好みのタイプ


 青年士官は声を裏返させて、エドワードに花束を突き出した。
「好きです!付き合ってください!」
 大した度胸だ。
 エドは普段から男装で通している。今は私服だが、タートルネックのセーターにスラックスという格好ではまず女性と思われることはない。
 真昼間の広場、噴水前。人通りの激しいこの場所で、しかも『鋼の錬金術師』に愛の告白をするなど並大抵のことではない。
「オレ?」
「はい、鋼の錬金術師殿。貴方を愛しています」
 理知的だが、情熱も含む眼差しはからかっているわけでもなさそうだ。観察した結果、こいつは本気だと悟り、頭が痛くなる。
 エドは人目を気にしないタイプだが、ギャラリーの興味津々な視線には怯むものがある。
 特に『ホモだホモだ』と嬉しそーにはしゃぐ女子学生。
(見世物じゃねえっての、ったく勘弁してくれ)
 まさか、まっとうに告白してきた相手を殴り飛ばすわけにもいかない。
『切れたら負けだ』過去の経験が物を言う。

「少尉。オレはまだ誰とも付き合う気はない」
「そ、そうです……か」
 せめて一片の誤解もないように断固とした態度で拒絶すれば、雨にぬれた犬のようにしょげられる。
 結局悪役かよと、エドは舌打ちを噛み殺して営業用の笑顔を作った。
(頑張れオレ!我慢だオレ!)

「気持ちと花だけは頂いておく。すまないな…有り難う」
 ちょいちょいと手招きすると、青年は顔を真っ赤にしてギクシャクと花束を渡した。
 ふうん。
 大輪の薔薇はビロードのような手触りだ。上等の花は驚くほど高価なのが常識。薄給の身には手痛い出費だろうにと、場違いな感想を持つ。
「あの…一度でいいんです!デー…」
 甘えるな。笑顔が引き吊りそうになる。もとより我慢強くない。
「ああ、すまない。今日は待ち合わせをしているので」
 エドが遠まわしに『消えろ』と送ったサインは受け取れたようだ。辞去の挨拶をして引き下がる青年の背中は煤けている。
 さて。
 目に力を入れて視線をザッと流すと、見物人たちはそそくさと立ち去る。…セントラルの市民は優秀な危機管理能力を持っているようだ。
(あー。明後日仕事行きたくねぇ)
 こういう情報は流れるのが早い。明日の朝には士官食堂の茶飲み話にされていること受け合いだ。
 溜め息をついたエドはくるりと踵を返す。目的は広場の脇の、ツツジの生垣の裏側だ。

「出歯亀とはいい趣味だな。アルフォンス君」
 にーっこり。
 今日は笑顔の大安売りだ。もってけ泥棒。
 小さく膝を丸めて身を隠していた少女をデコピンして、ついでに髪の毛に付いた葉っぱを取ってやる。
「…えへ」
 待ち合わせに遅れたら告白が始まってしまい、出るに出られず。
(盗み聞きをするつもりはなかったが、結果的にそうなってしまった)アルは後ろめたそうに誤魔化し笑いをした。
「兄さん、モテるんだね。見る目ある人はやっぱり居るんだ」
 最初に言っておこう。
 世の多くの人が誤解をしているが、兄の性別はXX。まごうことなき女性である。

 本人の希望通り背の伸びた兄は、女性的な魅力に乏しいものの、標準を超える容貌の持ち主だ。
 特に意志の強さをあらわして輝く瞳など、どんな宝石も見劣りする。
 しかしながらこの花は、普通の男が摘もうとするには、あまりに高嶺に咲いているので。…恋愛には縁が薄いと思っていたが、アルの心配は杞憂だったらしい。

「褒めても何もでてこねえよ。あー畜生」
 イラついている時の癖でエドは髪を掻き毟る。アルは眉を顰めた。
「ちょっと頼りなさそうだけどハンサムさんじゃない。そんなに嫌がらなくても、一回ぐらいならデートをしてあげてもいいんじゃないの?」
(兄さんのウエディングドレスはやっぱり見たいしー)
 一時期の余裕のなさを払拭して人格にゆとりが出てきたエドは、アルが変な危機感を覚えるほど女性にモテる。だからそういう意味で男性にも人気があるというのは、かえって安心だ。
「いい奴だけど、好みじゃない」
 エドはやたらにべがない。アルは大きな目をパチパチさせた。
「…知り合いだったの?」
「違うが、ある意味有名人。彼は同性愛者としてカミングアウトしている勇気ある人だ。能力よりも階級が低いのはそのせいだな」
 …なんだって!
 つまりそーゆー意味で兄さんを…うあ。
 アルはきゅっと拳を握る。
「前言撤回。兄さん!さっきの人とデートなんかしちゃ絶対絶対駄目だからねっ!」
 アルは同性愛者に偏見はない。むしろ拘らない方だ……が。
 ただ男の恋人が出来れば兄さんも、もっと女らしい格好をしてくれるんじゃないかなあ、そうだといいなぁといったアルのささやかな夢を打ち砕くような男性は、断固としてエドに近づいて欲しくない。大却下だ。
「まあ、ある意味とっても安全?」
「兄さん!」
「はいはい、わかってるよ。それに言っただろ好みじゃないって」
 生身の右手をひらめかす兄の態度に、アルは頬を膨らました。
「じゃあさどーゆータイプに弱いの」
「ブルネットの髪で、笑顔のやさしい女の人とか…」
「男の人で」
 冷たくぴしゃり。
 兄は首をすくめる。最近の妹は時々、冗談が通じない。なので真剣に考えてみる。
(うーん、好みのタイプねぇ。好み、好み、好み?)
「あ」
「思いついたのっ!?」
 聞いておいてなんだが、兄にそんな情緒があったとは意外だ。俄然アルの期待は高まる。
「…怒らない?」
 目元を染める兄の様子は初々しく、急いで首を振った。
「もちろんだよ兄さん!」
 アルは頭の中の知人リストを猛然と捲る。
 ナイスだ。兄は人を見る目が肥えていて、とびきりの性格食い、能力食いの人だ。昔からエドが気にかける人物は、身に芯が一本通った人ばかり。尊敬が恋に変わる日も来るだろう。
「恋愛とは違うが」
 うんうん。
「あの時は目的以外視野に入らなくて必死だったから、ただやさしさを享受するばかりだったけど。ずっと迷惑かけて…守られていて。嬉しかったなって」
 誰!?…そんな甲斐性ある人いたか?…ウィンリィとか?
 この後、いっしょに夕食を取ろうと待ち合わせをしている幼馴染の姿を思い浮かべる。
 確かに彼女は強くてやさしくて、アルも大好きだ。
 お似合いかもしれないけど…いや、駄目だ。ウィンリィと結婚したら、兄はタキシードを着てしまう。
「あんなに背が欲しかったのも、きっと影響あるな。後ろから抱きしめられるとすっぽり嵌まって本当に小さい子供になった気がして切なくなったし」
 ウィンリィじゃない…の?
 だ、抱き…?
 兄さんいつの間にそんな大人に。
 いや、ちょっと待て。(この暴れ馬な兄さんが、おとなしく男に後ろ抱きにされるか?)ありえない。
 アルははたと思いつく。
「兄さんそれって」
「ん、鎧のときのアル」
 輝くばかりの笑顔が憎い。
「……この馬鹿兄!」
 アル渾身の右ストレートはギリギリのところで避けられた。……おのれ。
「いや、だって今のお前は可愛いけど、鎧のお前は格好よくてセクシーだったしポイント高いなって。はあ、どうしよう。考えたらドキドキしてきた」
「考えなくていいから!」
「なんでだよう。鎧の形状は一応、男性型だし範疇だろー? だいたい俺より強い男って貴重品だぜ」
「……マスタングさんとかは? 強いよ?」
「そりゃー苛めですかアルフォンス君」
「苛めですよエドワードさん」
「ごめんなさい、オレが悪かったです」
 睨み合った後、エドがもの凄く嫌な顔をしつつも謝ったので溜飲を下げる。

 その後、貰い物の花束を下げ渡され更に気分は上向いた。花の嫌いな女の子はいない。
 花束に鼻先を突っ込むと、植物特有の芳香が胸いっぱいに広がった。うーん、ゴージャス。
「……でも、兄さん丸くなったよね。花なんて付き返すかと思ってヒヤヒヤした」
 ふと疑問に思い、尋ねてみる。
「だってアル昔、薔薇の砂糖漬けとか食ってみたいって言ってたじゃん。折角貰ったんだし作ってやるよ」
 驚いた。
 西に東に飛び回っていた時、何気なく口にしただけのことを覚えられているとは思わなかった。
 ことん、ことんと胸の鼓動が高くなる。…わあ、ちょっと。いやかなり嬉しい。
 照れ隠しに憎まれ口を叩く。
「すみませんねー、食い気が勝る妹で。でもよく作り方なんて知ってるね家事なんて滅多にしないのに」
「母さん、むかーし作ってくれたぜ。傍で見てた」
「嘘!知らない、覚えてない!」
 こんな時ひとつの歳の差は大きい。異様に頭のいい敵は、アルが生まれた時すら覚えている。
「あんまり旨いもんでもないが、色味だけはキレーだぞ。アルそういうの好きだろう」
「……すき」
 だって、だって女の子だもん。鎧のときはしたくてもできなかったのだからいいじゃないか。
「だったらそれで買収されてくれ。兄ちゃん、あーゆうの聞かれるの凄く困る」
 途方に暮れた声だった。  アルはエドをじっと見上げる。
 万能と噂される兄は、普通の少女なら息をするように出来るところで二の足を踏む。
 兄の少女としての心は今だ固い蕾のまま、成長を拒むように頑なだ。
(ほんと不器用なんだから)
 もっと器用だったら、もう姉さんと呼ばせてくれたろうに。まだ、男性でいたいのか。
 ああ、仕方のない『兄さん』。背ばっかり伸びて、まったく子供。

「だったら煉瓦亭のアップルパイも奢ってv熱々のパイとアイスクリームv」
「太るぞ」
「そのぶん動くもん。鍛えてるし。兄さんもデスクワークばっかりしてると、ますます僕に勝てないよ?」
 兄は都合が悪いとすぐ黙る。
 咳払いをひとつ、ふたつ。
「……茶ぁするんだったら本屋の後で、買出しの前だな」
「うんv」
 兄の隣をほてほて歩けば、仲の良い兄妹ね。と微笑ましそうな声を拾う。
 アルは心の中でこっそり呟く。
 『いえいえ姉妹なんですよー』……仲はとってもいいんです、それは正解ですけどね。
 ホントは自慢の姉なのです。

 でもそれは、まだ口には出せない言葉。


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