Fighting Alphonse 番外編 【ふぁいてぃんぐで〜と】
 久しぶりの休日。庭先でテーブルを広げ、兄の好きなベーグルを摘まみながらお茶を楽しんでいた。
 雲一つない快晴であまりの心地良さに深呼吸する。吸い込んだ空気はセントラル市街とは思えないほど清々しくて、軽い伸びなんかしながらあくびをする兄さんの隣で、時間を気にせず寛ぐ事ができるなんて、以前のボク達の暮らし振りからは到底想像もつかないほど長閑で穏やかな至福の時だった。日頃暴走しっぱなしのボクの煩悩も、今日はなぜか形を潜めているのか穏やかなものだった。

「なーんか、勿体無ぇなぁ。こんないい天気に」
「?何が?」
「なんだかさ、こんなにいい天気なら・・・」

 そう言いながら席を立った兄さんは、庭の真中に出ると柔軟体操を始めた。

「体、動かしたくなんね?」
「・・・」

 いや、たまの休みくらいジッとしたらどうよ。そうじゃなくてもチョコマカ動き回る人だというのに。しかもそんな事したら、せっかく沈静化しているボクの煩悩を覚醒するだけだって事に、いい加減気付いて欲しい。

「ん・・・まぁね、・・・体動かすのも良いけど・・・あ、そうだ。たまにはデートしない?」

 もう既に柔軟体操を始めてしまっている兄さんは、開脚しながら腕を大きく伸ばし、着ているシャツが伸び上がった拍子に右わき腹を大胆に覗かせながら、声だけで返事をする。

「はぁ?デートって?」

 ねぇ、そんな綺麗な肌をシャツからチラチラ見せて、魅惑的な格好をボクに晒して、まるっきり遠慮もなければ警戒もしないって、そんなにも見くびられてんの?ボクの煩悩を侮ってんの?それともボクの自制心を過大評価してんじゃないの?
 ボクはムクムクと覚醒し始める邪な心を押さえ込みながら、極力何でもないように言った。

「公園とかならもっと広いし気持ち良いと思うよ。最近家での仕事ばかりで外に出てないでしょ?ウィンドウショッピングでもいいし・・・夕食の材料も調達したいし・・・ね?外に出よう?」
「兄弟でデートもクソもあるかよ」
「いいじゃん、たまには弟の我侭に付き合ってよ」

 兄さんは気だるげに回していた右腕をストンと降ろすと、仕方ねぇなぁと言いながらも、ボクの提案に乗ってくれた。ボクは久しぶりに兄さんと街へ出かける用意をする為、ウキウキと高揚する気持ちを露に広げたテーブルの片付けをはじめた。

 そして一頻り用意が整うと、トイレに行った兄さんを待つ。

・まずはアーケード。馴染みの本屋へ立ち寄り新入荷の古書を物色。そこでは知的な兄さんの横顔をじっくりと堪能する。
・そこそこ時間は経過するのでそのまま昼食のために、同じアーケード内に出来たばかりのオープンカフェで食事。食材が兄さんの桜色の唇に放り込まれる瞬間を逐一観察。ドリンクはストローの使用を推奨。キッチリとあの可愛くちびるが吸い上げる様を堪能する。
・そしたら途中の衣料品店で服を見て、理解不能なデザインセンスをやんわり誘導しながらボク好みのスタイリッシュな兄さんに仕立て上げる。
・セントラルパークに立ち寄ってベンチで日向ぼっこしながらおしゃべり。きっと兄さんは転寝し始めるから、ボクが膝枕してあげて髪なんか梳いてあげたりして、あ、たまに匂い嗅がせてもらっても良い。でもって兄さんのフルフルの睫とかプリプリの唇とか眺める。色気がなくなるといけないから腹に手が伸びたらなんとしても阻止。スキがあったらちょっとくらいちゅーしても良いかも

「何書いてんだよ・・・」
「うわあああっっ!!見、見ないのっ、ってか見るなっって、これは今日の予定だからっ!!ナイショナイショっっ!」

 横から覗き見てくる兄さんの顔を押し退けて、大慌てでメモをポケットに仕舞い込んだ。ギリギリのところでメモ用紙を握ったから、兄さんには多分見えてなかったはずだ。特に後ろめたい事があるわけじゃないけど(いや充分に後ろめたい気はするけど)、なんか変な汗を掻いた。
 もの凄く怪訝な表情でボクを見た兄さんは、それでも何も言わずに小さく息を吐きながら「行くぞ」と言った。


 まずは予定通り本屋へ向かう。昨日入荷したばかりだという古書の山を、盛大に期待を込めた表情で見つめた兄さんは、この時とばかりに手当たり次第に手にとって読み始めた。その様子があまりに可愛くて、ボクはもうこの時点で既にメロメロのデロデロに蕩けてしまいそうだった。だって、だって、あんなに子供みたいに切れ長の目を輝かせて、嬉しそうに本に飛びつく様子が愛しくて愛しくて・・・あぁ・・・幸せだなぁボク。
 そんな様子を眺めながらボクも一冊手に取った。他愛の無い三文小説だったけれど、挿絵が所々に入っていて絵本を思わせる。パラパラと流し読みをし始めて、ボクも次第に没頭していった。

 ふと気がついて時計を見ると、正午を少し回っていた。いけないいけない、折角綿密に企てたデートのスケジュールが初っ端から狂っちゃう。ボクは立ち上がってすぐ傍にいるはずの兄さんに目を向けた。
 あれ?いない・・・。どこに行っちゃったんだろ・・・。
 店内はさほど広いというわけではない。古書の置いてあるスペースは店の奥の仕切りを潜った一角に設けられているけれど、そこから出た表の店内もお世辞にも広いといえるスペースではない。ボクは一頻り奥のスペースを見回ったあと表のスペースへ移動した。
 店の入り口にあるカウンターから奥へ数えて5番目の棚の奥に、兄さんはいた。それも、すぐ傍に男性が立っている。兄さんはそこで何に没頭しているのか、相変わらず自分の世界に入り込んでいるようなのだが、その傍に立つ男性の動きが、どうも怪しい。左肩を棚に凭れたまま立つ兄さんの傍で、男性が背後からゴソゴソと動いているのだが、明らかにそれは・・・それは・・・。


 そこから記憶が一旦途切れている。
 気付いた時には古本屋の主人が困惑した表情で憲兵に事情聴取を受けていて、兄さんは幾分眉間に深い皺をこしらえて丸椅子に座り込むボクの顔を睨んでいて、でもってボクはその椅子に座ったまま申し訳なさそうに項垂れている・・・といった有様だった。
 たぶん、ボクがやったんだろう。辛うじて生きているといったボロボロの風体の男は、羽織ったコートの股座をしこたま濡らしており、傍にいた憲兵が鼻を摘まみながら、今にも勘弁してくれと言いそうな表情で連行していった。

「やりすぎだぞ・・・相手は一般人だぜ?」

 うん、どうやらお小言が始まったみたいだ。兄さんの美しい額には皺が数本、眉間だけに集中して寄っている。

「だって・・・腹が立ったんだもん・・・」
「だもんって・・・お前なぁ」
「明らかにやってるってわかったよ!もうその姿見ただけで血が上ったんだ。兄さんに手を出す奴なんて絶対許せない、あんな・・・あんなっクソ野郎っ」
「アルフォンスッ」

 兄さんが悲しげにボクを見つめながら、それでも口調は怒りを含ませたようにボクを叱咤した。ボクはまた犬のように項垂れる。滅多な事でフルネームで呼ぶことの無い兄さんが、相性ではない名前でボクを呼んだ。本気で怒ってる。そう思った。
 憲兵が兄さんに事情を聞きたいからといって、通りに停泊しているオートモビルの中へ移動していった。ボクはそれをただぼんやりと見つめた。
 こんなデートにするつもりじゃなかったのに。ランチ以降の予定は総崩れだ。美味しそうにランチを頬張る兄さんをじっくり眺めるのも、洋服を選ぶ時に、奇抜なデザインを選ぶはずの兄さんを真っ当なセンスへ誘導するのも、公園で日向ぼっこしたり昼寝する兄さんをホンワカ気分で眺めるのも、全部お預けなんだ。
 何もかもあんなイカレタ野郎のせいで全てを台無しにされちゃって、あーあ・・・なんだかなぁ・・・もう・・・。

 ボクが一人悶々と項垂れながら凹んでいたら、古本屋の店主が声をかけてきた。

「アル君、助かったよ、ありがとうね」
「?へ??」

 ポカンと見上げると、店主は苦笑混じりにこう説明をしてくれた。
 ここ最近、店内での痴漢行為や置き引き、万引きなどの軽犯罪が後を絶たなかったらしい。その中でも悪質なのは痴漢行為で、その被害者は兄さんだけに留まらず過去何例も被害が続出し、この数ヶ月で売上が落ち込み続け、特に若い年齢層の顧客の足が遠のいたのだという。痴漢予防のために店内の所々に鏡などを設けたが、顧客が本に没頭している隙をつくため、折角の予防策も空振りに終わり、八方塞がりの状態だったらしい。

「アル君が撃退してくれたからね、これで噂が少しでも広がって顧客が増えてくれるといいんだけど」

 店主はボクが暴れて壊したと思われる本棚と、散乱している本の山を眺めながらそう呟いた。

「あの・・・すみません。本棚はすぐに直しますからっ・・・」
「直すって・・・あぁ。そうか、アル君も錬金術師だったっけ。すまんね、よろしく頼むよ」

 ボクは立ち上がって本の散乱した「現場」に駆け寄った。まずは散らかった本を全て拾い上げて退かし、横転した棚に残った本を全て退かし、それらも含めて離れた場所へ移動する。そんな作業を店主も一緒に行い始めて数分後、兄さんが憲兵と共に戻ってきた。

「アル、片づけか?」
「あ、うん。営業妨害になっちゃうし・・・早く片付けたいから」
「ん。だな。俺も手伝う」

 店主には本の陳列方法を聞いた上で奥で休んでいてもらうように諭し、兄さんとボクで店内の片づけをした。こういう事後処理に対してやたらと合理的に処理する能力に長けた兄さんは、てきぱきと手際よくボクに指示しながらあっという間に元の状態に戻す事が出来てしまった。

 結局、今回の一件はお咎めなしで解放された。

「痴漢の常習犯を取り押さえた」

 と言う事で、表向きは店内の備品修復や破損品に関してはボク等が保証する事になったけれど、店主の厚意でそれも免れた。備品の修復はもう既に兄さんとボクでやってしまったし、破損した本の数も多くなかったからだ。

「ま、とりあえずランチ行くか。俺腹減った」

 そう言って兄さんは何でもなかったかのように笑顔を向ける。でもボクは、楽しみにしていた一日の予定を自分で狂わせてしまったことに自己嫌悪が激しくて、無かった事になんか出来なかった。
 移動したアーケードの中のオープンカフェで遅くなったランチを取りながら、ボクはふと先ほどの件について疑問に思った事を聞いてみた。

「なんで無罪放免になったんだろう・・・」
「あ?」

 兄さんはフォークでグリンピースを突付きながら、独り言のように呟いたボクの言葉に反応して、目線だけボクに向けた。

「さっき。あんまり覚えてないけどさ、犯人のあの姿見たら、流石にちょっとやりすぎだって思ったから」
「あぁ、あれな。前科持ちだってよ。結構悪さが過ぎる奴らしい。まぁ、そうは言ってもあそこまでやっちまったからな・・・ちょっと憲兵にサービスしといた」
「は?サ、サービスって?!」
「あいつら安月給だからな。・・・5000センズでも喜んで受け取ったぜ?安いもんだ」
「んなっっ!!賄賂渡したのっ?!そんなこと――」

 驚きのあまりに立ち上がったボクに、兄さんは指先を口元に立てて眉間に皺を寄せ、仕草だけでボクを叱った。あぁ・・・また叱られちゃった。とは言いつつも、ボク自身あまり反省の色は無くて、っていうか、兄さんのそんな仕草があまりにも可愛くて、はしゃぎ始めた心臓が顔中の血液を目まぐるしく活性化する。兄さんったら・・・ホント、イケズ・・・。

「そんな事でもしねぇと、今度はお前が別荘にぶち込まれるだろうがよ」
「それがボクの罪なら仕方ないだろ?!なんでそんな姑息なことっ――」
「わかってねぇなぁ・・・被害者の俺があの男を不起訴には出来ねぇ。する気もねぇ。でもお前にボコスカやられたあの男も被害者だ。わかるか?お前が手出ししなかったら、被害者は俺だけですんだ。俺自身があいつに鉄槌食らわしても罪にはならなかったんだ。それをお前は感情任せに手を出した。丸く収めるにはこうするより他ねぇだろうが」
「・・・そ、そうだけど・・・そうかもしれないけど・・・」
「たく・・・こんなつまんねぇ事で、お前を檻ん中にぶち込まれてたまるか・・・・・・」
「・・・!えっ!?」

 それ以上の言葉を兄さんは吐き出してはくれなかった。グサグサと皿の上の温野菜をフォークで刺して、豪快に口の中に放り込む。

「・・・ごめんなさい、兄さん・・・それと・・・」

 片眉だけぴょんと上げてボクを見つめた。片方だけ頬が大きく膨らんでいて、ボクの言いかけた言葉を待つように咀嚼もしない。
 降参だよ・・・も・・・無条件降伏です・・・。可愛すぎる・・・。
 心臓が高ぶってる。バクバクいって忙しなくボクを掻き立てようとしている。ボクは残り少ない理性でそれを押し留めながら、どうしても言わなきゃいけない言葉を口にした。

「・・・ありがと・・・」

 変らない表情の向こうで何を考えているんだろう。兄さんは押し込んだ頬の中身をゆっくりと咀嚼し始めながら、小さく

「おぅ・・・俺も・・・・・・ありがとな」

 と応えてくれた。



 食事を済ませるとボク達は予定通り(ボクの予定だけれど)アーケード内の衣料品店に立ち寄り、そこで適当に服を物色し始めた。案の定兄さんは、どこから見つけてくるのか黒ベースで背中と前身頃に髑髏をモチーフにした見るからに怪しい長ティーシャツを引っさげて

「アル、見ろこれっ!!超ハイセンスっ!!」

 と満面の笑みでボクの目の前に広げて見せた。

「・・・うん・・・まぁ・・・兄さん的にはハイセンスかもしれないね・・・」

 さぁ、どうこの苦境を退けようか。いやいや、退けてどうする。この苦境を逆転しなくては。ここで白旗振ったら兄さんの暴挙を今後すべて許す事になってしまう。頑張れボクっ、負けるなボクっ!!


 なんだか猛烈に疲労しているのを感じつつも、何とか兄さんの暴挙を克服したボクは、買い物袋を両手に抱えながら最終目的地に向かった。

「おおーーーなんか気持ち良いなぁ!!」

 芝生の青々とした色が映えて普段以上に空気が爽やかに感じた。兄さんはその芝生の上にゴロンと横になると、早速大きく伸びをしてあくびをし始めた。
 ボクにしてみたら急展開だ。まずはベンチに腰掛けるつもりでいたのに、いきなり芝生の上に転がっちゃうなんて・・・。しかもボクの「膝枕しながら隙あらばちゅーしちゃおう作戦」は呆気なく打ち砕かれた。兄さんは自分の両腕を頭の後ろで交差して枕代わりにしてしまったんだ・・・。ちくしょー・・・。あ、でも・・・。

「・・・眠いの?兄さん?」
「んー・・・だな・・・」

 トロトロとまどろみ始めた兄さんの横顔を、ボクは寝転んだ兄さんの隣に腰掛けて眺めた。
 重々しげに閉じられていく瞼には行儀良く並んだ長い睫がキラキラと光を放っている・・・。そしてその視界にはこっちを見ろと言わんばかりに色づく唇。さっきまでキュッと引き結んだままだった唇は、血色良く赤く色づき気を許しているかのように緩く結ばれている。ボクは無意識に生唾を飲み込んだ。頬が桃色に染まりまるでボクを誘惑しているように誘う。・・・ドクンドクンと胸が激しくボクを煽り始めた。
 まだだ。まだ早い。
 忙しなく追い立ててくる煩悩とここが公の環境だと言う常識的な理性とが鬩ぎ合う。あああ・・・でもね、でもね・・・。ボク等の周辺で思い思いに寛ぐ家族連れも恋人達も、みんなそれぞれの世界に没頭していて、ボク等の事なんか見てやしない。芝生が広がるこの公園の敷地内で、ボクたちを意識している視線なんて、一つもないんだ。
 コクン。
 ボクは再び喉を鳴らした。それと同時に呆気なく理性が消え去る。
 兄さんの頭を覆うように両手を突いて緩々とその顔に近づいた。前髪がキラキラと光を放つ。睫はしっかりと閉じられたまま。かなり至近距離まで近づいた。規則的に零れる吐息がボクの鼻先を擽る。あと少し、あともう少し・・・。

 ガコンッ!

 ・・・・ボクは顎を押さえ込んで蹲った。兄さんが寝返りを打った拍子に肘がボクの顎にヒットしたのだ。あまりの痛みに思わず「ぐえっ」と唸り声を上げたその声に気付いたのか、兄さんが目を覚ましてしまった。

「・・・アル?・・・・・どした・・・?」

 まだ薄ぼんやりとした覚醒しきっていない表情でボクを見る兄さん。涙目のボクは兄さんにその無様な有様を見られないよう、笑って誤魔化した。「変な奴」と呟くと、再び兄さんは惰眠を貪り始める。緊張から弾けそうになるほど心臓を煽らせたボクは、大きく深呼吸を繰り返しながらコンディションを整えた。と、そこでまた理性の欠片がボクに歯止めをかける。
 <今ここで我慢しないとまた怒らせる事になるよ・・・。>
 そんな事・・・そんなこと解ってるさ。解ってるけど、どんなに怒られたって、こんなチャンス逃せない。普段どれほどの禁欲生活を強いられているか・・・。こんな滅多に無いチャンスをものに出来ないなんて・・・ありえない。
 ボクの日常は、目の前に常に大好きな兄さんがいて、濃厚なフェロモンを照射されまくってて、お色気ムンムンの兄さんがシャツにパンツ一丁なんていうセクシーな格好で僕を魅了し続けてるんだ。更に言うならその濃厚なフェロモンだってお色気光線だって、何もかもすべて無意識に無防備に展開されている。それを必死に我慢してるボクって、もう既に仙人の域、いやスーパーサイヤ人まで到達してたっておかしくないと自負出来る。
 たまには、ご褒美があったっていいじゃないか・・・。
 そう思ったそばから、なけ無しの理性が最後に一言呟いた。
 <鋼の心>
 しらない。そんな言葉知らない。知るかよ、そんな言葉。なんだよ、鋼の心って。ハガネってなんだ?何の事だ?今からボクはアホの子です。何も聞こえない何も知らない。ボクが唯一感じたいのは兄さんの吐息、兄さんの唇、兄さんの温もり・・・。
 ボクは自分の頭を抱え込みながら脳内から理性を追い出しにかかった。邪魔をするなっ!ボクのチャンスを取り上げるなっ!今この状況に甘んじて何が悪いんだっ!!目の前にこんな美味しいシチュエーションを用意されてさぁ今から存分に召し上がれと言わんばかりに美味しそうなご馳走を目の当たりにしてまったく手が出せないなんてそんな馬鹿な話があってたまるかっ!!ボクは空腹なんだっ!腹が減ってるんだっ!こんな飢えた状態で目の前の餌にもありつけないなんて、そんな、そんな馬鹿な話があってたまるかっ!!

「・・・・どったの?お前」
「へ?・・・!!はっ!!」

 起きちゃったーーーーーーーーーーーー!!!!!
 涙目でわなわなと震えながら兄さんを見つめるボクに、兄さんは胡乱げな瞳でボクを見つめ返していた。



「なーるほど。それであの大悶絶独演大会なんだ!」

 ケラケラと高笑いしながら歩く兄さんの後ろを、ガックリと肩を落としたまま立ち直れずに付いて歩くボク。いつまたやってくるとも知れないチャンスを逃したボクの落ち込みようは、そりゃぁもう激しいもので。地の底深く沈みこんだボクの感情は、滅多な事では浮上できないだろう。

「笑い事じゃないよ・・・もう・・・泣きたい・・・」
「何言ってんだ、大げさな」
「大げさなもんかっ!目の前にボクの大好物が野晒しにされてんのに手が出せないなんてっ!!兄さんは自覚して無いだろうけどそりゃぁもう美味しそうな唇してんだよ?薄くて形がよくって色艶なんか国宝級だよ?ぷりって、ぷりぷりってボクを誘ってんのに触れる事すら出来ないでオアズケ喰らって生唾飲むだけなんてあああああもうやってらんない、犬だってご馳走目の前にして理性が働く事なんかないって言うのにっ!!」
「アルフォンス」

 さっきまでとは打って変わって声のトーンを落とした兄さんに、ボクはビクンと肩を震わせた。

「な・・・なに?」
「もしもお前が、俺の寝込みを襲ったら、今日の痴漢と同じなんだ」
「!あ!!!」
「だから、土壇場まで理性が働いたお前は、犬は犬でも野良犬じゃなくてよかったんだよ」

 呆然とするボクの頭をガシガシと撫でる兄さんの顔を、ボクは見つめる事が出来なかった。だって、寝返りを打った兄さんの肘鉄を食らう前は、理性の欠片すら満足に働かなかったんだ。兄さんが寝返りを打つことが無かったら、ボクは痴漢と同じことをしてしまっていた。
 ボクは・・・あの痴漢と同じだ・・・。
 
「・・・違うよ・・・一緒だ・・・ボクは・・・」
「例え偶然が阻んでも、本当に理性が無かったなら押し切ってただろ?」
「それは、そうかもしれないけど・・・・って・・・ええ!?!ま、まさか!兄さん知ってたの?!!」
「何が?」
「な、なにがってっ!!知ってたんだろ?寝返り打ったときに肘がボクに当たったの!!」
「?さー?何の事だ?」

 ケタケタと高く笑う。それはもう爽快なほど晴々とした顔で、満面の笑みを惜しげもなくボクに向ける。やられた・・・。何もかも知っていた上で、兄さんはボクにカマをかけたんだ。でも何の為?ボクを試して何が兄さんに・・・

「今日はよく頑張ったな〜〜アル。そうだな、帰ったら少しくらいサービスしてやってもいいぜ?」
「え?えええ??サービス??サービスって??って言うかそれってご褒美??」
「ご褒美・・・なのか?わかんねぇけど、ま、それでも良いや」
「か、帰ろうっ!!すぐ帰ろうっ!!!ほら、早く帰ろうっ!!!行くよ、兄さんっ!!」

 ボクは兄さんの手を強引に掴むと、これまでの亀の歩を改めドカドカと家路を急いだ。兄さんはボクに引きずられるように歩きながらも笑いつづけている。そんな兄さんの笑顔が、いつのまにか傾き始めた夕陽に照らされて凄く綺麗で、なんだかとっても心地が良いと感じた。



 そして、家に帰り着いて早々兄さんにねだったご褒美とは・・・・夕食の準備を兄さんがするという、なんとも腑に落ちないサービスだった。
 兄さん・・・いくらなんでもそれはあんまりだよ・・・。





END




 

――――――ご挨拶――――――

すずめ庵様!大変遅くなりまして申し訳ございませんでしたっ!!キリバン44444HITリク、今更ながら献上させて頂きます。
「空回りしている弟くん」 と言う事でFightingシリーズのアルフォンスさんをご指名いただきました今回のリクですが、い、如何でしたでしょうか?お望み通りの空回りっぷりが発揮されていたでしょうか・・・?かなり不安でございます・・・。本編はエンディングへ向けて進ませているので、今回のリクは番外編と言う扱いになる訳なのですが、他にもアルフォンスさんの空回り作品が用意してあった中で、これは今回のリクを受けて新たに書き下ろしました。なので・・・誤字脱字ツッコミどころが満載の出来かもしれません・・・(すみません!)
遠慮なく修正再構成お申し付けくださいっ!!誠心誠意書き直させていただきますっ!!
キリバン44444リクエスト、ありがとうございましたっ!!