不思議の国のアルフォンス
1 兄さんと未知との遭遇
目が覚めたら女の子になっていました。
いったいコレは何の冗談なのでしょうか?
遮光カーテンの合間からは、眩しい朝の光が差し込んでくる。
今日も素晴らしくいい天気に違いない。そう予感させる清々しい朝。
体内時計によって目が覚めたアルフォンスは、自分の胸に張り付いているモノにしばし呆然とした。
思わずギュッと握ってみる。すると胸に痛みが走り、手には柔らかくもプリンとした弾力がある。
観念して服を巻くってみると、ジツに立派な胸だった。慌てて布をひき下ろす。
(…嘘)
一瞬、気が遠くなる。が、かつては鎧だったこともあるアルフォンスだ。現状認識能力は高かった。
「兄さん、兄さんっ!兄さーんっ!」
ベッドから飛び降りて、隣の兄の部屋に駆け込んだ。
「ボク!変!」
おーきーてー!
兄の細い肩を掴みガクガク揺さぶる。
(ん…細い?)
兄は確かに細身のひとだが、ここまでは細くなかったような気がして、アルはエドを見下ろした。
袖なしのシャツにハーフパンツを寝巻き代わりにした兄は、いつものようにだらしなく腹を出した格好だ。しかし何故か腹やのけぞった喉もとの肌の滑らかさにドキリとする。
「……んー? あるー?」
目覚めてくれたことにホッとする。アルは大きく両手を広げて見せた。
「見て!兄さん、ボク変だよねえっ!」
兄は寝起きの顔でぼーっとアルを眺めていたが、ややあって大きく欠伸をひとつした。
「どこが…?」
「どこがって!」
アルは怒鳴る。
せり出した胸も!括れた腰も!おそらく(考えたくはないが)その下だって!何処も彼処も変ではないか!
「アル…朝から五月蝿い」
(うわあん!寝ぼけてるし!)
「待って待って寝ないで兄さん!ボクの一大事なんだってば!」
蓑虫の態勢に入った兄は毛布の中で返事をする。
「だいじょーぶ、いつもどーりお前はかわいい。…デートならこの前買った服着ていけ」
「酷いよ兄さん!ボクに彼女居ないの知ってるくせに!」
「……」
ここで、やっと兄は起き上がった。何故か頭を押さえている。
「アル…お前なあ。にーちゃんお前の趣味にケチつけるつもりはないけど、彼女よりは彼氏を紹介して欲しいぞ?」
(うげ!)
「気持ち悪いこといわないでよ!なんでボクが男を作らないといけないのっ!?ホラ見て鳥肌立っちゃったじゃない!」
「……? お前、熱あるのか? 彼氏欲しーって言ってたアレはなんだ?」
兄は心配そうに柳眉を寄せた。白い繊手がアルの額に触れて体温を測る、するとふわりといい香りが鼻腔を擽った。
そこでようやくアルは兄もおかしいことに気が付いた。
兄は確かに見目だけはいい男だったが、こう匂い立つような繊妍たる美貌の持ち主ではなかった筈だ。
「にににににいさん?」
何か悪いものでも食べましたか。
「熱はないみたいだけど。…引き始めなのかもな。風邪薬とって来てやるからそこで寝てろ」
真っ青になったアルに、エドは本気で具合が悪いと判断したらしい。自分のベッドにアルを転がして毛布を被せる。
すらりとした足を見送って、惚けている場合ではないと後を追う。
がしかし。あっさり追いついてしまった。
兄は階段を降りきった場所で立ちすくんでいる。
「兄さん?」
声を掛けると油を差してない機械のようなぎこちない動きで兄はアルを振り返る。
「アールー? いったいコレはなんなのかなぁ?」
兄の指先にはリビングいっぱいに描かれた錬成陣。
内容はともかく構成の基本となる円はひどく歪んでいて見るに耐えない。…まるで子供か酔っ払いが書いたような有様だ。
「ご丁寧にテーブルやソファーを片付けまでして。アルフォンスさんはなにをやりたかったのかなー? 怒らないから是非そこんところ兄ちゃんに話しなさい」
(うわあ!嘘だ!)
兄の額にはそれはもう見事な青筋が浮かぶ。グーで殴る3秒前の顔つきだ。
「ええええええっ!…これボクがやったのっ!?」
「オレじゃなきゃお前しか居ないだろうこの家には!お前、出先で飲むなってあれほど言ったのに飲んできたな!」
「えっとー。えっとー」
昨日は確かに少し飲んだ。
それからの記憶は朧のような…はて?
いや、そういえば気持ちよく酔っ払った帰り道、素晴らしく画期的な術式を思いついた気がしたのだ。
これは忘れぬうち是非試さなくてはと…椅子を退かし、ソファーを壁に寄せ。チョークがその場に無かったのでインクで代用して。
アルはザーッと血の気が引いて青ざめた。
「でもでも!ボクが考えたのって空間と空間を繋げることで!別に女の子になろうなんて思ってなかったのに!」
アルは女性は好きだが、天地神明に誓って女性になりたいと思ったことなど一度もない。
「ちょっと待て」
エドは口元を手で覆った。
「オレの妹は生まれたときから妹だが…?」
(とゆーことは…?)
アルの頭の中でひとつの仮説が生まれる。
鏡像世界という観念がある。
鏡で映したように似通った世界がどこかに存在するのではないかという説だ。いかにも夢見がちなファンタジーだが、高度な錬金術の世界ではそれは『ある』ものとして認識されている。
錬金術は等価交換。しかしながら等価とは釣り合わない変換が起きる場合もある。
『賢者の石』等のブースターの存在はこの際置いておくが、それは確かにあるのだ。
膨大な質量が消え去って、残されたものが些少なものであった場合。そのエネルギーは異なる世界に飛ばされているというのが通説だ。なにせ『等価』と釣り合わない『交換』という現実が目の前にあるのだから、近しい『異世界』の話は真面目な研究のテーマにもなっている。
ここはその理論上でしか有り得ない世界…ということか?
いやでもそれにしてはこの身体は。
「…アルフォンス」
どうやら似通った想像をしたらしい兄は真剣な顔をしている。アルも連られて真顔になった。
「なに?」
「脱げ」
言われた途端、服の端に手を付けられる。
「ギャー!なにするの兄さん!」
アルは慌てて服を抑えて蹲った。
「いいから脱げ!…お前が弟を主張するっつーなら確かめてみるしかないだろーが!オレが形成した身体かどーかは裸を見ればわかる!」
「そうだけど!でも今ボク女の子なんだよ!兄さんに見られるのは問題がっ!それに階段で暴れると危ないってー!」
兄は眼を丸くした。
「…お前、本当にオレの妹じゃないの?」
戸惑うような、混乱しているような目の色にアルは変にドキドキする。
「ボク…鎧だったことはあるけど、女の子になるのは初めてだよ」
「そっか。…あー畜生。もう、どーなってるんだ」
髪をくしゃくしゃにかき回して階段に座り込む兄さんの背中は小さい。
「ご、ごめんなさい。…兄さん」
申し訳ない気分でいっぱいになって、アルはおろおろする。その姿を見てエドは、んーと首を傾げた。
そして溜め息ひとつ。
「あのな。どうも勘違いされているようだけど」
おもむろに立ち上がったエドはアルの右手を手にとって自分の胸に貼り付けさせた。そしてそのまま下肢のほうに滑らせる。
「……っ!」
布越しとはいえ滑らかで張りのある肌の質感は、素晴らしい感触だった。
「わかったか?」
「…………えっと、姉さんって呼ぶべき?」
当方、健康な青少年なんですが。いくら血縁とはいえ男(いや、今はアレだけど)にそう簡単に乙女の柔肌を触れさせるサービスするはどうかと思いますが、そこらへんは如何でしょう。
瞬時にして頭をよぎった言葉はとりあえず置いといて、アルは最重要確認事項を問い正した。
2004,11,1
こんな感じではじまります。
企画