下着はoff!


 時計の針はようやく正午を差している。
 丁度2人連れのお客さまを送り出して、一息入れましょうかという雰囲気が漂い始めた頃だった。
 からん、ころん。
 錫製のベルが柔らかく空気を揺らして、来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
 毎日鏡の前で練習する笑顔を浮かべて、お客さまに振り向いた。
 まあ、ちょっと変わったお客さま。3名さまのうちどちらか2人というのなら、よくある組み合わせなのだけど。

 ひとりは濡れたような黒髪に、泣きボクロがチャームポイントの大人の女性。凛と伸ばした背筋がキレイで…胸は大きめだけど、きちんと上をむいているのが格好いい。
(あの人、キチンと鍛えているのね。補正要素よりもデザイン重視でオッケーだわ)
 もし何かを聞かれたらすぐ応えられるように頭の中で準備しておく。

 ふたりは柔らかなブロンドの女の子。ふふ、こういう所に来るのは初めてかしらね。物珍しそうに陳列棚を見回す瞳が好奇心でキラキラしていて愛くるしい。
 どういうものがお好みかしら。進めてみたいものもあるけど、そうね微妙なお年頃。付き添いで入ってきたのなら、恥ずかしがってしまうかも。

 最後は明らかに小さなほうの女の子の血縁の男性。
 背が高く足が長い。それだけでも格好いいのに、金髪に彩られたその容貌の甘いこと!
 額縁に入れて飾って置きたいハンサムさんは、女の子と黒髪の女性に挟まれて居心地悪そうに下を向いている。

「こんにちは、初めての下着を選びたいんですけど。色々教えてもらっていいですか?」
 歌の得意な小鳥のような、高く軽やかな声音。
 あどけない容貌だけど、中身は立派な淑女のようだ。
「ええ、もちろんよろこんで」
 お客さまはカミサマだけど、こんなお嬢さんなら特別だ。
 子供ではなく大人でもない肌を包むなら、柔らかなコットン、控えめなレース。
 品揃えには自信がある。任せてちょうだいと頷くと、女の子はホッとしたように、ほっぺに小さな笑窪を作った。わぁ、かわいい。
「では、よろしくお願いします」
 女の子にぐいっと押しだされ、ハンサムさんはたたらを踏む。
(……えーっと?)
 いったいどういう意味かしら。
「このヒト、こんなナリですが歴とした女性なので」
 グラビアの中にも居なそうなこのステキなお兄さんが!?
 目を見開く。ガッカリするよりまだ先に、驚きから平常心を取り戻すまでのわずかな時間。

「「「えええええっ!!」」」
 上がってしまったのは、聞き耳ダンボな同僚の悲鳴。
 ……あう。恥ずかしいなあもう。
 逸らしてしまった視線の先の、鏡の中に居るわたしの耳朶は僅かに赤く染まっていた。


 さて、改めてお仕事をしましょう。
 お兄さんもといお姉さんに名前をお伺いしたら『エドワード』さまとのこと。
 世界は広いし、場所によっては色々な名前があると聞く。ここら辺では男の人の名前だけど、ハンサムなお客さまには相応しいようで面白い。…遠くの出身なのかしら?
 広くゆったりした試着室は、当店自慢のしつらえだ。個別になっているから、他の人に覗かれる心配は全くない。緊張して硬くなっているお客さまにはギャラリーなんて不要ですもの。妹さんにもお友達にも(多分ね)きちんと遠慮していただいた。
 まずは質問。
「ブラジャーを着けられるのは初めてですか」
「…………必要ないので」
 うん。シャツの上から見ただけじゃ、確かに判断に迷った。
 まだまだ修行が足りないなと、こっそり反省してみたり。
「ではサイズをお計りしましょうね」
 脱いでもらったほうが正確だけど、シャツの上からでも構わない。
 こんな初心なお客さまじゃ、良かれと思ってサイを振っても反対の目で出てしまう。
 いっそ事務的にメジャーを伸ばし、チャッチャと測ってカルテに数字を書き付ける。
 背に比べ、そのウェストの細いこと!
 惜しむは腰も細いので、なよやかな括れが強調できないのが残念だった。
(パットを入れたら嫌がるかしら? )
「そうですね。お客さまにはこの辺りがお似合いかと」
 一通りブラジャーやショーツの適正な着け方の説明などをしたものの、聞いているのかいないのか。
 シンプルなレースの上下を差し出すと、恐ろしいものを見る目付きで見られてしまった。
「…どうしても着けなきゃ、駄目か」
「お気に召しませんでした?」
 ちょっとガッカリ。お客さまは肌が白く滑らかだから、上等のレースが映えそうなのに。…ちょっとお高めの商品だから無理に進めは出来ないけれど。
「そうじゃなくて。今まで着けなくても平気だったから」
 まあ!
「いけませんお客さま。女性が下着を身に着けるのは、当然の礼儀です」
「……れ、礼儀?」
「はい!」
 俄然使命感に燃え、力いっぱい肯定した。
 とんでもない、とんでもないわ!
 まだまだ暑いこの季節。薄着になる機会はいっぱいあるのに!
 こんなに魅力的な人が下着も着けずに道を歩けば、それこそ犯罪を呼び込むものだ。
 今までよく無事だったもの。改めてゾッとした。

「気に入らなければこちらはお下げいたします。…リーズナブルなものも取り揃えておりますので、是非選んでいって下さいませんか?」
 熱意を持って進めると、お客さまは顔を青くしてぺったり壁に張り付いた。


 迷うけど。ポイントチェリーのブラジャーなんて、それこそ今しか着られない。
「マリアさん。これなんてどうですか?」
 血の繋がったお姉さんは全く頼りにならないので、頼りになりそうなお姉さんの見立てを聞く。
「いいわねえ、かわいいわ。あー私もこういうの着ればよかった」
「マリアさんは、昔こういうのお嫌いでした?」
 少女趣味の下着を本物の少女が着るのは、どうも気恥ずかしさを覚えるようだ。アルも過去の特異な経験がなければ、この手のものに二の足を踏んでいた可能性が高い。
「いいえ、好きよ。でもね初めてブラを買ったのは12の時だったけど。私は成長が早いほうでね、その時にはサイズが合うのが大人向けしかなかったのよ。失敗したわ」
 ほうと付く、その溜め息こそが悩ましい。
 アルはついまじまじとロス中尉の胸を拝見してしまった。布越しに盛り上がった質感は、どの男性にも魅力的だと言わせるだろう。
 そしてロス中尉が手にしている下着のサイズに密かに驚く。……わあ。
「ゴージャス…ですね?」
「あらアルフォンス君だってすぐ大きくなると思うわよ。いま胸を触ると痛いでしょう」
「……少し。よくわかりますね」
「通ってきた道だもの、お姉さんにまかせなさい。ああ、コレね。もうワンサイズ…カップのほう、大きいのを選んだほうがいいわよ。成長期の胸を締め付けるのはよくないから」
 サイズだけは測ってもらったものの、ベテランの店員さんも出る幕がない。アルがチラリと見ると、壁の花のように遠くから声を掛けられるのを待っている。
 兄はまだ出てこない。質問するならいまのうちだ。
「ええと。他にも色々聞いていいですか」
 もともと穏やかに話すアルフォンスだが、より控えめに尋ねられマリアは耳を傾けた。
「ボクまだ、ないんで実感ないけど。生理とか、年に1、2度ぐらいしか来ないのってやっぱり異常なことですか?」
「…エドワード君ね」
 マリアはうーんと腕組みした。病院には行ったの? と聞きたいところだが、あまり大事にするのも可哀想だ。
 まだこの年ごろの少女にとっては、デリケートな話題だし。
「プロのスポーツ選手とかだと、シーズン中は止まる人もいるわね。かくいう私も任務中で気を張ると、2ヶ月ずれることもザラにあるし」
「…そう、ですか」
 浮かない顔だ。少女の憂い顔は絵になるが、あまりそれは歓迎しない。
 貴重な休日に一緒に買い物に行きたいぐらい、マリアは2人のことを気に入っている。信じて欲しいし、頼って欲しい。
(姉…には遠いし、母性本能っていうのかしらね?)
「王様の耳はロバの耳。まあ言ってごらんなさい? 解決するかは分からないけど、守秘義務は絶対よ?」
 身内には暗黙の了解で聞けないことも、近しい他人には話しやすいものだ。本人の事なら尚更に。
 アルフォンスも例外ではなく、ややあって喋り始めた。

「兄さんもあまり困っている様子はないし…大したことはないんですけど。兄さん女の人なのに、身体も心も男の人にあり続けようとしているみたいで……何が原因で無理してるのかなあって思うと。ちょっと」
 ワンピースの胸を押さえた。
 身体と心は密接に繋がっている。そのことをアルはよく知っている。

 小さな胸も、なかなか来ない月の物も、旅を続ける間は楽でいい。そう笑った兄は意志の強い人だし、無意識にでも特定方向への成長を拒んでいてもおかしくない。
 しかし目的を果たし、セントラルに定住するようになっても変わりなく…というのは不安が募る。
 本当に?
 ただの生理不順、それだけ? 動けなくなるほど苦しんでいるのに?
 なにか厄介な病気でも身のうちに抱えているのではないか?
 苦痛は口にしない兄だから。もし、と考えてしまう。

 ……とても怖い。

「そうなのよねエドワード君、あんなに男前なのに性同一性障害ってわけでもないしね。惜しいわ、ちょっと残念」
 飛ばされた冗談にアルフォンスはきょとんとした。
「ええと。ああ、そういう取り方も。…でもそれがなんでわかるって…ええ? 兄さん昔は女の子でしたよ。お揃いのジャンバースカートとか履いてましたし、新しいリボンを喜んだり。まずそれよりも惜しくて残念って」
 あわあわ慌てるアルフォンス君。ここまで反応がいいと、つい突付きたくなる、誘惑される。
 マリアはぷっと吹き出した。
 この姉妹はほんとに素直。からかい甲斐があるところまでそっくりだ。
「ごめんなさい、本当に冗談。エドワード君はちゃんと女の子よ。ただちょっと未発達なだけ。でも心配なら予定されている定期健診を早めてもらうよう要請して、専門医にこっそり念入りに調べてもらうわ」
 豊かな胸を叩いての太鼓判。
『安心してね』囁く声はとてもやさしい。
 兄さんは産婦人科って単語だけでも嫌がるから、涙が出るほど心強い。定期健診じゃ逃げ場はないし。
「なんか…お姉さまって呼んでもいいですか?」
「嬉しいけどエドワード君、困っちゃうわよ反応に。自分が居ない間にいったい何があったのか?ってね」
 くすくす笑いあっていると、顔を真っ赤にしたエドワードが更衣室からやっと出てきた。
 丁度いいタイミングだ。
「やっぱり着けると違うわね。大丈夫、苦しくない?」
「平気、だけど。こんだけしかないのに着けなくちゃいけないなんてやっぱり変だ」
 憤然としているエドは胸まわりの感触が気になるようで、しきりに脇のあたりを触っている。
(下着ってスゴイ)
 アルはちょっと吃驚した。服の上からでもラインがふわりと浮かび出て。…ちゃんと女性に見えるではないか。
 不貞腐れているエドを、ロス中尉は年長らしく窘める。
「エドワード君はまだ十代なんですもの。もっと大きくなるだろうし、すぐに慣れるわ」
 十代。ああ、そうか兄さんも『まだ』と言われる年齢なんだ。
 兄さんは並みの大人以上に大人だって、ついうっかり思っちゃうけど。まだ発展途上のヒトなんだ。……そ、か。ちょっと安心した。

「ところで、ねえ?」
「ん?」
「どういうの着けてるの? わ、えっちー。色っぽーい」
 アルは妹特権を行使する。
 ぺろりと服の裾をめくれば、白いレースが目に眩しい。兄はぎゃーと悲鳴を上げる。
「な、な、な」
 突発性失語障害に陥った兄を他所に、大きな籠を抱えた店員さんが嬉しそうに近寄ってくる。
「ええ!お客さまはほっそりしてらっしゃいますけど綺麗に鍛えてらしているので、何をお召しになってもお似合いで。特に色目のハッキリしたものや肩を出したデザインが等がお勧めなんですかっ」
「いいいいいい、いい。いい。そんなにいらない。一枚でいい」
「すごい。コレ、ティーバック」
「恥ずかしいって思われるお客さまも多いですけど、ラインが出るときのお洋服にはやはり重宝いたしますよ」
 布が広がる。
 ブラとショーツの上下誂えだけではない。
 悩殺的な臙脂のガーター。合わせたストッキングに、リボンのレースキャミセット。
 羽衣のようなベビードール、インナードレス、ペチコート。
 籠から取り出される繊細なレースとシルクの数々にアルは目を奪われた。中には目が点になるほど少ない布地のものもある。
「えっとー。サイズは合わせてあるんですよねvじゃあ、みんな纏めて包んで下さいv」
「あ、アル? 無駄遣いはやめとこうぜ」
 肩を抱く手は焦っているようだが、しかしアルの心はロマンチックな布地たちに誘惑されて帰ってこない。
「ついこの間、どこぞのどなたがポンと買った物件のほうが高いですー」
 中古だが、なんせ庭付き一戸建て。便利もいい場所なので、中々値の張るお品だった。
「いや、あれは2人分だし。オレの買い物だけするのもな」
 往生際が悪い。アルは片側だけ眉を上げた。
「じゃあ、このサクランボのとチェックの上下と、スポーツブラの2枚セットも追加でお会計お願いします」

 チャリラリラーン。
 ネコ型ポーチから取り出した小切手には、アルフォンス・エルリック様との署名入り。
 太っ腹な買い物に店員さんは驚いたようだが、エドもまた愕然とした。
「いつの間にそんなの作ったんだお前!」
「旅している間に貰ったお小遣い。あの時は使い道がなくて、夜暇だったし、地道に株で増やしてみました」
 もう失業しても大丈夫だよ。安心してね、ボクが養ってあげるから!
 止めを刺されエドワードは真っ白な灰になった。風が吹けば、サラサラ崩れてしまっただろう。

 妹は、こんな抜かりないヤツだったか?
 ちょっと思い返してみる。
 そう言えばひとつ年下の妹は、要領がいいというか誰よりも目敏く逞しかった。
 木登りが出来るようになったのも、乳歯がはじめて抜け落ちたのもアルのほうが早かったっけか。いや、今はソレ関係ないけれど。
 ……変わってないじゃん。アホですかオレは。
「ねえ、もうお家にかえろ?」
 上目遣いに見上げてくる、妹は可愛いけれど。そりゃーもう可愛いけれど。
 アルはエドの右手を握る。なんかすっごく嫌な予感。苦笑しているロス中尉はエドワードの右腕を取る。
「ロス中尉?」
「ごめんなさい。私、エドワード君には弱いんだけど、アルフォンス君にも弱いから」
 任官外のロス中尉の言葉遣いは、柔らかい。その反対にガッチリ強固な檻に入れられてしまったような気がするのは何故だろうか。
 2人がかりで抜き打ちで、まるで拉致されるようこのランジェリーショップに連れてこられた記憶は風化しきれない。したがって背中に嫌な汗を掻く。
 普段片腕を常に空けておくロス中尉が、受け取った大きな荷物を右手に抱え込んだ時、その疑惑は確信に変わった。
 妹の声は明るく弾む。
「家に帰ったら、ファッションショーだね!」
 !!!
(ギニャー!)

 エドは声にならない悲鳴を上げたが、それを聞き入れ助けてくれる者は生憎誰も居なかった。



 2004,8,9 up
 初お題にこれをもってくるあたり、本能に忠実です。
 腐ってるー!(ワタシが)
 …隣のトトロ調に言っても可愛くないのが難点です。




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