あるのぬいさん



 それは大望を抱いた姉と弟が、東部の町を虱潰しに当たっていく旅のなか。
 小さな宿屋でのことでした。

「お姉ちゃん、寝ようよ」
 ふわん。
 頬に触れた柔らかいモノの気配に、錬金術の深遠を漂っていた少女は地の底で返事をしました。
 今日は興味深い文献の鉱脈を引き当てたのです。
 怠惰に眠りを貪るわけにはいきません。
「悪い。あと、ちょっとだ…け?」
 言いかけたエドワードの鼻先で、ぴょこぴょこぬいぐるみが踊ります。
 少女は目をしばたかせませた。
 つぶらな瞳にのんびりとした口元。柔らかな身体には幸せがたくさん詰まっています。
 先ほどエドワードの頬に触れたふわふわの物体はコレでした。
 ぬいぐるみは小首を傾げて訴えます。
「寝ようよー。寝ようよー。疲れたよー」
 アルフォンスの無骨な手の平が動かしているのは、なんとミニサイズのアルフォンスのぬいぐるみでした。
 適当にデフォルメされてこそいますが、間違えようもありません。
 頭飾りや、太股のチョーク入れまで忠実に再現してあります。
「お外は真っ暗で、目がショボショボだよー。だから、寝よう?」
 …直系は60センチほどでしょうか?
 手触りのいい布で作られたぬいぐるみは、手を組んでおねだりをしました。

「……。お前、器用だな」
 エドワードは呆れ半分に感嘆しました。
 なにやら最近ゴソゴソと針仕事をしていると思いましたら、こんなものを作っていたとは驚きです。
「うん、兄さんも触ってみて。ふかふかだから」
 高く甘い声での腹話術を止めたアルフォンスは、手製のぬいぐるみを差し出します。
(ったく、仕方ねえな)
 弟の自慢げな様子に、苦笑したエドワードは人形の頭に触れてみました。
 ふかっ。
 エドワードの指がアルぬいの頭に埋まります。
「……」
 ふか、ふかっ。
 わき腹に手を差し込み持ち上げると、滑らかな布の下で細かい粒子が移動するなんともいえない感覚があります。
 特に憚るものではありませんから申しますと、それはたいそう心地よいものした。
 エドワードはお愛想で触れたぬいぐるみから、なかなか手が離せません。つい何度も撫でてしまいます。

 思えば幼少から人形遊びなど視野の外だったエドワードにとって、ぬいぐるみとのファースト・コンタクトは実にこの時でした。

(よっしゃ!掴みはオッケー)
 硬くて丈夫なものばかり好んで身につけている姉のこと。
 用意したものが気に入らないのではないか…と、そんな不安もありました。
 真剣な顔でぬいぐるみに触れているエドワードに向けて、アルフォンスはもう一度声を作ります。
「お姉ちゃん、もう、寝よう?」
『お姉ちゃん』との呼びかけに、昔を思い出したエドワードは一瞬だけ苦い顔をしました。
 それを隠すのに、ぬいぐるみを胸に抱きます。
 エドワードだって愛くるしいものが嫌いというほど、捻くれてはおりません。
「なに、こいつが添い寝をしてれるの?」
「うん。ボクの代わりにね。そっちの文献はボクに頂戴。はい、バトンタッチ」
 強引に書物を奪い取られエドワードは文句を付けようとしましたが、アルぬいのほややんと幸せそうな顔を見ていると、ここで抵抗するのは大人気ないような気がします。
 それに集中力が切れてみれば、確かに頭はずっしり重く疲れていました。
 エドワードの右手と左足は鋼ですが、他の身体は生身です。
 それが不便と文句をつけるのは、弟を悲しませるだけでした。
「じゃあ、少しだけ…」
 ベッドに潜り込んだエドワードはアルぬいを横に置いて目を閉じました。

 寝つきのいい兄のこと。
 やがてあるかなきかの寝息が聞こえてきます。
(うわー。兄さんがちゃんと女の子に見えるよ!)
 笑い飛ばしてくれたらいいと。
 ウケを狙って作ってみましたが、たとえ自分の姿をしていても、ぬいぐるみとは偉大です。
 幸せの縮図のような光景に、アルフォンスのからっぽの胸は満ち足りました。

 しかし。

(…んっ?)
 しばらくは静かに眠っていたエドワードですが、やがて寝返りを打ちました。
 そしてアルぬいをぎゅっと抱え込みます。
 ほのかに膨らんだ胸の谷間に、きゅっとアルぬいのボディが埋まります。
 すると幸せそうなぬいぐるみの表情が、もっと幸せそうに潰れました。
 アルフォンスは内心絶叫します。
(…なんて美味しいんだぬいぐるみ!)
 ええ。愛しいひとの眠りを妨げてはいけませんから、心の内で。
 毛布の動きからして、寝巻き代わりに着込んだハーフパンツの足が人形に絡んでいるのは間違いありません。
 しかもアルぬいとエドワードのほっぺたが密着しているのは直に目で見て取れます。よほど触り心地が良かったのでしょう。エドワードの顔もほにゃりと笑み崩れます。
(ああっ。そんなことまで!…羨ましい!)
 相手は無機物。分かっていても兄の腕の中で幸福そうに顔を歪ませているぬいぐるみにアルフォンスは悶々としてしまいます。
「なんか、複雑?」
 小さく小さく呟きます。
 自分の姿をしているだけに、嬉しいような気もしないでもありませんから。

 ……その時のアルフォンスはまだ知りませんでした。
 後々アルのぬいさんは、本家本元のアルフォンスに様々なジェラシーを抱かせる手強い恋敵にまで昇格するということを!



「…兄さん。もういい大人なんだから、ぬいさんと寝るのは卒業しようよー」
「ええー、だって抱えて寝るとやーらかくてスゴイ気持ちいいんだって!」
「……ちなみに、どのくらい?」
「んー? ウィンリイの胸枕と同じくらい?」
「(怒)!」

 何処に嫉妬をしていいものか。ツッコミ天国。ある意味、地獄。




2005,6,14







あるのぬいさん・むねまくらの事情




 幼馴染みはキレイだと思う。
 ただし寝ているとき限定で。

(美人ってゆーか。ちっちゃくてカワイイのよねえ)

 凶悪な双眸は閉じているし、罵詈雑言は吐かないし。
 もうひとりの幼馴染みはエドの寝顔を眺めて『目を閉じていると平凡に見える』ってほざいてたけど、あいつは美的基準が高すぎる。
(鎧じゃなくても、しばらく彼女は出来ないわね)
 当人にとっては見慣れた姉の顔だからわからなくもないが。
 ウィンリイとしては、ちょっとそれはどうかしらとも思うのだ。

 頬に掛かる、さらっさらの髪を払ってやるとエドは寝苦しそうな、くぐもった呻きを漏らした。
 小さい身体は燃えるよう熱い。まるで太陽を直接抱いているようだ。
(熱。下がらないなあ)
 エドの体は今、必至に回復しようとしている。
 生体と手術をした機械鎧の部分が、しのぎを削り争っているのだ。
 拒絶反応の激しさに、ふっくらとしていた頬が削げてしまっている。

 おてんばで自信過剰で…本当はかわいらしい幼馴染み。
 寝ている姿は昔のままなのに、最近は先を急ぐよう格好よくなっちゃって。
(エドのくせに生意気だわ)
 エドワードが寒がるように身じろきをしたので、ウィンリイは手術跡に触れないように注意を払しながら肩を寄せた。
 膜が張ったばかりの傷を引っかきでもしたら大変だ。
「ウィンリイ…?」
(熱を持った声だわ)
 それがウィンリイの胸に、氷の薄刃を滑り込ませる。
 慎重にそっと体勢をずらしたつもりだったのに、目が覚めてしまったのか。
「起きたの? 寒い?」
 エドワードは寝ぼけているようでぼんやりしている。
 まだ薬が効いているのか、星明りに浮かび上がる眼差しは夢現に溶けていた。
 エドワードは頬に触れていたものの柔らかさに呟く。
「ウィンリイに胸がある…」
 同世代の少女らしからぬ物言いは、エドワードの幼なさの発露だ。ウィンリイにはそれが切ない。
「あるわよ。女の子だもの」
 もともと発育が遅めの印象だったけど、一連の事件で幼馴染みは骨と皮ほどに痩せてしまった。
 エドワードが女性らしいまろやかさな身体つきになるのはしばらく時間が掛かるだろう。
「……いいなあ」
 少女の頭がウィンリイの胸に落ちる。
 頬を擦り付けられるのはくすぐったいが、消毒液の匂いは苦手じゃない。
「ぷるぷるして気持ちいい…」
 女に変わろうとする自分の身体を図らすしも指摘されて、ウィンリイは漠然とした羞恥心を抱く。
 小さい頃から一緒にお風呂に入っていた相手じゃなければ、許せっこない言動だ。
「やあねえ、エドもそのうちこーなるのよ。珍しくもなんともないわ」
(そういやアルとお風呂に入らなくなったのはいつ頃だっけ……)
 あれは確か…エドとウィンリイよりも先に、アルが嫌がるようになったのだけど。
「オレもそーなるの?」
 エドワードは信じがたそうに胸の辺りに目を落とした。
「みんな、変わって行っちゃうのよ」
 それは寂しいけど、仕方のないことだ。
 ウィンリイが嘯くと、エドは盛大に顔を顰める。
「…ヤだな。旅に出るのに、ぷりぷり胸や腰が膨らむのは困る」
「……それってヒトの胸を撫で回しながら言うセリフ?」
「ウィンリイの胸はいいんだよ。いいじゃん。オレは男になるんだから…って、そっか。オレと結婚しようかウィンリイ」
(また。甘えたこと言って)
 どうせ明日の朝には覚えても居ないくせに。いつも調子がいいんだから。
 見上げてくる眼差しにドキリとしたのは、ウィンリイの秘密。

「いやよ。私より背の低い男なんて!」



 旅の途中、セントラルのホテルで。
 ウィンリイのところに夜這いに行った兄は悄然とした顔つきで帰ってきた。
「どうしたの兄さん」
「ウィンリイにフラれた……。ひとりで寝ろって」
 カシャン。
 アルフォンスは珍しいこともあるものだと首を傾げた。
 男にしてみたら豆粒のくせ、兄は大抵の女の人にモテるのだ。
「怒らせたんだったら早めに謝りなよ」
 エドワードが悪いといったアルフォンスの決め付けに、兄は力なくうな垂れる。
「いや怒ってはないと思う、けど」
 溜め息をつきつつ髪をかき上げる仕草は…我が兄ながら、少年の色気が漂っている。すっきりと清々しいくせ、どこか甘い。それこそ本物の男なんてメじゃないほどだ。
(コレで身長が伸びれば完璧だな)
 身贔屓だけではなくそう思う。
「ふうん、兄さん。ウィンリイに何をしたの?」
 アルフォンスは何気なく聞き出して後悔した。
「胸まくらさせてって頼んだだけだってば。別に悪いことはしてないぜ」
「むっ…」
 アルフォンスは絶句した。
 つい、リアルな想像をしてしまった、お年頃な自分を恥じる。
「ウィンリイはすくすく成長してっから、昔より気持ちいいはずなんだよなー。ちぇー」
 悲しみが拗ねに変わったエドワードはベッドの定位置に腰掛けさせておいた、ぬいぐるみを抱え込んだ。
 旅の間、エドワードの寵愛を一身に受けてきた彼と兄は今日も同衾するらしい。
 困った癖をつけさせてしまったとアルフォンスは毎日のよう後悔する。
「ぬいさんだけだ。オレが抱きついても嫌がらないのは。…アルもウィンリイも前は好きに触らしてくれたのに酷えよ、ケチ」
「仕方ないでしょ。年頃の女の人は無闇に男に触れるものじゃありませんー」
「オレとお前とでも?」
「もちろん。兄さんと鎧の弟が相手でもね」
「…じゃあ、ウィンリイは?」
 口を尖らせて突っ込んでくる兄に、うっと詰まる。
 ウィンリイが同衾を断った理由は、悲しいことによく分かった。
 アルフォンスは無意識にして無節操なタラシオーラを振り撒いて女の人を篭絡してきた兄の行状をよく知っている。
 禁断の世界に足を踏み入れたくなかったら、ウィンリイの選択は非常に正しい。
 あの幼馴染みは、いつの時だって賢明なのだ。
「さあ? 嫁入り前のお嬢さんが、外見は男の兄さんと同じベッドで寝たら世間の目が冷たいからとか…かな?」
 アルフォンスは適当に誤魔化したが、エドワードは納得できるものではない。
「ウィンリイだぞ? んなわけあるか」

 ぷいっと拗ねてぬいさんをギュウギュウと抱き潰している兄さんは、まだまだ子供。
(ホントに我侭で、困った人)
 だからボクもウィンリイも苦労をする。

『でも、そんなところも愛しいんです』
 エドワードの暴力じみた抱擁にも、おっとりと耐えきっているぬいさんは、慈愛に満ちた訳知り顔だ。
 それがちょっとだけ腹立たしい。








2005,6,27

ウィンリイちゃんはちびっ子姉さんは、甘やかしていたのではないかと思います。
素敵な大人に育った暁には心友のポジションに収まるでしょう。しかし過渡期の危なっかしい姉さんにはウィンリイちゃんもドキドキ動揺してくれたら…!もう、べらぼーにめんこいですv



2006,6,7

拍手で書き逃げたものを、手直しして再アップです。