強していくつもりだ」
「ふうん」
 エドの目が光った。
(気のせいか?)
 ラッセルは背中に怖気が走ったような気がして、二の腕をさする。
「仕事、良かったら紹介するぜ。スタッフ待遇なら寮付き3食賄い付き」
「……いい、条件だな」
 あまりにもいい条件に警戒したラッセルは目を眇めた。
「うーん条件? あんまり良くはないぜ。紙仕事がメインだけど仕事キツいし、上司は横暴だし、帰宅時間はまず守れないし。給料はまあまあだけど、それは残業手当が付くせいだしな」
 エドは指折り難点を挙げていく。
 なるほど。納得だ。
 しかしラッセルは体力に自信があるし、人あしらいも得意だから問題はない。問題は勉強する時間が取りにくいことだが、現時点ではこれ以上の条件はないと思われた。
「やってもいいぞ」
「そう。ラッセルが承知してくれるとオレも助かる」
 にっこり。
 エドワードが微笑むと、あたりに光が差したような錯覚を覚えた。
 うすくれないの唇は甘く綻び、やわらかく輝く瞳を縁取る睫毛は長く扇のようで先端に光の雫さえ見て取れそうだ。

(な、なんだ?)
 ラッセルは唐突に、エドワードがとてもうつくしい青年であることに気が付いた。
 ネクタイを締めてホワイトカラー然としているが、細い身体には機能的な筋肉が付いているのが見て取れる。
 20センチほど背の高い自分と戦っても、おそらく遜色はないだろう。
 いくら顔が綺麗でも、女性特有のなよやかな曲線を持つわけではない。
 まして性格は悪辣かつ…乱暴者で。
 そんな男に。
(見惚れた? 俺が?!)
 メガトンショック。

「じゃ、雇用契約書にサインして」
 何故か用意されている契約書に疑問を抱くはずのラッセルの理性は、受けた衝撃にまだ戻ってきていなかった。
 言われるままにつらつら施されるサインにエドは満足する。
 あー兄さんってたらしなんだからもうっ。アルの視線は冷たかったがエドはポーカーフェイスを崩さない。
「達筆だなーラッセル。えーとフレッチャーは16歳未満だよな」
「はい」
「んじゃ8時間以上働くのは法律で禁止されているから、アルと同じバイト待遇で申請していい?」
「わ、僕もいいんですか?!」
「レポート、フレッチャーの着眼点面白かった。提起するだけじゃなく、後々まで粘り強く経過を観察してあって好ましかった。来てくれると嬉しい」
「僕っ!頑張りますね!エドワードさん、アルフォンスさん!」
「うんうん、頼むなー」
「フレッチャーと一緒なら、バイト楽しくなるね」
 ちょっと待て。
 なにやらほのぼのとした空気が流れるなか、ラッセルは問題に気が付いた。
「さっき……条件で言っていた横暴な上司って……?」
「当然オレ。敬えよ秘書」
 エドはえへんぷいと胸を張る。
「秘書?」
「秘書」
 ラッセルが自分を指差したので、エドはうんと頷いてやる。ラッセルは青ざめた。
 あの毒を塗した蝶のような秘書嬢たちと働くのか?!……冗談ではない!
「すまん。やっぱりやめる!」
 さっと奪おうとした書類はアルの手によって更に素早く服の中に隠される。
(なんてことを!)
 人通りの多い昼日中。ラッセルには少女の服の中に、手を突っ込む勇気はない。
 またそれをやったら目の前にいる3人に問答無用で攻撃されることだろう(弟はそういうことに容赦ない)。

「ごめんなさい、ラッセルさん。今は少しでも有能な人が必要なんです」
 アルはいささか気まずげだ。その点まだ可愛げがある。
「やー。サポートを頼んでいた錬金術師のおっちゃん、血尿出て病院行ったらそのままドクターストップで入院しちゃってさあ。困っていたんだよな!」
 エドなど憎ったらしくもあっけらかんとして、罪悪感のカケラもない。
 なるほど殺人衝動はこうやって生まれるのだなと頭の隅で考える。
「おかげで兄さんもろくろく家に帰れないし」
「目立つプロジェクトだろ? どうもテロリストに狙われていて。…下手に人材勧誘できなくてさ」
 ……テロ?!
「ええっ!大変じゃないですか!」
 フレッチャーは席を蹴って立ち上がる。ラッセルは我が意を得たりと意気込んだ。
「そう!危ないから……」
「もしもの時は僕が守りますねアルフォンスさん!まだまだ至らないけど、けっこう強くなったんですよ!」
 フレッチャーは実の兄の言葉を遮って、アルの手を握り宣言する。一種微笑ましい光景だ。
(…弟よ)
 期待を裏切られたラッセルは、べったりテーブルに突っ伏した。
「フレッチャー如際ないな、流石ラッセル弟。でも女の子の手を軽々しく握るのはどうかと思うぞ」
 見事な手並みだと褒めていいか、困ったものだと眉を顰めるか。エドは複雑な表情で諭す。
「あっ。そうですね済みませんアルフォンスさん」
「いいですよ、ボク気にしてません。友だちでしょ?」
 にこっと笑うアルは天下無敵に可愛らしい。
 それを受けて弟の頬は薔薇色に染まる。
(魔性だ)
 ラッセルはアルフォンスに対するイメージが変わる。意識してやっても相当だが、無意識だったら更に恐ろしい。
 しかし弟よ。『友だちでしょ』は『ずうっとお友だちでいてねv』の同義語だと気付いているのか?……哀れだ。

「でもさ、本当に駄目?」
 エドに尋ねられラッセルは憮然とする。後ろで弟が『断るのは可哀想だよ兄さん』と袖を引くのも気に食わない。
「だまし討ちは卑怯だ」
 ラッセルは吐き捨てた。エドは平然と相槌を打つ。
「他人の名前を騙るのもな」
 そのとおり。
 かつてエルリック兄弟の名前を騙った自分にはその分見えない借金がある。
 ラッセルは苦虫を噛み潰した。エドワードの要請を断ることなど……もとより選択の余地はない。ただ手の内で転がされるのが悔しいだけだ。
(どんな苦労をしたのか。食えないヤツになったものだ)

 エドワードはラッセルの様子に、からかいが過ぎたと反省する。
(冗談だったんだけどなー。……まだ気にしてたのか。図太いくせに真面目でやんのこいつ)
 頭を掻いて、気不味さを誤魔化した。
「あー。それじゃあ分かりやすく等価交換といこうじゃないか。お前がオレのスタッフになる代わり、オレはお前に代価を払おう」
 エドはワークケースから数枚の封筒と鍵を取り出した。トランプのように広げて見せる。
 まずは一枚。
「ひとつ。緑の魔法師グリーゲル女史への紹介状」
 ラッセルの眉が動いた。土壌開発においての第一人者の名前だ。反応せずにはいられない。
「ふたつ。セントラル大農学科の教授陣への紹介状。及び講義の聴講許可証」
 一枚一枚ラッセルとフレッチャーの前に白い封筒が置かれていく。
 蝋で封印されたその紋は、宝冠を掲げ十字架を背負う翼ある蛇。
「みっつ。国家錬金術師府への書庫閲覧許可嘆願書。これはお前がどう使うかにかかっているな」
 すべて手の内を晒し、エドは顎の上で指を組んだ。
「不服がないなら鍵を取れ。これがお前たちにオレが付けた値段だ」
 ラッセルとフレッチャーは目を合わせた。
 最初からエドはトリンガム兄弟を勧誘すべく待っていたのだ。数々の書類は一朝一夕に用意できるものではない。
「……これはまた。お高く買ってくれたものだ」
 これだけ破格を示されて、誘惑に屈しないものはない。
 ラッセルは銀の鍵を持ち上げ胸のポケットにしまう。鍵はチーム・エルリックの刻印入り。
 フレッチャーも兄に習う。
「おう。その代り『安かった』と思わせてくれることを期待してるぜ?」

「「もちろん」」
 トリンガム兄弟は不敵に笑い唱和した。


 翌年6月。
 鳴り物入りでひとつの法案が可決した。
 それに伴い『錬金術師ギルド』が華々しく設立され、衆目を広く集める事になる。
 のちの歴史家は語る。この時より国家錬金術師の意味合いが大きく変わることになった、と。

 でもそれはまた別のお話し。




 あとがき。

 古本屋で出会ったのでノベルの『鋼』を買いました。
 上記の兄弟がでてくるヤツです。
 最初は嫌い合っていて次第に仲良くなるのは王道だなあと思いました。
 それはさておき。
 ちょうどエド兄(姉)ちゃんのお付きの美人秘書(笑)設定をモヤっていたところだったので早速使ってしまいました…。だってぴったりだったんだもん。

 2004,8,16up 



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