プランツ・ドール(妹編) 






 出張からの仕事帰り。
 にわかに機嫌を損ねた空は、たっぷり大粒の涙を落とし始めた。
 雨宿りに逃げ込んだ店の軒先から、エドワードは天を睨む。
 傘もコートも用意のないこの身では、濡れ鼠になるしかない空模様だ。
(仕方ないか)
 秋月の雨は身体の芯から熱を奪うが、そんなことで風邪を引くほどヤワじゃない。
(帰ったら、先ずシャワーを浴びよう。それと熱いコーヒーも)
 そう覚悟を決め、駆け出そうとしたその時だった。
 ドアが開き、ふわりと温かい空気が流れてきた。
「どうぞお入りになってください。そこでは雨が掛かるでしょう」


 店内に置かれた家具は古めかしいが、丹念に磨きこまれていた。
 見るものが見れば相応の値段が付きそうな猫足の卓の影から香炉が覗き、南洋を思わせる甘い香りを漂わせている。
「プランツ・ドール?」
「ええ、ご存じないでしょうか」
 柔らかな物腰の店員は嫌味でなく問い返して、エドワードの前にままごとのような茶器を置いた。
 白磁に描かれているのは可憐な小花。その図案に合わせたのだろうが、小さな器からは溢れるばかりにジャスミンが薫る。
「聞いたことは、ある。なんでも育てるのは貴族の楽しみだって。…ありがとう、いただきます」
 挑発的な物言いは生意気そのものだが、礼儀を弁えてないわけではないエドワードの態度に店員は笑みを深くした。
 プランツたちの退色を防ぐために光源を少なくした室内に、まるで満つる月の光が落ちたよう。
 美貌の少女たちを見慣れたこの目にあっても、酷く魅力的な少年だった。

 タオルを借りて一息ついたエドワードは、好奇心を働かせてショーウィンドウの特等席に座っている少女の姿を捉えた。
 シルクのレースに埋もれた少女は、夢見るような人待ち顔だ。足元には売約済みとの但し書きがある。
 観用少女(プランツ・ドール)。ミルクと砂糖菓子で育てる、生きた人形。
 育て方によっては驚くほど長い月日をその姿を変えることなく過ごす人形もいるとかいないとか。  エドワードも錬金術師の知識欲から名前だけは知っていた。
「どうりでマネキンにしてはレトロな格好をしてると思った」
 呟くと奥に隠れるように座っていた少女と目が合った。
 エドワードと同じ金色の瞳だ。
 ついひらひらと手を振ると、どんな氷の心の持ち主も溶かすような微笑みが返される。
 穏やかな湖のように波打つ金髪、秀でた額。好奇心に輝く瞳はこの春に生まれた猫のようだ。
(かわいいな)
 ほんわりと心が和む。
 エドワードは女の子が人形遊びを好きな理由がはじめて分かったような気がした。
(いや、どっちかっつーとロリータ趣味のヒヒ親父の気持ちか?)
「…ああ、なんということでしょう」
 エドワードの心を読んだわけではないだろうが、困惑をあらわにした店員はよろりと立ち上がった。
「お客さま。申し訳ありませんが、あいしばらくこちらを向いていて頂けませんか」
 店員はエドワードの頭を異国渡りの屏風に向けさせた。…つまりは壁側に。
 そして唐突に店内のカーテンをぱたぱた閉め始める。
「なんで?」
「ギャー!コッチ向いちゃ駄目よっ!」
 一瞬覗いた地は営業用のものではなく切羽詰ったものだったので、不機嫌になりかけたエドワードは迫力に押されて大人しく座りなおした。
 さて、どうしたものかと茶を啜るエドワードの服の裾が引かれる。
「どうした?」
 いつの間に近寄ってきたのか、見れば先ほどの愛想のいいプランツ・ドールだ。
(ずいぶん人懐こい子だな)
 当然、悪い気分はしない。
 エドワードにしては破格の待遇で、やさしく問いかける。すると少女は顔を輝かせ、エドワードの首に両腕を絡めてしがみ付いた。柔らかな髪が頬や首筋を掠める。その動きの滑らかなことときたら、本当は生きた少女ではないかと疑うほどだ。

「ああああああ、やっぱり」
 店内のカーテンを閉めてきた店員はプランツの熱烈歓迎ぶりを見て肩を落とした。
 このプランツ・ドールなら、どの王侯貴族に召し上げられても可笑しくないというのに!
(んもう、この子ったら面食いだったのね。…ぬかったわ)
 名人が贅沢に育てたプランツたちは誇り高く、気に入らない者は視界の外だ…が、たまにいるのだ。
 一目惚れに似て、少女たちと波長があう人間が。
 もうこうなっては、このお客さまにお買い上げいただくか、プランツを名人の手元に返して念入りなメンテナンスを施すかない…が、後者は少女たちの幸福のためにも、叶う限り避けたいもの。
 なにせプランツを扱うのに一番必要なのは愛なのだ。
 商売上手と名高い店員は涙を飲む。
 少女たちは(たとえ餌係に過ぎなくても)プランツのことを愛しく思わぬ者の手からは、ミルクを飲んではくれはしない。
 つまりはそういうことだ。
「こいつ、懐こいのな」
 少年はプランツに抱き付かれている言い訳をするようにはにかんだ。
「お客さまは、よほど相性が良いのでしょう。これはアルフォンスと申します」
(アルフォンス?)
 エドワードは首を傾げた。
 この容姿にしてはずいぶん勇ましい。
「アル?」
 見詰めて名前を呼ぶと、ほろりと笑顔の花が咲き零れる。エドワードもそれに連られた。
 プランツに負けず劣らずの黄金の微笑み。
「おねーさん。オレ、こいつ連れ帰りたいな」


「それであの店で買い物してきたのか」
 仕事がひと段落付いて仕官食堂でまったりしていたマスタング大佐は、疑問の眼差しを遅い昼食仲間の少女に注いだ。
「…これは名人が手塩にかけた逸品で十年に一度の…とでも申しましょうか。これほどの質となると人形も選ぶのでございますよ。これはお客さまに買っていただきたがっているようなのですうんぬんかんぬんで高く吹っかけられなかったか?」
 エドワードは首を横に振る。
 店員さんは実にやさしく親切だったし…人形は確かに高価だったが、技術料と思えばさもありなんだ。
「んなことないけど。…なんか詳しいね、大佐。プランツ・ドール買ったことあるの?」
 突っ込まれ大佐はゲフリと咳き込みかけた。
 たとえ美少年にしか見えなくても歴とした女性…というか年齢からして女の子であるエドワードなら兎も角、20代後半マスタング大佐がそれを買い求めるのはいささか外聞が悪い話だ。
「いや、私はない。が……親しいご婦人たちからよく話をきくのでな」
 大佐はやや大きめの声で誤解を招かぬようはっきり返事をしたが、質問した当のエドワードは聞いていなかった。
「いいよー。プランツ。なんかあの笑顔を見てるだけで幸せーってゆうか、一日の活力っていうか。アルのドレス代のために頑張って稼ごう!って気になるぜ。つーか天使だね天使」
(つまりはプランツ自慢をしたかっただけか)
 でれでれと笑み崩れる姿は、なんというかアレだ。
 大佐は親馬鹿で妻も自慢な悪友をつい思い出してしまう。
 これほどメロメロで駄目っぽくて幸せそうなエドワードは初めて見る。切れ上がった眼差しも甘く溶けて可憐なほどだ。
 ああ、女だてらに硬派と名高い鋼の錬金術師はどこにいってしまったのか。
 暴れん坊大将な普段の彼女を知るだけに、ぶっちゃけ気持ち悪い。
「妙に勧めるな鋼の」
 大佐は冷めて泥のように不味いコーヒーを啜る。
「だってオレ、店の人に凄い損をさせちゃったらしいし。……化粧品や下着等当座必要品をオマケして今なら63パーセントオフだっていうから速攻で金降ろして一括現金支払いで買ったら、泣きそうな顔されちゃったしさー。顧客のひとりやふたり連れて行かないと悪いだろ?」
 そりゃ店員もこんな年の少女が自由に動かせる大金を持っているとは思えないだろう。ある意味詐欺だ。
「…そうか、本当はそのあたりがギリギリ原価なのか。ぼったくりもいいところだな」
 エドワードは一見無邪気な仕草で首を傾げる。ここは『一見』というのがミソだ。
「さっきから大佐さあ、なんかプランツに嫌な記憶でもあるの?」
「……」
 大佐は過去のある大人の男性らしく、にこやかに笑って誤魔化した。
「ところでプランツのなかには歌ったり踊ったりするものもあるんだろう? 最新型と聞いたが鋼ののプランツも改良種なのかね」
 疑問をスルーされた形のエドワードだったが、自分のプランツのこと語り倒したい今は特に拘りを見せなかった。
 自慢げに小さな胸を張る。
「ウチのアルは防衛に特化したタイプの護衛型。学習機能付き」
(護衛型?)
「…私は観用少女のことを聞いたのだが?」
 大佐は些少の疑問を抱くが、エドワードも不思議そうな表情を見せる。
「オレもその話をしてるけど?」
「あら、エドワード君ここにいたの」
 その時、仕官食堂に入ってきたホークアイ中尉はエドワードの姿を認めて真っ直ぐ近寄ってきた。
 夜勤明け残業付きのスケジュールのはずだが、いつものよう颯爽としている。
「こんにちは、ホークアイ中尉。何か用だった?」
「ええ、アルフォンス君の訓練が終わったようだから」
 エドワードが食べ終わった食器を持って立ち上がった。
「え、もう? 早いな。ハボック少尉、なんて言ってた?」
(何故にハボック?)
 ハボックは頼りになる男だが、観用少女の訓練に付き合えるほど雅な趣味はないはずだ。
 プランツは押し並べて可憐な少女の姿をしている。なにやら疑問も多々あるが、エドワード自慢のそれの姿は是非拝んでおかねばと、好奇心に駆られた大佐も2人の後にのこのことついて行く。
「そうね。少尉はやりにくいってぼやいていたわよ。あと泥を落としたら中庭まで連れてくるって」
「アル、ドレス着せた姿で紹介したのに?」
「ああ、アームストロング少佐たちとは違って…女の子の姿を知っていると取っ組み合いしにくいとかの理由じゃなくて。あの姿のアルフォンス君、手足のリーチが長い上に疲れ知らずでしょ。そういう意味だと思うわ」
「なるほど」
 エドワードは納得したようだが、大佐の頭は疑問符で埋め尽くされる。

 日差しが眩しい。
 待っていると伝言された中庭まで出ると、エドワードは満面の笑顔を浮かべた。
 そこには部下の姿ともう一人の人影。
「アル!」
「ちょっと待て鋼の」
「ぐえ」
 マスタング大佐は駆け出そうとしたエドワードの襟首をむんずと掴んだ。
「あれのどこがプランツ・ドールだというのだね?」
(天使だといってなかったか?)
 プランツ・ドールといえば、こう…アレだ。水に映った月のように儚くも麗しい、綺羅らかな存在ではなかったか。
 だからそりゃもう楽しみにしてたというのに!
 エドワードが『アル!』と呼んだのは、2メートルを超えるゴツイ鎧の大男だった。
 期待を裏切られた大佐の頬はイヤな感じにピクピクする。先ほどから嫌な予感はしていたが、流石にコレはないだろう。
 エドワードはムッとして首筋に回された腕を払う。
「なんだよウチのアルに文句あるのかよ」
「だって鎧じゃないか!」
「あれは護衛型プランツのドレスだっつーの!」
 大佐は声を大にして問いたい。
「そんな力技自慢なプランツが一体どこにいる!」
「ここにいるだろ!それに生身のアルをこんなムサイところに連れてこられるか!だいたい鎧着ててもアルはスゲエ可愛いっつーの!あんた目が腐ってるんじゃないのっ?」

「あ、大佐。アルの前で無闇に大将に突っかかると危険……」
 ハボックの声が途切れた。
 大佐の姿が放物線を描いて宙に舞う。
 先ほど教えたばかりの一本背負いだ。
 そのまま関節技に入った教え子の、応用能力の高さにハボックは口笛を吹く。
 実に見事だ。
 ハボックの危惧どおりアルフォンスは不審人物にエドワードが押さえ込まれたと受け取ったらしい。
(ちっと問答無用だが、怪我を負わせないように手加減しているあたり判断力には問題なしか)
 それよりも問題は、東方司令部の流儀に染まった憲兵たちだ。
 仮にも目の前で佐官が潰されたというのに『おー!』と拍手を送っているとはどういうことだ。
 おそらく憲兵たちの判断基準は、(あの)ホークアイ中尉が黙って見守っているせいだろうが、一応咎めだてぐらいはしてくれないと外聞が悪い。
 そう考えるだけは考えて、ハボックはプカリと煙草をふかす。
 つまるところはハボックも憲兵たちと同じ穴の狢だ。

「だから危険って言ったのに。アルは護衛型だって聞きませんでした?」
 目は口ほどに物を言い。
 地面と仲良しになっている上官は、忠告が遅いとハボックを睨んだ。





2005,3,25
『観用少女』は川原由美子さんの名作漫画でして、少女の夢や憧れがこれでもかと詰まったステキな話です。
ええと…プランツ・ドールをご存知の2次創作サイトの管理人さんなら一度はやってみたいネタですよね観用少女。
ベタベタですみません。でもそーゆうのが好きなんです。
鎧の中にプランツな妹ちゃんが入っていたら姉さんもうメロメロだと思うんですがどうでしょう(同意を求めるな)。




 戻る